届けられた小包の謎
いつも通りの朝だった。居間で、朝食のトーストにバターを塗り、沸騰したポットから、熱い珈琲をカップに注ぐ。そして、トーストを頬張りながら、朝に到着した郵便物に眼を通す。この朝のルーティンが終われば、また、午前中の創作活動が待っているのだ。離れの作業場では、すでに、ヌードモデルの須加朋美が、全裸になって、待機しているだろう。早く、始めなければ。
画家の菜那洋一郎は、あわてて残りの郵便物に手を伸ばして、あらためて驚いた。小包が届いている。ちょうど小ぶりな花瓶でも入りそうな大きさの小包だ。いったい、僕に何が届いたんだろう?誰からだ?荷物をひっくり返したが、送り人の名がない。何だか、怪しいな。と、考えながら、包みを開いていく。すると、包み紙のあちらこちらに、赤黒い染みがついている。どう見ても、血痕のようである。菜那は、いやな予感がして、包みを開く手を止めた。しかし、ここでやめても仕方ないではないか?それで、ため息をひとつ突いて、菜那は包みを最後まで開いた。そして、その中身を見てー。居間じゅうに、猛烈な悲鳴が上がった‥‥‥‥‥‥‥。
「しかし、さぞ、驚かれたでしょう、小包を開いたら、中から、最愛の奥さんの首が出てきたんですもんね、あたしなら、腰抜かしますよ」
吉山刑事は、居間のソファで腕を組んで、神妙な面持ちである。部屋の隅にある暖炉のそばでは、暖かそうなベージュのローブを着込んだヌードモデルの須加朋美が、所在無げに下をうつ向いて、うなだれている。
朋美がポツンと言った。
「菜那さん、奥さん亡くしたのよね。辛いわよね」
「おい、平井、被害者の死亡推定時刻、分かったか?」
突然に、吉山刑事が大声で平井刑事を呼びつけた。
「首だけだから、難しいって」
と、背広についた昼御飯のケチャップの赤い染みを必死になって取りながら、
「神川医師が言ってましたよ。でも、おそらく死後、2、3日は経過してるんじゃないかってコメントしてました、でも、何で、夫に首だけ切断して送りつけたんでしょうね?犯人の気が知れない」
「首を送りつけるっていうのは、強い怨恨の念を感じないか?それで気を晴らそうっていう犯人の心情が伝わってくるよ、恐ろしいね」
「それじゃ、菜那さんに恨みを抱いている人物を何とか特定しなきゃいけませんね。難しそうだな‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「菜那さん、失礼ですが、奥さんが行方不明になられたのはいつ頃です?」
菜那洋一郎は、食卓に腰かけて頭を抱えたまま、
「ちょうど、1週間前になります。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、瑠、瑠美子、ああ、何てことだ、僕がついていながら、こんなことに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
いがぐり頭をボリボリと掻きながら、吉山刑事が言った。
「これも失礼なお話ですが、あなたを恨んでいるような人物に心当たりは、ありませんかな?」
すると菜那は、困惑した表情で、
「さあ、これと言って、僕には」
と、口をつぐんだ。
その時、玄関のチャイムが鳴って、来客を知らせた。そして、すぐに、玄関の扉と、居間の扉を開いて、三十代らしい理知的な出で立ちのスポーティーな女性が姿を現して、
「あら、何の騒ぎなの?洋一郎さん、瑠美子は、今、家にいるかしら?話したいことがあって」
すると、菜那は、滅入った様子で、顔をしかめて、
「そうか、君は、まだ知らなかったね。‥‥‥‥‥‥実は、瑠美子、殺されたようで、今、警察の方が来られてるんだよ」
「瑠美子が殺された‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
その女性は、しばらく現在の状況が、うまく呑み込めないらしくて、眼をぱちくりさせていた。すると、それまで黙って会話を聴いていた吉山刑事が、口を開いた。
「菜那さん、こちらの女性の方は?奥さんのお知り合いですかな」
「あたし、加賀恭子って言います。菜那瑠美子さんとは、もう、かれこれ7、8年のお付き合いですの。瑠美子さんとは、地元のお料理サークルで知り合いましたのよ。でも、殺されたって‥‥‥‥‥‥‥‥、本当のことっていう、実感が無くて、あたし、その‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「ええ、分かりますよ、加賀さん、分かってますよ」
加賀恭子は、その場に、へたり込むと、しばらく何やら考え込んでいる。その後で、恭子が、やおら、口を開いて、
「でも、先週、お邪魔した時、あんなにお元気そうに、一緒にオムライスとスープを作ったのに。いったい、瑠美子に何があったんです?」
「それを今、捜査中でしてね。加賀さん、瑠美子さんの失踪に、何か、心当たりありませんかな?」
「さあ、これといって、特に何も。お付き合いって言っても、お料理友達ですからね、時々、この家に、顔を出すくらいですから。大したことありませんよ」
「ふうむ」
と、ソファに腰かけた吉山刑事は、腕を組んで考えていたが、そのあとで、
「加賀さん、たとえば、ふだん使ってる料理用の肉切り庖丁で、突然に瑠美子さんを殺してしまえって言う衝動に駆られたようなことはありませんか?」
「と、とんでもない。瑠美子とは大の仲良しだったんですよ。そんなことは決してー」
その時、また玄関のチャイムが鳴った。来客だ。今度は、慌てたように、のっぽの平井刑事が、玄関に駆け出していった。
悩ましげに、吉山刑事は、ふところから、薄荷菓子のポリ袋を出すと、慎重に一粒づつポリポリと口に含んでいた。どうやら、一生懸命に集中しているらしい。そこへ、1枚の名刺を持って、平井刑事が帰ってきた。吉山刑事は、貰った名刺を見た。
「洋画家 須崎光順」
と、書かれてある。平井刑事が、「何だか、一癖ありそうな男でしたよ。ここへ、通しますか?」
「うん、お通しして」
やがて、粋なジャケットを着こなした中年男が、ブライヤーのパイプをプカプカと吹かしながら、傍若無人な態度で部屋に入ってきた。彼は、部屋をぐるりと見渡して、
「何だか、騒々しい部屋だな。勝手に座らせて貰うよ。おい、菜那君、どうしたね、元気がないぜ、何か、嫌なことでもあったのかい?」
と、言いながら、ニヤニヤと笑っている。人の不幸を露骨に喜ぶタイプの男なのだろう。
菜那は、しばらく黙っていたが、
「妻が、‥‥‥‥‥‥‥‥‥、殺されたよ」
光順は、しばらく唖然としていたが、
「瑠美子さんが、‥‥‥‥‥‥‥‥‥、ほ、ほう、こいつは驚いた。怖い世の中だねえ。それで、殺したやつは?」
「まだ、分からない。警察の方が、捜査されてるよ、どうやら、僕に恨みを抱いている者の犯行らしいって言ってるよ」
その言葉で、途端に、光順が慌て始めた。手にしたパイプを床に落とし、ビックリして拾おうとして、床に屈み、起きようとして、テーブルの角に、頭をしたたかにぶつけた。
「そ、そうかね、そうかね。君も気を付けた方がいいね、恨まれないようにね、猫のように‥‥‥‥‥」
その瞬間、菜那と光順の間で、鋭い視線の衝突があった。そして、その瞬間を決して吉山刑事は見逃さなかったのである。
「どうやら、お邪魔なようだから」
と、光順がソファから立ち上がって言った。
「ぼくは、そろそろ、お暇するよ。菜那君、気を落とさんでね、僕は、いつまでも君の素晴らしいライバルだからね!」
そう言い残すと、光順は、ジャケットについたパイプの煤を払い落としながら、部屋を出ていった。
しばらくの沈黙があった。そのあとで、吉山刑事が、菜那に訊いた。
「失礼ですが、あなたと、光順さんの間柄はいかがですかな?」
菜那は、言いにくそうな口調で、
「あまり、良いほうでは‥‥‥‥‥‥‥。
何せ、洋画の世界では、画家の生存競争も激しいもので、ライバルの存在は、致命的ですよ」
その時、来客を知らせるチャイムの音が、玄関で鳴った。
「おやおや、3人目のお客さんだね。こうなると、まるで、コント劇さながらだな。いったい、誰だろう?」
再び、平井刑事が、出ていったが、しばらくして、戻ってくると、菜那に、
「菜那さん、隣の方が、何か伝えたいことがあるって、来られてますよ。白髪まじりの年配の方ですが」
菜那は、苦虫を噛み潰したような顔つきで、部屋を出ていった。しばらくすると、肩を落として、帰ってきて、吉山刑事に言った。
「隣の、野住順一さんって言いましてね。よく、うちに苦情を言いに来られるんですよ。うちの飼い犬の鳴き声がうるさいとか、やれ、庭の木の枝が、こっちに伸びてきて、迷惑だとか、夜に車のクラクションがうるさいとか、そりゃもう、ひっきりなしですよ。うちに、恨みでもあるのかな、って思うくらいですよ、本当に」
「今日も、何か?」
「今日も、ベスの鳴き声がうるさいって。そんなに鳴く犬じゃないんですがね、何故なんでしょう、野住さんには、謝ってはおきましたがね」
「犬か‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
しばらくの間、じっと虚空を見つめて、考え込んでいた吉山刑事であったが、やがて、閃くものがあったらしい。やがて、彼は、晴れやかな表情で、ソファを立つと、壁際にいる須加朋美を振り返り、
「須加さん、ちょっと、お話お伺いしてもよろしいですかな、何、すぐに済みますから」
そう言うと、吉山刑事は、須加朋美を連れて、奥の部屋の扉の向こうに消えていった。しかし、しばらくすると、恥ずかしげな表情で、下をうつ向いた朋美をあとに連れて、吉山刑事が出てきて、ポカンと天井を眺めていた平井刑事に激を飛ばす口調で、
「おい、平井、ボッとしてるんじゃないぞ。ちょっと、一緒に来い。庭で、新鮮な空気を吸おう。気分も変わるぞ。そこで、今度の事件の解説をしてやる。殺人犯人が誰かをね。ついてこい!」
「きっかけは、菜那の言った犬の鳴き声なんだ」
広い庭だった。一面に緑色の芝生が広がり、隅に置かれた白いテーブルと2脚のアームチェアも景観として、よく似合っている。芝生に膝をついた吉山刑事は、平井刑事を見上げて、
「犬から、猫を連想したのさ。ほら、光順が言ってたろう。『恨まれないようにね、猫のように』ってね。何のことだろう、って考えているうちに、閃いたのさ、殺人犯人の巧妙なシナリオがね。猫だよ、猫。もう、分かったろう、誰が今度の事件の犯人か?
本当に起こったことを、順を追って話してみよう。
須崎光順が、菜那洋一郎のことを、同じ洋画家として快く思っていなかったことは、君にも分かるよね。そして、光順は、脅しのつもりで、あまりでしゃばるとこうなるぞ、とばかりに、菜那のもとへ、猫の死骸の小包を送りつけた。その意味だよ、『恨まれないようにね、猫のように』というのは。それが、今朝、菜那のもとに届いたんだよ。菜那は、包みの血痕を見て、訝しく思い、中身を見て、悲鳴を上げたかもしれん。しかし、そのあとで、菜那は、この血まみれの郵便物を、自分の妻殺しの小道具に使えることに気づいた。さっき、須加朋美から、全てを訊いたよ。菜那と朋美は、画家とモデルが越えてはならない一線を越えてしまったんだね。男女の深い肉体関係にあった。そして、真っ裸の朋美は菜那に迫っていた。自分との結婚をね。ともかく、菜那は、妻を憎んでいた。そして、朋美の言葉が引き金になって、ついに、菜那は、ある日に、密かに妻を殺害した。そして、その死体を、この裏庭に埋めていた。そこへ、例の、光順の猫の死骸が届いた。そこで、ずる賢い菜那は、妻の首を切り落とし、猫の死骸とすり替えて、妻の首を小包に仕立て上げて、警察に通報したわけだよ。たぶん、怪しむのは、光順だけじゃないかな?彼が、どう出るかは、分からんがね。これで、菜那が怪しまれる可能性は、ずいぶんと低くなったと思うよ。いや、実にずるい男だね、菜那は。それにしても」
と、緑の芝生の上で、青く澄みわたる大空をボンヤリと眺めて、吉山刑事は、ポツンと言った。
「いつの時代も、妻殺しの種は、尽きないものなんだね」
その瞳は、どこか、涼しげであった‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。




