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お蝶、死す

 そこは、うらぶれた場末のとある波止場の倉庫街であった。薄暗くて巨大な倉庫がまるでイースター島のモアイ像のように異様に立ち並ぶ。その倉庫の中の一軒。B-205と標記されている。その倉庫の中で、薄暗い室内を、大勢の野暮ったい鑑識の連中が、一個の死体を取り巻いて、右往左往していた。それを指揮しているのは、これもまた、冴えない中年男の吉山刑事だ。そして、彼について回っているのが、若い背広の平井刑事。

「しかし、何度見ても、気持ち悪いですよ、バラバラ死体ってのは。被害者は、いったい誰でしょうね、吉山さん」

「左足と、首がないから、なんとも言えんな。何かの手がかりは、ないのかね?」

 二人の言う通り、女の死骸は、バラバラであった。両手と、右足が、根本で、胴体から、切り離されて、床に落ちている。辺りのセメント塗りの床は、鮮血で真っ赤だ。そして、死骸が、全裸なだけに、妙にエロチックだ。

「でも、何で」

と、吉山刑事は訝って、

「犯人は、首を持ち去ったんだろう?何か、理由があるのだろうか?」

「身元を隠しておいて」

と、平井刑事が答えた。

「逃亡する時間稼ぎ?それとも、身元を気づかれると、ちょっとマズイ関係者?」

「ううむ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 ポケットから、お気に入りの薄荷菓子の袋を取り出して、一粒、二粒と、口に放り込んだ吉山刑事は、

「とにかく、ガイシャの身元が割れんことには‥‥‥‥‥‥‥‥」

 携帯で、何やら話し込んでいた平井刑事が、やおら、電話を切ると、吉山刑事を振り向き、ニッコリ笑うと、

「黒蜘蛛のお蝶ですよ、吉山さん」

と、鬼の首でも取ったように、

「例の被害者の切られた右手のひらに、3本角の鬼般若の入れ墨があったでしょ。それで、本部に問い合わせたら、前科がありましたよ。黒蜘蛛のお蝶、殺しが三件、窃盗が二件、その他、もろもろでね。相当のワルですよ、あの女。裏世界では、姐御で通ってますがね」

「となると、敵も多いわけか。やくざの話となると、手こずるぞ、こいつは」

 暗い戸口の外は、明るい埠頭が見えていた。何隻かの漁船が停泊して、揺らぐ海面に、大勢のカモメが浮かんでは、飛び立っていった。やがて、その暗い戸口に、小さな人影が立った。

「警察の旦那か、こいつは、ちと、まずいことになったな。どうしよう?」

 吉山刑事が、暗闇に目を細めて、気づいたように言った。

「おう、サソリの竜三じゃあないか、確か?お前、こんなところで、何をしているんだ?」

「こいつは、吉山の旦那、何も、くそもありませんよ。昨日の晩に、お蝶姉御から、連絡もらってよ、何でも、今度のヤクの大取引の件で、黒幕の人物を教えるから、明日の朝に、ここへ来いって内密の電話もらったから、来たんでさ、で、お蝶さんは?」

「そいつは残念だな。もう手遅れだよ。お蝶さんなら、もう口を封じられたよ」

「てえことは?」

「向こうで、バラバラに切り刻まれてる。見てくるかい?」

「えい、滅相もない。‥‥‥‥‥‥‥‥、そうですかい、そいつはヤバイな。俺も早いとこ、トンズラしますよ、いいでしょ、旦那?」

「ええ?そうはいかんぞ。ちょっと、本署の方で話を聞くか?おい、君、この男を署まで連行して。連行の理由は、君に任せる」

「そんな殺生な‥‥‥‥‥‥」

 サソリの竜三が連れていかれると、しばらくして、平井刑事が片手に、小さな紙片を持ってやって来た。

「吉山さん、ガイシャのそばの床に、こんなもの、落ちてましたよ、何でしょうね?」

 吉山刑事は、しばらく紙片に鉛筆で書かれた数字の羅列を見ていたが、やがて、

「こいつは、電話番号だな。誰にかかるのか、面白そうだな?」

 携帯で電話を掛けて、しばらく吉山刑事は話し込んでいたが、やがて、電話を切ると、平井刑事を

向いて、当惑顔で、

「訳が分からん。電話に出てきたのは、ジェット旅行代理店の田淵亮一と言ってたよ。一体、何のことだ?」

「田淵亮一?さあ、心当たりありませんねえ、誰です?」

「吉山さん、大変ですよ。ヤクの取引らしい黒服の連中、来たようですよ。さっき、怪しい車が、何台か、近くに停まりました」

「よし、分かった。全員に至急、伝えろ。気づかれないように隠れるんだ」

 警察の一同が、倉庫の荷物の背後に隠れてしまった頃に、倉庫B-205の戸口に、複数の人影が現れた。皆、真剣な様子だ。一触即発の構えである。一人の男が、黒いスーツケースを手渡し、相手が、茶色のボストンバッグを渡した。それで、決定的であった。

 物陰に隠れた警察の関係者が、一斉に飛び出すと、彼らの周囲を取り囲んで、大声で叫んだ。

「ようし、お前たち、そこまでだ!警察のものだ。鞄の中身をチェックさせてもらうぞ!」

「けっ、しまった!警察かよ、誰だよ、サツにたれ込んだのは?」

「そんなもん、知るかよ!」

 案の定、茶色のボストンバッグの中からは、大量の覚醒剤の詰まったビニール袋が出てきた。そして、スーツケースには、現金の山だ。

 やがて、暗闇から、吉山刑事が姿を現すと、取引していた連中の前にやって来た。彼は、二人の顔を眺めて、疑わしげな様子で尋ねてきた。

「うん、待てよ、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、お前ら、どこかで見た顔だな、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、ああ、思い出したよ、お前、ハジキの哲司とナメクジの惇太じゃないか!とうとう、お前らも、年貢の納め時かい、残念だったな」

「ああ、こりゃ、吉山さん、こんなとこで、出くあうとは俺も不運だな、もう命運尽きたな、俺も」

と、ハジキの哲司が吐き捨てるように言った。

「何で、ここ、分かったんです?誰か、たれ込みましたか?」

と、ナメクジの惇太が不思議そうに尋ねた。

「おい、とぼけるんじゃないぞ、もう、知ってるんだろ、この事件は?」

と、吉山刑事が詰めよったが、二人は、まったくの真顔で、

「事件?何のこってすか?」

「どうやら、容疑は、お前たちの二人なんだよ。‥‥‥‥‥‥‥‥‥、おい、平井、被害者の死亡推定時刻は分かったか?」

「ええ、吉山さん。神川医師の話によると、殺害されたのは、昨夜の午後9時から11時の間らしいそうです」

「おい、今の聞いたろ?その時刻、お前ら、どこにいたか、証明できるか?」

「証明も何も」

と、ハジキの哲司が言った。

「俺なら、昨夜は、大阪の事務所にいましたぜ。10時過ぎに、電話があったから、アリバイなら、大丈夫ですぜ。というか、殺されたの、誰です、いったい?」

「黒蜘蛛のお蝶だよ、たぶん、口封じに殺された線が強いんだよ。その時刻に電話があったって言っても、携帯なら、どこでも出来るだろ?」

「そうはいきませんよ、旦那。大阪の事務所の固定電話に、直接、向こうから掛けてきたんだから、どうしようもありませんよ。1時間は話しましたよ、何なら、裏、取ってくださいよ、花岡組の吉川ってやつですよ、分かりますから」

「ふうん、そうか。‥‥‥‥‥‥‥‥、おい、ナメクジ、お前はどうだ?」

「あっしですか?昨晩ですか?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、確か、飲んでましたね、始めての店でしたがね、9時頃から、12時過ぎまでね、店のバーテン相手に、ダベってたから、彼、覚えてんじゃないかな、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、新宿の「死仮面」って店ですよ。変わった名前の店だから、覚えてるんです」

 吉山刑事は、しばらく考えて、

「大阪ー東京間が、最短の飛行機で1時間ちょい。それに、バーテンが、顔を覚えているか。‥‥‥‥‥‥‥、こいつは参ったな、二人とも、アリバイが成立か?しかし‥‥‥‥‥‥」

 トレンチコートのポケットから薄荷菓子の包みを取り出して、吉山刑事は、ポリポリと食べ始めた。彼が、集中している時の癖なのだ。やがて、彼は、包みをポケットにしまうと、プラリと、暗い倉庫から、明るい戸外に出た。

 陽は高い。港の埠頭には、何人かの陽に焼けた肌の漁師が、大きな網を小さな漁船に乗せて、漁の準備中だ。

 倉庫から、くたびれた様子の平井刑事が現れて、埠頭に立つ吉山刑事の隣に並んで言った。

「吉山さん、どうですか?事件の手がかりは掴めそうですか?」

「ううむ‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 その時、近くにある港から、一艘の大型フェリーが、出港するところであった。波は、穏やかであったが、風が少し吹いているようだった。しばらく、ぼんやりと、その様子を眺めていた吉山刑事が、はっと我に返ったように、驚いて、平井刑事を振り向いて、

「何で、こんなことに気づかなかったんだろう。平井くん、分かったよ。今度の殺人事件の真犯人がね。誰だと思うね?君も

考えてみたまえ」


 大勢の人々で、混雑している。その人混みのなかを掻き分けるようにして、吉山刑事と平井刑事が前へ進んでいく。彼らが、目指しているのは、一人の人物だ。ここは、成田国際空港の搭乗ロビーの中である。彼らが探している人物は、すぐに分かるのだ。と、言うのも、その人物は、片手に手袋をはめているからだ。そして、やがて、搭乗口の近くで、その人物を見つけ当てた。吉山刑事は、その人物の肩に手を置いて、気軽な口調で、声をかけた。

「ねえ、黒蜘蛛のお蝶さん、そんな大きな荷物を持って、どちらに旅行されるんです?」


「すべては、お蝶が安全に国外逃亡するための、狂言殺人だったのさ。彼女は、日本での活動にそろそろ限界を感じ始めていたんだな。舞台を海外に移せば、警察の手も伸びにくくなる。それで、彼女は、前もって、自分の肢体とよく似た体つきの女性を探して、何かの口実をもうけて、自分と同じように、右手に、3本角の鬼般若の入れ墨を彫らせた。そして、無惨にも、彼女を殺害して、いかにも、身元を隠すように、全裸に剥いて、バラバラに切り刻んで、そして、肝心な首と、カモフラージュで片足も持ち去った。ほら、殺人の現場に、旅行社の電話番号が落ちてたろう。お蝶が、うっかり、置き忘れたんだろう。今、考えれば、大きなミスだな、俺でも、気づいたんだぜ」

 吉山刑事は、お蝶を引き連れて、人混みの空港を、寂しくあとにして、去っていくのであった‥‥‥‥‥。








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