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緊急搬送

「急いで緊急処置だ!患者の命が危うい」


 ガラガラと音を鳴らせて、患者を乗せた担架が、広い廊下を走り、やがて両開きの集中治療室の扉を潜り抜けた。


 治療室に入ると、手術用の照明が全灯される。パッと辺りが眩しくなって、担架に乗せられた意識のない老婦人の青白い顔が大きくクローズアップする。


「おい、前島、直ぐに心臓収縮薬の準備だ、急げ!」


 あわてて、若い女性の看護師が注射器に液剤を詰める。その間に、医師の賀川は呼吸器を老婦人の口にあてがって、気道確保のために首を反らせた。


 検査技師の枝澤が、各種モニターで、患者の容態をモニタリングしている。


「血圧、なおも上昇の兆しはありません。どうします、賀川医師」


「何をボーッとしている。前島、急げ、早く打て」


「は、はい」


「よし、除細動器の用意だ。いくぞ」


 老婦人の身体を、電流が走る。


「だめです。変化ありません、続けますか?」


「それしか、ないだろう。いくぞ」


 モニターの血圧は、どんどん下降していく。もはや、打つ手はなかった。


 やがて、血圧モニターの波形が、下降しきった所で、フラットになった。


「どうやら、ご臨終のようですね。残念ですが‥‥‥‥‥‥‥‥」


 と、枝澤が、呟くように言った。賀川医師は、思いきり舌打ちをして、しばらく無言のあとで、静かに言った。


「ご家族の方々は?今、廊下で控えていらっしゃるのかね?」


「え、ええ、その筈です、しかし‥‥‥‥‥‥‥‥」


「どうした、前島、今日のお前、何か、変だぞ。どうした?」


「申し訳ありません。では、先生、ご遺族の方に‥‥‥‥‥‥‥‥」


「分かった。気は進まんが、行かねばなるまいか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 賀川医師は、手袋を外し、マスクを取り去ると、そのまま、集中治療室の扉を出た。


 薄暗い廊下の隅の長椅子には、初老の男性が、黒っぽいカーディガン姿で、寂しげに座っていたが、こちらにやって来た賀川医師の姿を認めると、足早に近寄って言った。


「あのう、どうですか?妻の容態は?」


 すると、賀川医師は、思いきりの同情心を言葉に込めて言った。


「我々は、全力を尽くしました。しかし、奥さんの体力の限界だったのか、私たちにも、叶いませんでしたよ。‥‥‥‥‥‥‥‥、本当に、ご愁傷さまでした、残念な限りです」


「あ、ああ‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 その男性は、その場に崩れ落ちた。痛恨のショックであろう。


「と、父さん、あたしがいながら、こんな羽目に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 と、突然、前島が消え入りそうな声で、男性に声をかけた。


 ビックリして、男性は、前島の姿を見つけて、声を上げた。


「千賀子、お前、この手術に立ち会っていたのか?お前、母親の最後を看取ったんだな、そうか、そうかい‥‥‥‥‥‥‥‥」


 男性は、流れる涙のままに、娘の前島千賀子を見上げていた。


「では、あとの手続きも待っていますので、どうぞ、こちらの部屋に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 一同は、廊下の途中にある扉の中へと消えていった。


 しかしである。そんな彼らの様子を逐一、観察する二人組の男が、そばの長椅子にいた。ひとりは、中年と言うよりも、年配か、胡麻塩のスポーツ刈りに、いかつい顔つきで、よれよれのトレンチコートを申し訳程度に着こなしている。もうひとりは、若く、パリッとした背広姿で、髭剃りの後が青々しい。


 年配の男が、言った。


「おい、平井、何か感じないか?お前」


 平井と呼ばれた若い男が答えた。


「感じないかって、何の話です?吉山さん」


「事件の匂いだよ。きっと、これには、何かあるぞ。俺の刑事生活の長年の経験と勘ってやつだよ。間違いない」


「へえ、僕には、そんな勘はまったくといっていいくらい‥‥‥‥‥」


「おい、平井。あの部屋へ行って、あらかたの裏を取ってこいよ。ご足労で悪いが‥‥‥‥‥‥‥」


「いいですけど、警察の者って、名乗るんですか?何だか、あんな席で、どうも‥‥‥‥‥‥‥」


「構うもんか、行ってこい、肝心なところ、聞き逃すなよ」


「はいはい、かしこまりました」


 平井刑事が、部屋へ向かうと、あとに残った吉山刑事は、ひとり、コートのポケットから、薄荷菓子の小袋を取り出して、無言でポリポリと白い飴を食べ始めた。


 これは、吉山刑事が考え込む時の癖みたいなもので、彼にとっては、集中の手助けになるようだ。


 やがて、吉山刑事は、廊下に据えた自販機で、ブラックコーヒーの缶を購入すると、グビグビとやり出した。


 その頃になって、例の部屋の扉から、弱り顔の平井刑事が、ハンカチで首の汗をぬぐいながら、こちらにやって来て、言った。


「とことん、嫌われましたよ。困ったものだ。これだから、刑事は辛い。でも、大筋の事情は掴みましたよ」


「で?」


「亡くなった女性は、前島その子、72歳です。都内で、小さな質屋を経営していますが、なかなかの資産家のようですよ。あの男性は、夫の前島芳雄。70歳。自転車販売を経営していますが、いまいち、経営不振なようです。あとは、娘の千賀子。まだ、未婚ですね。彼女、驚いたそうですよ、手術が手につかないくらいにね。そうでしょうね。自分の母親が、瀕死の状態で、自分のところへ運ばれてきたんですから。最後に、千賀子の弟の誉志。もう結婚して、別居してるそうです」


「そうか。ありがとさん。あと、この病院へ運ばれた時の経緯はどうなんだ?」


「それですがね、以前から、あの亡くなった奥さん、慢性心不全で治療中の身でしてね。都内の病院通いしてたそうですよ。今朝も、起き抜けから、激しい呼吸困難で、家族が、救急車を呼んだようですね」


「その時、千賀子は?」


「もう、病院に勤務の通勤してましたよ。夫の芳雄が救急車に同乗したそうです。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥、ねえ、吉山さん、これ、単なる病死事件ですよ。探る必要あるんですか?」


「まだ、お前には分からんさ。‥‥‥‥‥‥‥、ちょっと、俺が、行ってくる。手術の手順で、どうも気になることがあってな、直接に医師に聴いてくるよ」


 そう言うと、吉山刑事は席を立って、まだ賀川医師がいるであろう部屋へと向かった。


 今度は、平井刑事が、廊下の自販機で飲み物を買った。彼は、小銭をいれて、コーラを選んで、ボタンを押した。

 ガチャンと音がして、取り出し口から、1本の麦茶が出てきた。


「何か、ついてないなあ」


 平井刑事は、麦茶の栓を開くと、ゴクゴクと喉ごした。爽やかな風味に、癒されて、彼は、いつしか、長椅子に腰かけたまま、居眠りしていた。


「おい、平井、起きろ、何、やっとる」


「ああ、吉山さん、‥‥‥‥‥‥‥‥、どうでした、収穫ありましたか?」


「ああ、一応な。これで、あらかたの事件の目星もついたよ、今回の殺人事件とその犯人さ」


「さ、殺人事件ですって?犯人?いったい、何のことです?訳が分からない」


「では、順を追って、話そうか?あまり、面白いとも言えんがね」


 ひとつ、ため息をついて、吉山刑事は話し始めた。


「最初のきっかけは、千賀子だ。彼女が、母親の手術に加わったと聞いて、オヤと思ったのさ。それに母親の、その子は資産家だ。うまく母親が死ねば、莫大な財産が転げ込むわけさ。」


「でも、その子さんの死因は、心不全でしょう。それは、医師も認めていますよ」


「見かけ上な。だが、そんなこと、どうにでもなるんだよ。例えば、前島が、手術中に打ったって言う心臓収縮薬だがね」


「あいつを、治療用の収縮薬ではなく、塩化カリウム水溶液にすり替えたとしたら、どうだろうね?」


「千賀子さんが?信じられないな」


「塩化カリウムの水溶液はどこにでも手に入る簡単な試薬だ。もちろん、あの治療室にもあるだろう。塩化カリウムを静注するとな、一気に心不全の症状を起こして致死してしまう。恐ろしいのは、医師が調べても、何ら怪しいこともなく、病死として片付けられてしまうということだ」


「へえ、そうなんですね、知らなかった、怖いですね、何だか」


「千賀子は、財産目当てに母親を毒殺した。‥‥‥‥‥‥‥‥さっき、全てを説明して、千賀子の告白を促したら、素直に犯行を認めたよ。どうやら、男が背後にいたらしい。何でも、貢いでいたそうだよ。その男に入れ上げてたんだな。かわいそうなものさ」


 そう言うと、吉山刑事は、味けなさそうに、薄荷菓子を詰まんで口に入れて、廊下から、窓の外の花壇の風景をぼんやりと見やっていた‥‥‥‥‥‥‥。
























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