幽ぱっく
「うわあああっ!?」
布団が数センチ跳ねるほど驚いた霊子が振り返る。
「本当に出た!?」
首なしライダーは黒いライダースジャケットを着て、真っ黒い750㏄(ナナハン)にまたがっていた。鬼火らしきものを纏い、ゆらめいている。
見ているだけで、吐き気がこみ上げてくる。頭がガンガンする。
それは根源的な恐怖なのか。わからない。頭が回らない。
本当は目を逸らしたいが、その方が怖い。
だから、怖くて仕方ない相手を、俺は凝視していた。
首なしライダーがいる空間は、トンネルに繋がる旧道の、ガードレールの外側。
崖というほどではないが、山林に繋がる斜面になっており、バイクどころか人間が立つことも出来ない。
その不可解な位置でハンドルをぐりぐりと回し、エンジンをふかしていた。
「よし!! 助手よ! 捕獲するんだ!!」
「何言ってんだ!?」
反射的に叫んでしまったことで、体の緊張が一気に解けた。
もう辺りがかなり暗くなってしまって脂汗は止まらないが、体は動く。
一方、首なしライダーは俺たちを囲むように周囲をぐるぐると回り始めた。
俺たちはまるで、逃げ場を奪われた狩りの獲物のようだ。
「ど、どうすんだ!?」
「心配ない! 首なしライダーの報告例が多数ある以上、生きて帰れることは証明されている!」
「な、なるほど!」
確かに言われてみればそうだ。
最後に語り部が死んで終わりの怪談は作り話とわかるのと同じで、お化けに遭遇しても生きて帰れたから語れるのも道理だ。
「まぁ、目撃した後に原因不明の熱病にかかって生死をさまよったなどという話もあるが」
「何が心配ないだ馬鹿野郎!」
その間にも首なしライダーは回転半径を縮めて行く。
そして、一気に突っ込んで来た。
「危ねえ!?」
咄嗟にクソ重いキャリーバッグを手放して飛びのいたが、バッグと俺の間を首なしライダーが通り抜けていく。
ぶつかったらどうなるんだ!?
幽霊だからすり抜ける!?
いや、フェンスは吹っ飛んでたか!?
どうする、どうすればいい!?
「何をしているんだ! そのバッグがなかったらボクたちはおしまいだぞ!」
「わけがわからねえよ!!」
命の危機を感じて、体が勝手に動いたが、いまだに心臓はバクバクだし汗も止まらない。
頭の中だってぐるぐるだ。
「そのバッグの取っ手を押し込むんだ!」
「はぁ?」
「いいから早く!」
「わ、わかったよ!」
再びキャリーバッグを掴み、その取っ手に両手を置いて一気に押し込む。
すると、バッグ本来の開き方ではなく側面が開き、前後から筒が出現し、内側から取っ手とスコープが飛び出してきた。
これではまるで、胴体の四角いバズーカだ。
「な、なんだこれ!?」
「幽霊捕獲装置、名付けて【幽ぱっく】だ!」
「ゆうぱっく!?」
「照準を合わせて引き金を引け!」
「バズーカじゃねえか!」
「まるで違うがいいからやるんだ!!」
やるんだって言われても、首なしライダーは再び猛スピードで旋回している。
一方、幽ぱっくとやらは異常な重さで、バズーカのように取り回すには不向きだ。
まるで大型の神輿でも担いでいるような重さが肩にのしかかる。
「くっ、重すぎだろ!」
「仕方ないだろう! ヒッグス粒子に干渉して重力で幽霊を捕獲するのだから!」
「意味がわからねえし、たぶん答えになってねえ!!」
そうこうしている間に、空中でターンしてきた首なしライダーが突っ込んでくる。
慌てて幽ぱっくを向けるが、その重さに照準が間に合わない。
まごつく俺に突っ込んでくる首なしライダー。
だが、動きが悪いのはあまりにも重い幽パックを抱えているからで、頭は妙に冷えていた。
霊子が布団にくるまって転がって逃げているのもはっきり見えている。
もう外はだいぶ暗くになってしまったが、鬼火のようなものに包まれているように見える首なしライダーの姿に、逆にどこかホッとすらしていた。
皮肉な話だ。お化けで安心するなんて。
だから、俺は妙に冷静に、ポケットから塩の塊を取り出していた。
幽ぱっくは肩に担いだままなので、無理な姿勢ではある。
だが、自分でも驚くほど自然に、前腕の力だけのアンダースローで塩玉を投げつけていた。
なにしろ俺に向かって突っ込んで来ているのだ。避けられるはずがない。
バイクのヘッドライトに当たった白い塩玉が弾け、空中で雪のように舞う。
それでも勢い止まらず、突っ込んでくる。
思わず身構えたが、意外にもさしたる衝撃はなく、強風が吹きつけたくらいのものだった。
「え?」
それどころか、バイクは先ほどのように華麗なターンが出来ず、よろよろと旋回していた。
「やはりそうだ。食塩は幽霊に効果がある」
布団の塊から、三色団子が飛び出した。ヘルメットは転がってるうちに落としたらしい。
「はぁ?」
そんな馬鹿な話があるか。
お清めの塩とはよく聞くが、だからって節分みたいにぶつけるなんて話は聞かない。
「トンネルに入った時に高い湿度を感じただろう? 幽霊はその体を構成するのに、水分子を使用している可能性が高い。結露に近い状態だとすれば、塩に水分を奪われて形態を維持できなくなると考えられる」
「そんな、なめくじじゃねえんだから……」
「人間のように皮膚というバリアがないという意味なら、正しい例えだね。だから塩に水分を奪われてしまうんだ」
腕組みする布団の塊だが、ちっとも納得がいかない。
「それじゃ何か? 人類は長い間、そんな湿気の塊にビビってたってことか?」
「そうだよ? だから怖がる必要なんてないんだよ。言っただろう? キミにメリットがあるってね」
「無茶苦茶だ……」
そうつぶやいたが、どこか自分でも、納得できている部分があった。
その証拠に、この暗さでも恐怖はかなり抑えられている。
「恐怖とは未知から生じる。解き明かしてしまえば怖くもなんともないんだ。あのバイクをよく見るんだ」
「え?」
三色団子が指し示した先には、バイクにまたがる人型部分が消えていく様子が見えた。
「……おかしくないか?」
「ふむ、何がだい?」
「俺が塩をぶつけたのはバイクの方だ。なのに、何で人間の方が消えていくんだ?」
「んふふふ。それもボクの仮説で説明がつく。前にも言ったが、そもそも、バイクの幽霊なんているはずがない。霊とは生き物の死後の姿なのだろう? 古人は付喪神といって物が化ける伝承を残したが、しかしもしモノに霊があるのなら、ごみ処理場ほど出るはすだ。しかし、そんな報告例は一度も目にしたことがない」
「そりゃまぁ……」
「霊というものが人体に備わっている機能ならば、服すら纏っているのがおかしいのだ」
魂が服を着ているというのは、言われてみればおかしな話だ。
一方で、全裸の幽霊というのも滅多に聞かない。
「しかし実際、着衣の姿で現れるというなら、なにかカラクリがあるはず。だからこそ、塩化ナトリウムで人型が消えた」
どういう意味か聞き返そうとしたが、それはすぐに明らかになった。
周囲を照らす鬼火がほろほろと崩れ、どんどんバイクの形を保てなくなっていく。
やがて、それはうっすら発光する人型の何かになった。
目や口などはよくわからないが、概ね人体だと言える形だった。
「人間……?」
「そうだ。人体から発生するものに衣服があるはずがない。ましてやバイクなどあるはずがない。ならば答えは簡単だ。人体が変化しているのだ」
「なる……ほど……?」
「つまり、擬態だ。バイクも首なしライダーも、一人の霊の擬態にすぎないのだ。だから頭部を欠き、思考が出来ないということもない。完璧な理論だ!!」
バイクに化けた幽霊ってことか……?
そんな無茶苦茶な……。
「でもなんで首なしライダーの恰好なんか……」
「仮説はいくつか考えられる。バイクが本体なら、それに近い部分から生成されるので、一番遠い頭が最も生成度合いが低いだとかな。ぬふふ……ああ、脳が回転しているのがわかる! 生きてる実感がわくね!!」
「楽しそうなとこ悪いが、ここからどうするんだ……?」
弱弱しく浮かぶ人型。
だからと言って人間がどうこうできるようには見えない。
「だーかーら、幽ぱっくを使うんだよ。研究のため、捕獲するんだ」
「そうじゃなくて……あれは、人間なんだろ? それを捕まえるなんて、いいのか……?」
与太話と思っている間は別に良かった。
どうせ現れはしないだろうから、深く考えていなかった。
だが、ああはっきり幽霊を見た今では違う。
「人間ではない」
「幽霊は人間じゃないと? 俺はそんなに割り切れない」
「人権の話ではないよ。幽霊とは、空間に焼き付いた残像のようなものだと思うといい。液晶焼けと同じだ。だからあれは本人ではないんだ」
「残像……」
「誰かの写真を破いても本人を傷つけたことにはならないだろう?」
理屈はなんとなくわかった。
だからって引き金が引けるかは――
「!」
逡巡している間に、鬼火の中の人型が形を変え始めた。
再び、バイクになろうとしている。
「まずいぞ! 水分子が凝縮すれば、体当たりに物理的破壊力が生まれる!」
入口のフェンスを突き破ったみたいにか……!
「早くやるんだ!」
「しかし――」
「いいかい! 不可解を不可解のまま放置すれば、キミのように夜も不安で眠れない人間を生むことになるんだぞ! 全てを明らかにして、安眠したいとは思わないのかい!」
「くそっ……! 言われてやるのは癪だが――」
クソ重い幽ぱっくを再び肩に担ぐ。
首なしライダーではなく、もはやライダーなしバイクが突っ込んでくる。
正直、人型でないほうが気は楽だ。
猛突進してくるバイクを前に、妙に呑気なことを考えていた。不思議と頭痛や吐き気も消えている。
バイクの前面に照準を合わせ、引き金を引く。
「南無三!!」
咄嗟に出た言葉は、残像に対してなら似合わないものだった。
一方、バズーカのような砲身からは何かが出ることは無く、代わりに凄まじい音が響き始めた。
それは風が猛烈に吸い込まれることで生じた音。
直撃してくるかと思われたバイクが、一瞬のうちに吸い込まれていく。
突進していただけに避けることも抵抗することもできず、跡形もなく吸われてしまった。
「う、うおおお!?」
吸引の激しい騒音はともかく、凄まじい吸引力に体が持って行かれそうになる。
勢いが強すぎて、本体を制御できないのだ。
全力でこれを支えるが、その体をも持って行こうとする吸引の勢いたるや。
背面側の空気まで持って行きそうになるほどの掃除機があると想像してほしい。
まるで近くに巨大なプロペラがあるかのような恐怖感だ。
油断したら吸い込まれてぐちゃぐちゃになるんじゃ……!?
「どうやって止めるんだこれ!?」
猛烈な音の中、遠くに離れてやがった三色団子に叫ぶ。
音すら吸い込みかねない吸引だが、逆方向なぶん通じたらしく、手を振る布団の塊。
「発生させた極小ブラックホールはホーキング放射によって蒸発する!」
「原理の話はしてねえ! っていうかブラックホール!?」
そんなもん、人工的に作れるのか!?
一介の高校生が、どんな技術力してんだよ!?
「つまり止める方法はない! 蒸発するまで耐えるんだ!」
「ふざけんなああ!!」
「心配ない! すぐ消える!」
「その前に俺が――うおおおおおお!?」
本当に、いきなり止まった。
吸引が突然止まったために、後ろに体重をかけて踏ん張っていた俺は、真後ろにすっ転んだ。
抱えていた幽ぱっくは、ちょうどジャーマンスープレックスの形でアスファルトに叩きつけられる。
「おおい! 何をしてるんだい!」
「馬鹿野郎! あんな急なの人間が対応できるか!!」
ジャーマンの体勢で天地が逆さになった向こうに見える動く布団に向かって怒鳴るが、俺よりも幽ぱっくに向かって駆けてきた。
ヘッドライトを付け直しているのでチョウチンアンコウのようでもある。
その深海魚は、俺が起き上がるまでの間にゴソゴソと幽ぱっくを触る。すると、まるで普通のキャリーバッグのように大きく開いて、中から箱状のものが飛び出した。
「なんだそれ」
「これに幽霊を捕獲したのさ」
その箱に、愛おしそうにほおずりする霊子。
「ほんとに残像が捕獲できるのかよ……」
「厳密には、焼き付きを起こした空間の粒子を捕獲したのさ。これを分析すれば、より幽霊のことがわかるはずだ」
「予想通りだったんじゃないのか?」
「ある程度は仮説の通りだ。だが全てじゃない。特に鬼火のメカニズムが全くわからない。ルシフェリンとルシフェラーゼの反応だとすると、それを生産しているはずだが、人体ですら生成できないものが焼き付きに出来るかというと疑問だ。いくら霧に近いとはいえ、チェレンコフ光で常時発光するレベルの放射線量なら、とうにボクたちは死んでいるはずだし……」
「おい、そんな物騒な可能性があったのか!?」
「0ではないが有り得ないだろうね。祟りの原因が放射線というのは仮説としては面白いが、幽霊がそのたびに放射線を撒いているなら、絶対に痕跡が残る。携帯しているガイガーカウンターにまるで反応はなかったのでね。それは安心していい」
「ガイガーカウンター? なんだそりゃ」
必殺技か何かにしか聞こえないが、霊子は布団から電卓のようなものを取り出してきた。
「放射線測定器さ。最低限、危機管理はしてるんだよ」
「幽ぱっくに吸い込まれそうだったんだが」
「安心するんだ。一応安全装置はある。本体を爆破すると同時に、スピンをかけたブラックホールを宇宙に撃ち出す仕組みだ」
「それで何を安心するんだよ!! 倫理観のねえドラえもんかお前は!!」
「誰がタヌキだ!!」
「全部間違ってるんだよ!!」
叫びすぎて息が切れてきた。
ほんっとにコイツは――
「で、どうだい? もうあたりは真っ暗だ。怖いかな?」
「え?」
言われて気づいたが、完全に陽は落ちている。
お互いのヘッドライトで完全な闇ではないが、周囲はもう真っ暗だ。
なのに。
「あれ……? 平気……かもしれない……」
あれほど襲ってきた不安が、今はさほど感じない。
あまり意識すると不安になりそうだから、どこかでセーブしている自分もいるが、それでもいま平気なのは確かだ。
「これではっきりしたね。キミは、暗闇が怖いんじゃない。そこから来る幽霊が怖いんだ」
「な……」
「いま、キミは幽霊を捕獲した。だから安心したんだ」
「そう……なのか?」
幽霊が怖いと言われても、実感はまるでない。
ホラー映画は好きじゃないが、それ系の漫画読むし、それこそ、『ゴーストバスターズ』だって問題なく観れた。
「やはり幼い頃に闇の中で幽霊を目撃したんだろう。そしてまた出て来ることを恐れた。だからこうして本当に出てきたら、むしろ安心する」
「……なんでもお見通しみたいな言い方だな」
「いいや! わからない! だから仮説を立てる! それが当たっていた時の快感は何物にも代えがたいよ!」
満面の笑みが、ヘッドライトの明かりで照らされる。
「付き合い切れねえよ……」
「そういうわけにはいかない。なぜなら」
「助手だからってか? そんな勝手が――」
「いや、ボクはもう限界だ。寝る! だからタクシーまで頼むよ」
「はぁあああああああああああ!?」
「ぐぅ……」
「マジで寝やがった!!??」
布団に体をあずけて一瞬で眠りに落ちる三色団子。
ぐーすか寝ているその顔に、怒りが沸き上がりそうになるが、押し留める。
なぜなら、俺にもわかっていたからだ。
今日は俺も、安眠できるはずだ、と。
十何年かぶりに、ぐっすりと。