なかちゃん
「ふむ、悪夢だと思っていたのは過去の経験だったわけだね」
「ああ……たぶんな」
放課後に部室へ向かった俺は、今朝の夢について霊子に相談していた。
時間が経ってなお、鮮明に思い出せるそれは、過去の出来事を思い出したのだという確信めいたものがあった。
今まで全く思いだせていなかっただけに、自分でも困惑しているが、本当に堰を切ったように思い出された、そんな感覚だ。
だが、あれが過去にあった事実だとすれば――
「いよいよボクの仮説が正しい可能性が高まったね」
「仮説ですか? それはどういったものでしょう? 聞かせてください」
「っていうか、何で委員長が居るんだ?」
当然のように委員長がメガネをくいくいさせて聞き入っていた。
「こんな狭い部屋の中に居て、今頃気づいたんですか?」
「いや、単に指摘するタイミングがなかっただけだが……」
「なるほど、そういうことですか。よく漫画である、バッチリその恰好をしてから「なんで私がこんな恰好しなきゃいけないのよ!」と叫ぶツンデレヒロインのような様式美かと」
「委員長、そういうの読むんだな……」
「ラブコメ漫画は好きですよ。色々参考になります。ラッキースケベとか」
漫画が子どもに悪影響を与えると騒ぐ人間はいるが、コイツは影響を受けるために読んでるという、大人が想定していないタイプの猛者のようだ。
「ラッキースケベ実践してるのかよ……」
「ええ。貴方だってオカズにしていたでしょう?」
「……」
「おい! そこは大声で否定するところだろう助手!」
「……否定すると余計嘘くさくなるんだよ」
「ほぉら! 助手は科学の徒だ!」
なぜお前が勝ち誇る。
「これ以上、助手を惑わすのは止めて頂きたい。だいたい下着を見せるなんてキミは露出狂なのかい?」
委員長がヤバすぎて三色団子がまともに見えて来る。
俺たちはなんでコイツを委員長に選んでしまったんだろう……。
「露出狂? 私が見せていたのは、下着ではなく水着です。水着だから恥ずかしくない。不思議ですね。同じ布一枚なのに。そう私たちは、概念でエロを感じている。露出度そのものではない……」
なんだよそのエロ哲学。
っていうか、水着まで用意してパンチラする執念はなんなんだよ……。
「そうか、良かったね。では、露出は外で楽しんでくれ。ボクたちは振り返りで忙しいので」
「そうです。振り返りに参加したいのです」
「残念でした。これに参加できるのは科学部員だけでーす」
三色団子の知能指数が急激に下がっている。
というか、俺は科学部員じゃねえ。
「ええ。ですから入部します」
「はぁ?」
「はぁ?」
俺と霊子の声が重なる。
「みなさんは夜に廃墟で幽霊を捕まえて回っているのでしょう? 柳谷くんにはボディガードを断られてしまいましたので、次善の策です。お二人に同行できれば、夜の廃墟を回れるわけです。私としても身の安全を確保できれば問題ありませんから」
「はぁ~……どうしてそこまで露出をしたがるんだい?」
「露出をしたいのではないと何度言えばわかるのです。私は幽霊の退治がしたいのです。たまたまその手段が、びっスパだっただけです」
びしっと胸に手を当てて言う委員長。
これが答辞とかならカッコイイんだがな……。
「……でも、そういうことなら、今や5Qがあるし、もうびっスパはやらないんだな?」
「やりますが」
「じゃあ性癖じゃねえか!!」
「自分が信頼を置ける武器なだけです。他意はありません」
どう考えてもあるだろ。
「……まぁいいさ。部員というなら邪険にすることもないだろう」
「どうした。急に寛容になって」
「三人からは部として申請できるからね。部費は期待していないが、部屋も広くなる」
「なるほど、メリットはあるわけだ。……俺は入部した覚えはないが」
「よーし、改めて部としてリスタートだ。振り返りとこれからの方針を話し合おう」
「話し合うって言ってるくせに俺の話聞いてもらえないんだが」
「さて、まずは平定についてからすべきだな。問題は、なぜ出現したのか、だ」
にゃろう。意地でもスルーする気だな。
「どういうことですか?」
「おかしいとは思わないかい? 幽霊とはこんなに簡単に見かけられるものだったかな?」
「え……」
そう、言われると。
「キミたちは二人とも、過去に幽霊を見たことがあると聞いている。だが、普段から頻繁に見かけていたかい? 例えば、クラスメートの大山車小豆のように」
「それはないな……」
「大山車さんは、ただの虚言癖だと思いますが」
「せめて不思議ちゃんくらいにしといてやれよ……」
だが事実だ。
大山車――市の伝統、散切祭りには大中小の三つの山車が出るが、それに由来する名字――は、自称霊感持ちだ。
ゴスロリ系にアレンジした制服と、毛先だけ青にした黒髪に、ピアスいろいろ。
結構、派手なほうで普通に美形だからクラスの中心にいるが、それでも物足りないのか霊感少女を自称し、様々な霊体験を語っている。
その真偽は定かではないが、多様性を認める時代だ。大半は生暖かい目で見ているが、オカルト好きの女子たちの間ではカリスマになっていて、お近づきになりたい蒟蒻山みたいな男子たちも取り巻きになっている。
俺は過去に、ディテールの甘い霊体験話にマジレスしてしまって、場を白けさせたことがあるので距離を置かれていた。
「うむ。彼女の発言にエビデンスは全くない。ただのシミュラクラ現象を心霊写真だの言って騒いでいるだけだ。だが、メディアに出ている霊能力者とやらはみんな同じようなことを言うだろう? そういった世間一般の共通認識としての霊感とやらと同等に、キミたちは霊を見るかい?」
「ないな」
「ないですね」
シミュラクラ現象が何なのかはわからないが、話すと長くなりそうだから聞くのはやめておいた。サッとスマホで調べたら逆三角形に配置された三つの点があるだけで顔と認識する錯覚だそうだ。
「だろう? 言い換えれば霊感とされるものを持っているというほどでもない。しかし、だというのに、キミたちは三度以上、体験しているはずだ。原体験と、首なしライダーと平定。特に後ろ二つは間隔が近すぎる」
「でも、出るって噂があったわけだしな……」
「そうかな? それこそテレビなんかで、最凶心霊スポットだのといううたい文句でロケに行って、幽霊に出逢えずに終わるばかり。せいぜい、単なる反射をオーブだなんて言ってお茶を濁すだけだ。カメラマンが玉ボケも知らないはずもなかろうに滑稽なことだが、つまりそれほどまでに出ないということだ」
いや、まぁ、それはバラエティだし……と思ったが、逆に言えば、出ないことを前提にした作りということだよな。
当たり前だが、みんな幽霊だ心霊だ言いながら、見たことがある人なんてほとんどいないのだ。
最近は心霊系ユーチューバーが大人気で、それに乗っかるように、テレビでも心霊番組が多数始まっている。
平成初期以来の盛り上がりだそうで、当時の人面魚――どう見てもデコから鼻にかけてU字の模様があるだけの鯉――の映像と共に情報番組が熱狂ぶりを伝えていた。
ちょっと前までコンプライアンス的に問題があるからと心霊番組を自粛していたわりに、数字が取れるとわかるや、それ一色になるというのも、幽霊より人間が怖い的な小噺のようでもある……。
いずれにせよ、それほどたくさんある心霊番組やネット配信においても、はっきりとした幽霊は一度も現れているのを見たことがない。
少なくとも、生で見た首なしライダーや平定ほどのものは。
「つまり、われわれの遭遇率は異常ということですか?」
「再現性が高すぎるね。無論、ボク自身も遭遇しているし、存在自体を否定したいわけじゃない」
「なんか原因があるんだろうな。三人とも霊感バリバリってわけじゃないんだし、個人の能力ってわけでもなさそうだが……」
「そういうことだ。幽霊の存在は、少なくとも確認出来た。次はその発生率について研究テーマにしようと思ってね」
「ずいぶん回りくどかったが、そういうことか」
「順序は大事さ。ところで確認しておきたいんだが、古田門那珂、キミは何度も夜の心霊スポットに行き、その姿を幽霊と誤認されたのはわかっている。一方、キミ自身はどれだけの幽霊に遭遇したんだい? 正確な数が知りたい」
「そうですね……」
言って、委員長はひぃふぅみぃと指を折る。
「幼少期に一度、数年前に一度、それから今年に入って、首なしライダーと喋る人形、そして平成の阿部定の5回ですね。心霊スポットに行ったのは今年7回なので確率7分の3ということになります」
「多いな……それに喋る人形って……」
「隣の県にある人形館ですよ。個人の収集したものですが、その人物の死後、邸宅ごと放置され、有名心霊スポットになっていました。そこで日本人形が「タスケテタスケテ」と話しかけてきたのですが、びっスパをしたら以降、二度と喋ることはなくなりましたよ」
……人形もいきなりケツ叩きながら絶叫してくる相手にはもう助けを求めないだろうな。
「今年より前にも心霊スポット巡りはしたかい?」
「はい。ここ数年、行っていました。一度は成功したとはいえ、びっスパが本当に効くか試したかったですから……でもそうですね。考えてみれば、今年になって急に霊と遭遇するようになっていますね」
「やはりそうか。……しかし、約42%か。再現性が高すぎるね……」
「びっスパの撃退率は4分の3ですからもっと高いですよ」
「いや、それはどうでもいい。キミは私たちより前に首なしライダーに遭遇し、撃退はした。しかし、私たちがまた遭遇したのだから根本的解決には繋がっていなかったわけだからね」
「むぅ」
ふくれる委員長。
口数のわりに顔に感情があまり乗らないタイプなので、そのギャップでかわいい。
いやほんと、奇行さえなければクールビューティなのに……。
「無意味というわけではないよ。一定の退散効果自体は確認できているのだろう? 他に手がない際の緊急避難には使えるだろう」
「それでは困ります。私は全ての悪霊を退散させたいのです」
「なんでそこまで除霊に固執するんだ?」
「私は幼少期、幽霊を目撃したことがトラウマとなり、夜中恐ろしくてトイレに行けなくなりました。おかげでびっスパに出逢うまでオムツで寝ていたほどです。もらしてしまい、自室で履き替える羽目になった時など、死んでしまいたくなったものです」
「あの……気の毒だとは思うんだが、あけすけすぎないか……?」
すらすらと喋っているが、相当な内容だ。
羞恥心というものがないのだろうか。
「そんな経験をしたら、多少のことなどどうでもよくなるものですよ」
俺も似たような経験をしたが、そこまで割り切れはしなかった。
でも逆に、委員長のほうがよっぽど辛い目にあったということなのだ。
人生観がまるっきり変わるほどの……。
「ですから、同じような目に遭う人を、一人でも減らしたいのです。幽霊を退散させたいのです」
ああ。
わかった。
なぜ委員長が、あんなにいかれた行為をしているのに、その目が真っすぐだったのか。
根本に、嘘がないからだ。
行動に、芯があるからだ。
その場の快楽ではない、信念があるのだ。
不意に、朝見た夢が鮮明によみがえってきた。
――幼少期。
――霊体験。
――トラウマ。
「まさか……なかちゃん?」
思わず、呟いていた。
「はい?」
委員長は目を丸くした。
「裸を見せたとはいえ、急になれなれしくはありませんか?」
「そんな冷たく返されるとショックなんだが、そうじゃなくて、子どもの頃、俺と会ってないか? なかちゃんって子が居た記憶があるんだ。黒髪のきれいだった記憶があるんだ」
「はぁ……」
那珂なんて名前そうそうない。
委員長は心当たりがなさそうな顔をしているが、なにぶん幼少期のことだ。
覚えていなくても不思議はない。
「会っているわけがないだろう!!」
と、三色団子が顔を真っ赤にして叫んだ。
マゼンタ、シアン、イエローに赤。もう四色団子だ。
「いや、何でお前が否定するんだよ……」
「まぁ、会ってはいないと思いますよ。私は中学まで静岡に居ましたから。幽霊に初めて遭遇したのも富士の樹海でしたし」
「そ、そうか……俺はずっとこっちだしな……じゃあ違うか」
あの奇麗な黒髪の女の子は、てっきり委員長だと思ったんだけど。
「そんなことより、昨日捕獲した平定はどうなったのです?」
「……知らないよ」
「その言い草はないだろ。急に機嫌悪くなりやがって。……ははぁん、結局何もわからなかったんだな?」
「失礼だねキミは! そうじゃない。微物検査の出来る専門機関に回したので、現物が手元にないんだよ! 現段階では答えられないという意味だ!」
「あ、すまん……」
「とにかく、幽霊出現率の増加はほぼ確実。原因究明が必要だが、しかし、現時点ではこれと言ってやることはない。しばらくは待機だね」
「なっ」
「それは困ります。一刻も早く幽霊退治がしたいです!」
委員長は霊子の両肩……というか布団を掴んでそのままキスしかねない近距離で訴えかけた。
本当に滅茶苦茶だなこの人!
「……少しの辛抱だ。幽霊捕獲装置――5Qの軽量化と、キミ専用の装備の開発を含めて、時間が必要なんだよ」
「私専用……?」
「キミの入部は予定外だったがね。昨日の立ち回りを見て思いついたものがあるんだ。キミ、フィギュアスケートをやっていたのかい?」
「ええ。それなりに強かったですよ。テレビにはギリギリ映らないくらいの成績でしたが」
なるほど、それであんなに奇麗に飛べたのか。
「でも、背が伸びすぎて限界を感じ、引退しました」
「えっ、身長が高い方が有利なんじゃないか?」
「身長が高くなると、回転力が弱まる。選手が回転するとき、体をたたむだろう? 小柄が有利なのはそれと同じさ。無論、体重、とりわけ体脂肪の増加でジャンプが難しくなるのもあるだろう」
三色団子が補足したあたり、物理的な話なんだろう。
言われてみれば、女子選手は小柄なイメージがある。
「ええ。そういうわけです。で、スケートが何か関係が?」
「さっき言ったキミ専用装備の参考さ」
結局、この日は会議だけで解散になった。