掌⑳
理久は部屋に入ってからずっと喋っている。その間一緒にいる女の子は黙ったままで申し訳なく思った。
「理久、その子友達か?」
そう言ったときの彼女の顔が忘れられない。理久はドアの方を見たりして落ち着かない。彼女はずっと僕の目を見ている。
それからやっぱり理久も同じように、僕が記憶している出来事がいつの事なのか確認してきた。
捷みたいなこと言うんだな、そう言ったけど捷に見せられた携帯画面の日付は月日が経っている何よりの証拠だとも思った。
安静にしとけと理久は立ち上がり2人は帰ってしまった。その時理久は彼女のことを“ユウカちゃん”と呼んでいた。
彼女は捷が話してた子なのか?……
彼女は時々見舞いに来てくれた。せっかく来てくれたから話してみようと声を掛けるけど、差し入れだけ渡したくて来たと言ってすぐに帰ってしまう。
捷が言うには僕は彼女と仲が良かったらしい。長年眠ってたせいで体をうまく動かせず声すら出せなくなった僕を励まして支えてくれたと言う。会話がスムーズに出来ず苦しんでいたときに手話を教えてくれたと聞いた。
手を開いてじっと見てみる。でも、何度見ても手は手話を記憶していない。
そのうち来てくれる度になんとも言えない感情が沸くようになった。それはどちらかと言えばマイナスな要素で、胸がざわついて叫びたくなるような感情だ。
どうして僕は忘れてしまったんだろう。彼女はいつも笑顔でいる。思い出して欲しいと願ってここへ足を運んでいるはずだ。でも、そんな彼女にどうしてあげることも出来ずさらにはこんな感情を抱いている自分が嫌になる。
ある日の夜、理久が突然やってきて僕にスケッチブックを渡した。はじめは自分の物だと気付かず、理久に“返す”と言われて床頭台に入っていたものだとわかった。
「早く思い出してあげろよな」
理久はそう言った。それから僕は毎日スケッチブックを開いて眺めるようになった。ただ、スケッチブックは3ページしか使われていないうえ何が描いてあるのかわからなかった。
理久にメッセージで絵について聞いてみた。2枚目が打ち上げ花火、3枚目がキンモクセイじゃないかと返信がきた。そして、俺じゃわからないと書いてあった。
彼女が来なくなった。何かあったのかと心配にもなった。職場が一緒だという柳瀬さんに様子を聞こうかとも思った。でも、なんとなく連絡できなかった。
そして約半月ぶりに彼女がやってきた。その日は様子が少し違っていて、よく見ると耳にピアスを付けていた。彼女はパイプ椅子を手に取って座った。
そのピアス似合ってるね、そう言おうとしたとき彼女は穏やかに話し始めた。
「蓮、私ね、実家の埼玉に帰るの。だから今日はお別れ言いに来た」
「…地元、埼玉だったんだ」
「うん。独り暮らしでこっちに来てたんだけど、今月で会社辞めて戻るの」
「そうなんだ。またこっちに来ることはある?」
「……もう、ないかな」
「そっか。何度も差し入れ持ってきてくれてありがとう」
「ううん。私がそうしたかっただけから。今までありがとう」
「…」
彼女は真っ直ぐ視線を向けた。黙ったまま、寂しさの入り交じった、張りつめたような顔で僕を見ている。
数秒して彼女はそれを笑みに変えた。脆く崩れそうな笑みを隠すようにして立ち上がると椅子を壁に片付けた。
「じゃあ私行くね」
「待って、エレベーターまて見送るよ」
布団をめくって足をベッドから下ろした。すると彼女は背を向けたまま言った。
「いいの、ここでいいから。蓮、元気になってね」
ドアは閉まった。最後の声が震えてた、きっと彼女は泣いていた。追いかけるべきなのか迷う、気のきいた言葉が思い付かない。
暫くベッドに座ったまま考えていた。こんな時でさえ胸がざわついてしまう。一体何が起こってこうなってしまったんだろう……
さっき布団をめくった時に落ちたスケッチブックを拾おうと床に屈んだ。すると床にピアス1つが落ちていた。彼女が耳に付けていたものだ。淡いピンクの小さなピアス、素材は天然石みたいだ。
それらを拾ってピアスを床頭台に置いた。スケッチブックを開いてみる。淡いピンク色で塗りつぶした丸を眺めた、彼女の震えた声を思い出しながら僕はふとピアスを手に取った。掌に乗せたピアスの色が絵と重なっている。
ーーーーーーーーー そして僕はこの感情の正体を知った。




