(完結)ホレーショの知らぬもの[13]
水上家のリビングには、今日も光があふれている。日当たりも風通しもいいこの部屋に、家族が集まる理由がよくわかる。
「おかえりなさい、梨花姉さん」
「ただいまーマトイくん。この間はありがとう……って――――」
喜びで満ちあふれた顔で振り向いた梨花姉さんの目が、まんまるに開かれる。
「悠馬兄さんも、おかえり。二人とも結婚おめでとう」
「ありがとな。マトイはちょっと見ない間に男前になったね」
「今日からなんだ」
「へぇ。誕生日プレゼントか。やるなぁ」
極々軽い調子で小突いてくる悠馬さんの顔もいつも以上に生き生きしているようで、寄り添い合う二人の姿に俺は嬉しくなる。
「その顔って簡単に変えられるのか?」
「ううん。宣伝用に作ったアプリの売買契約がいくつか結べて、まとまった金額が入ったんだ。いくつかは未来から操作できる部分もあるけど、部品や素材はこの時代で買い足してて……そう簡単でもない」
「ふぅん。でも変えたんだ?」
「うん。これからも実際の俺に合わせて変えていくつもり」
「そっか。じゃあ手ぇ抜いた生き方は出来ないな」
「一生懸命やるよ」
俺の答えに、悠馬さんは満足そうに口の端を上げた。
俺たちのやり取りを何のことやらと見守っていた梨花姉さんが、焦れたように悠馬さんの手を引く。
「そんなことより、ココにはもう見せたの?」
「いえ、まだです」
「じゃあ真っ先に披露してあげなきゃ。ゆうゆうも、こんなところで引き留めないで」
「それもそうだな」
嗜められた悠馬さんが、悪戯っ子の顔をする。
その目が俺をすり抜けて兄さんに向かったかと思うと、兄さんが俺の背をぐいぐいと押して叫んだ。
「おーい、今日の主役!」
「はぁぁい」
間髪入れずに返った弾むように明るい声と、ぴょこんとキッチンから飛び出した顔。
誰が調達してきたのか、「あんたが主役」と書かれた襷を躊躇いなく掛けたココが、テンション高くさえずる。
「呼んだー? お姉、ゆうゆう、ケーキありがとう! 今日のメニュー私の好きなものばっかりなんだよ。さすが誕生日だよね。私、誕生日ってだーいすき! ――――え? なに? こっち見てって?」
前に押し出された俺を総員で指差して、ようやく向けられたココの顔。その薄い褐色の瞳孔がぐんと開いた。
「ココ、誕生日おめでとう」
「……マトイ?」
「うん」
おどけていたココの動きが、ぴたりと止まる。
珍しく、よいも悪いも言わない口に、俺は焦った。
「……あの、ココには見慣れないかもしれないけど、『今』の俺の姿になるように更新したんだ。ココが毎年綺麗になっていく隣で、年を重ねていきたくて。俺に出来るのって、こういうことばっかりなんだけど、でもココと――――」
下手な反応をもらうより先にと理由を論うのに前のめりになりすぎただろうか。
腕の中に飛び込んで来たココがどんな顔をしていたのか。
「ココ?」
胸元を掴んだ小さな両手が、ぎゅうっと縮こまる。
襷がくしゃりと音を立てる。
「マトイが大人になってる。未来で会ったときよりもっとカッコよくなってる」
震える声のココの目尻を指の腹で撫でると、涙が付いてきた。
「なんで泣くの? ココ」
「なんでかな、嬉しくて」
顔を上げたココは赤くなった頬と拭っても拭っても止まらない涙をさらしたまま笑った。
濡れた睫毛がきらきらと上向く。
ココの手が遠慮なしに俺の顔を引き寄せた。
「マトイ、ちょっと痩せた? 頬がシュッとしてる」
「そうかな」
「背、伸びたね」
「うん。まだ少し伸びてる」
「毛先ちょっと軽くした?」
「佐藤さんの勧めで、ちょっとだけ。駄目だった?」
「ううん。あの日からこんなに変わるくらい、マトイが頑張ってここに来てくれたんだなって思ったら……」
ココの指が俺の耳を、頬を撫でて、そのまま肩を辿る。
「どんな変化でも、マトイのこと全部知りたいなって、思ったの」
「えっと……うん。ココが全部知ってて。俺にこの未来をくれたのはココだから、ココに見て欲しかったんだ。俺の一番傍にいるココに」
このあたたかな家族を捨ててでもココが掴もうとしてくれたものを、俺もココも忘れてない。
それは平和にまみれて薄れていくような、そんなものじゃないから。
それが今ここにいる、俺とココの原点。
「……マトイの未来をココに見せてくれて、ありがとう。マトイの未来に関わらせてくれて嬉しい」
「この先の未来も、ココと一緒がいい。全部ココが見てて」
「おじいちゃんになるまで、全部だよ」
「うん。カッコよくなくなるまで全部」
「おじいちゃんなマトイなんて渋カッコイイに決まってるじゃない! そんなの、一生になっちゃうよ」
「うん。一生」
いっしょうだね、と涙声で復唱したココが、腕の中で俺の手を取る。
向き合ったまま指と指を合わせた。恋人繋ぎだ。
「もう間にガラスはないから、いつでもこうしていられるんだよね」
ぽつりと零されたココの言葉。
未来でココと最後に合わせた手が面会室のガラス越しだったこと、ココはずっと気にしていたのかもしれない。
ひとつ果たしていないココとの約束を思い出した。
ここにガラスはない。
俺ももう、水槽の中の魚じゃないんだ。
「ココ、あの日の続き」
結んだ指と指をぐいと引っ張り上げて、あのとき直接触れることの出来なかったココの白い手首と手のひらに唇を寄せる。
「世界一可愛いココの反応を見せて」
手のひら越しの懇願に、ココが春の花のように色づく。
潤んだ瞳が、元気いっぱいに開かれるのがかわいい。
ココのはじけるように身体すべてを使った表現が、俺の心を引き上げてくれる。
「やーん! やっぱり最新のマトイが一番カッコイイよ! 一昨日よりも昨日よりもカッコよくて、毎日きゃーきゃーしちゃう」
「毎日きゃーきゃーしてて。ココにそうしていて欲しいんだ」
「もうずっとしてるよ。これからもずっと、毎日マトイと会うたびに思うの」
身を震わせたココの腕がどこに伸ばされるのか、手に取るようにわかった。
両手を広げて飛び込んで来たココの腰に手を回して、勢いを殺さず抱き上げる。
くるりと一回廻ると、ココの結んだ髪とスカートがふわりと浮いた。
きゃあきゃあとはしゃいだココが、一層しがみ付く。
ココの喜ぶことは大体知ってる。
それでも目と目が合ったとき、俺は予感した。俺は生涯、ココには敵わないだろう。
だって、君の一挙一動からずっと目が離せない。
「私、今日もマトイに恋してるんだって!」
その心が、時代を越えて俺を惹きつけるんだ。
この話で、本編、アフターストーリー合わせての完結となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
たくさんの感想大変励みになりました。
これから次回作に向けて執筆をつづけます。
ご縁がありましたら、またお会いできる日を心待ちにしています。




