ホレーショの知らぬもの[11]
ゆうゆうは記念日にはいつも完璧なプランを立ててくれるの。
例えばね、行った先でウキウキした気持ちになれるように、話題のスポットやテレビで紹介された流行りのお店が必ず組み込んであってね。
SNSで友達からもお祝いしてもらえるようにって、たくさん写真を撮ってくれる。
写真映えするタイミングまで図って組まれたスケジュールには、間違いなんてない。
キラキラした特別な一日はひとりでに出来上がったりなんかしないんだって。そう言って私のために全力を尽くしてくれる人。
そのために頑張ってるの、一番近くで見てるから。
だからゆうゆうがこれって決めたことには何でも賛成することにしてるの。
それが私が自分で決めてないからってゆうゆうを不安にさせてるなら、今回は私が頑張るわ。
ゆうゆうが用意してくれたものを何だって使って、私から先にプロポーズするの。
こんなの初めて。
ねえ二人とも、私のこと助けてくれる?
梨花姉さんはそう話した。
「バースデーサプライズの予約が入ってるか? そういったことはお教え出来ない規則になっておりまして」
「そこをなんとか! 駄目?」
ココが食い下がっている相手は、レストランの従業員だ。頭に疑問符を浮かべながらも大人の対応をしてくれるその姿に、ココの肩を引く。
「ココ、あんまり困らせちゃいけない」
「だってぇ……」
「別のお願いをしてみよう」
頬を膨らませるココは小動物のようにかわいいけど、今は一旦下がってもらう。
先鋒はココ。次は俺たちの番だ。
梨花姉さんを手で示しながら、一歩進み出る。
対応してくれている従業員は、歳の頃は40代、かっちりした格好を違和感なく着こなしている。
ある程度立場ある人だろう。頼み込むのにはちょうどいい相手だ。
「当日は彼女の誕生日なんですが、恋人に逆サプライズを仕掛けたいと希望しているんです」
「逆サプライズですか……?」
「私、彼に結婚のお申込みをしたいんです。彼が私に言ってくれるよりも先に」
聞く耳を持ったところで、梨花姉さんが健気な風情で訴えかける。
「いつも準備の完璧な人だから、不意を突かないと空気を読んだ彼のほうからプロポーズしてくれてしまうと思うんです。……それで……」
「彼が計画したプランの最中が一番油断を誘えると考え、ご迷惑を承知でお願いに参りました。もし俺たちの予想通り、彼がバースデープレートをサプライズで出す計画を立てているのであれば、その進行の最中だと思い込んでいる間が最も心が緩んでいる筈です」
なるほど、と結論の見えない相槌だけをもらいながら手の内を晒す。
「そこで、結婚のお申込みを書いたプレートを彼の前に置いていただけませんか?」
「なるほど」
またその相槌かと顔を見ると、茶目っ気のある目がにやりと笑った。
「そのあとで改めてバースデープレートを置かせていただけるのであれば、当レストランとしても双方とのお約束を守ることが出来ますね」
「それじゃあ!」
真っ先にココが跳ねるように反応する。
姉さんときゃっきゃとはしゃいでいるのを眩しく見ていると、店員もメモを片手に見守っているのに気付いた。
「プレートの文字はどうなさいますか?」
問い掛ける店員に、梨花姉さんは少し考えていねいにメモに書き入れる。
「口に出すのは、ゆうゆうの前だけにしたいから」
恥じらうように笑う姉さんの手元は、ココと一緒に覗き込んだ。
『私を家族にしてください』
俺は、二人の気持ちは本当は、言葉にしなくても通じ合っているのだと思う。
メモを受け取った店員がしっかりと請け負った。
「喜んで幸せなお二人のお手伝いをさせていただきます」
俺たちに出来るのは、ここまでだ。
そして当日の夜。
俺たちはホテルの出口の見えるコーヒーショップに潜んだ。
俺たちというか――――
「来たっ」
「おっ。どれどれ」
「ここで見てても成功かどうかわかんないよな」
俺だって兄弟なのに仲間外れにして話を進めてズルい! という璃久の強い主張により、璃久と格兄さんも同席している。
「梨花姉さんの手元を見て、璃久。成功なら人差し指と中指でハートを作ってくれることになってる」
「ええ? そんな小さい合図、ここから見える?」
「そんなことだと思って、ほら。璃久、兄さんが双眼鏡持ってきてやったぞ。ココとマトイも」
「お兄、用意ばっちりだね」
こんなにバタバタ騒いだら、悠馬さんがこちらに気付いてしまうんじゃないか。
そんな懸念は、双眼鏡を覗いてすぐに消えた。
悠馬さんの目、梨花姉さんしか見てない。
「あっ。見えた!」
「どこどこ? ……ほんとだぁ」
ココと璃久が口を閉ざして双眼鏡の先を追う。
格兄さんは手に何も持たないまま、姉さんのほうを見ている。
慌てて、俺の分の双眼鏡を渡した。
「格兄さんもどうぞ」
「僕はいいよ」
「でも……」
言って気づく。双眼鏡を覗くまでもなく、兄さんはひどく優しい顔をしていた。
「僕くらいになると、二人の顔を見れば結果がわかるようになってるの」
「ああ……それはそうですね」
梨花姉さんと悠馬さんの手は、離さないというように指までしっかりと結ばれている。
幸せな二人の余韻は、俺たちをしばし無言にさせた。
姉さんからの相談は、結果として俺に喜びを分け与えてくれたみたいだ。
「さ。僕たちも夕飯食べて帰るぞ」
「お兄、ホテルディナー!?」
身を乗り出すココを、兄さんがデコピンで黙らせる。
「5年は早いよ。僕たちにはファミレスで充分」
伝票を持って席を立つ兄さんにじゃれるように、璃久がまとわりついてゆく。
「えー? 特別感ないなぁ」
「嬉しい日だけど特別な日じゃないだろ。ただお前に兄が増えて、俺に弟が増えるだけだ」
「それが特別って言うんじゃないのかな」
納得した様子のない璃久。
ココと顔を合わせて笑いながら、二人の後を追う。
歩き出した俺の手は、すぐにココの手に引っ張られた。
「うん?」
「いっしょに歩こ。これ、恋人繋ぎっていうんだよ」
「指を絡めるのが?」
「うん。お姉とゆうゆうもやってたでしょ。なんかいいなって思っちゃった」
「そうだね」
ココのやわらかい肉付きの指と、俺の骨ばった指が重なるのがどうしても不思議でまじまじ見てしまう。
ココがくすくすと笑いながら手を揺らした。
今夜は月のある夜。
夜を照らす文明の灯りの優しさが、俺たちのことも平等に照らしてくれる。
楽し気な雑踏。
眠らないネオン。
帰る足取りを支えるやわらかな街灯。
ここはあの暗い森じゃない。
だけど逃げるように走ったあの昼を、夜を、俺はいつでも思い出す。
「ココ。今度こそ、何があっても俺から離れていかないで」
これから待ち受けるのは、あんなにダイレクトな障害じゃないだろう。
だけど確実に来るんだ。うまく乗り越えていけないものが、背中を追いかけてくるときが。
ココがまっすぐに月を見上げてから、振り向いた。
方々から照らされふんわりとした頬は、迷いなく穏やかだ。
「傍にいるよ。苦しくても負けないマトイの傍にいる。私も、何があっても絶対に諦めたりしないよ」
一緒に逃げた日は、ココにとってはほんの少し前なだけなのに、その顔はぐんと大人びて見える。
喜びを噛み締めていると、遙か前方の格兄さんと璃久が揃って振り返った。大きく手を振る顔は明るい。
「ココ、マトイ! 早く来ないと置いてくぞ」
「姉ちゃん、マトイ兄、まだぁ? 俺お腹空いたあ」
その微笑ましさに、溢れる笑みが隠しきれない。
進むべき道がすぐそこにある幸福を感じながら、俺は掲げられた手に向かって走るんだ。
このまま、ココと二人で。




