ホレーショの知らぬもの[7]
「ココなら出来るよ。ココなら何にだってなれる」
確信を持って言い切ると、ココが可愛らしく笑いながら抱き着いてきた。
「何にだっては言い過ぎだよ。マトイみたいに頭よくないし、数学とかも苦手だからなんとかしないとって思ってはいるんだよ。だけどね」
「勉強ならいくらでも教える」
「うええええぇぇ?」
嫌そうな悲鳴に、おかしくなる。
ココにも苦手なことがあるんだって、ほっとした。そんなのわかっていた筈なのに。
ココの持つ深淵に気圧されたんだ。
そして油断した。
「でも、他にも案があってね。将来代理ボディを造るなら……あーっと、難しいことはマトイがやってくれると思うんだけど、私も理解出来るくらいにはなりたいなと思うからそういう分野とか」
「………………」
「逆に設計やデザインとか――――勿論私には難しいと思うんだけど、勉強しておいたら役に立つかなって。あとね、アトピーやアレルギーに詳しくなれるように医療系っていうのも考えたんだけど、向いてない気がして。それから……」
俺よりずっとココのほうが考えてる。
違う。
俺が何も考えていなかったから、ココが何でも考えなきゃいけないんだ。
ぐるぐると思考する俺の目を、言葉を止めたココが至近距離からじっと見上げている。
爆弾を落とされる。
予感があった。
「それから、やりたいこと追いかけるばっかりだと安定した就職口に繋がるかわかんないから、手に職を付けるって選択肢もあるよね」
強張った指先に力が籠る。
ココは大きい。ココの一歩一歩は高くて、俺がまごついていたらココが一人で何でも解決してしまう。
「嫌だ」
「いやなんかじゃないよ。だからマトイ、不安な顔しなくていいんだよ。どんな選択肢だって選べるんだから」
「嫌だって言ってる!」
思わず怒鳴って、自身のその肩を脅かした。離れた腕が、曖昧に落ちる。
「ごめん」
我ながら血の気の引いた声だ。ココは言葉では答えないまま、首を横に振った。
それから続けられた声は落ち着いていた。こんなところがひどく格兄さんに似ていると思う。
「じゃあ、どうしたい? マトイは私に、どうして欲しいの?」
「俺は――――っ」
漠然とした想いが、言葉にならない。
すんなり俺とココとの間に入り込んできた風の冷たさに、唇を噛む。
「……聞かせて。ココは、俺に会う前には何になりたかった?」
「うーん。笑わない? 馬鹿にしない?」
「しない」
「えーーーっとね」
俺から離れてふらふらと漫ろ歩くココの背中が、ぽつりと答えた。
「お嫁さん」
なんだ……。真っ先に浮かんだ反応はそれだったが、ひやりとしたものに気付く。
未来のものよりも低い目の高さ、細い腕、変わることのない手の皺。
ココの背中の寄る方のなさに、昨夜の忠告を思い出す。
沈黙を何と思ったのか、ココが言い訳をするように言葉を重ねた。
「ほら、うちはお母さん専業主婦だし、それが一番身近だったっていうか」
「うん。そうだね」
そうだね。
俺たちはもっと、前に進まなきゃいけない。
「じゃあ俺は、ココを歴史上で一番幸せな花嫁にするのが夢だよ」
「大きく出たねぇ」
何てことなさそうに、過分な期待もしない様子で笑うココ。
信用の勝ち取り方なら知ってる。短期的に目に見えた成果を得られる、比較的重要なタスクから片付けること。
それから、自分ではどうにも出来なくなったときに言うことだって、今は知っている。
「こっちでお金稼ぐ方法、考える」
「マトイがそうしたいから?」
「うん。ココと一緒に生きていきたいから。だから、俺のことを助けて欲しい。ココの希望に足りるほど完璧にはなれないかもしれないけど、ずっと傍にいるために互いに何が出来るのか――――俺と考えてくれる?」
語りかける間にも、ココの背中が少しずつそわそわと揺れ始める。
ココの言葉に、態度に、また導かれたかな。
俺が迷ってるとき、間違った思考に囚われてるとき、決してうんと頷かないの、気付いてる。
そんな天秤を持ったココが、待ちきれないというように全身で振り返ってにんまり笑った。
「マトイはいっつも私に対して完璧! そういうとこ、大好き」
「よかった」
「一緒に頑張るなら、どんな結果になったって絶対楽しいよね! お金を稼ぐマトイかぁ。どんなお仕事しててもカッコよさそう」
「働き甲斐がある見解だな」
ココに追いついて腕で軽く小突くと、躊躇いなくココが腕を絡めてきた。
じんわり温かさを感じながら、もう一つの懸案事項を思い出す。
今日の目的地に向かうために歩道に戻りながら、切り出し方を脳内でシュミレートする。話せる、ような気がする。
「それで、早速一緒に頑張って考えて欲しいことがあるんだけど」
「うんうん。なにかな?」
「梨花姉さんと悠馬さんのこと。なんとかしたいんだ。お世話になってるし、お節介かもしれないけど……」
ココが目をぱちくりとさせる。
やっぱり、余計なことだっただろうか。
不安になる俺の前で、ココが考え込む様子を見せる。
「うーん。放っておいてもそのうち纏まりそうだけど――――でも、マトイが後押しすることに意味があるといえばあるかな、うん」
珍しくも、ぶつぶつと呟きながら自分の世界に入っているココに、俺は早速後悔した。
未来でも及第点を貰えていない俺の対人スキルは、また外してしまったらしい。
「静観しているほうがいいなら、無理にではないんだ。ごめん、変なこと言って」
「ううん!」
悄気る俺の隣で、ココが勢いよく頭を上げた。
「やろうよ。いいこと思い付いちゃった!」
「やってみても、よさそう?」
「勿論だよ。私だってゆうゆうには何年も可愛がってもらってるもん。どうせなら盛大にお節介して、ゆうゆうのこと満点の笑顔にしちゃおうよ!」
「二人をじゃなくて、悠馬さんを?」
「うん。お姉には共犯者になってもらうの。そうと決まれば作戦会議だよ、マトイ。楽しくなってきたね」
ココの思い付いたいいことは俺には見当もつかないけど、ココが弾むように歩いてる――――それだけで、何もかもがうまくいくような気がした。




