ホレーショの知らぬもの[4]
悠馬さんの言葉に唾を飲み込む。
リビングに飾られた家族の写真を思い出した。
精一杯に背伸びして着飾ったのだという七五三、晴れがましい顔を向けるそれぞれの入学式、毎年恒例のキャンプで映された皆の笑顔、旅行先で戯けて映ったものまで。
ひとつひとつ大切な思い出として紹介された中には、勿論俺も悠馬さんもいない。
そこに異物が入り込むのは、ひどく奇妙な気がした。
「家族が増えるって、重大な決断なんですね。そうですよね……」
「マトイ、どうした?」
「ごめんなさい。簡単な気持ちで家族の中に入れてもらえる筈はないのに、なし崩しで俺のこと置いてもらってしまって」
「あーっ、そう来るか。違うからな。俺はお前を非難したんじゃないよ」
悠馬さんが隣から案ずる目で覗き込んでくる。俺はベッドの上で縮こまった。
急に息がしにくい。
事態を見守っていた格兄さんが、注目を集めるように腹から声を出した。
「うーん。悠馬の言うことはわかるんだけどさ、僕たち、家族が増えるのにはちょっと慣れてるんだよね」
特に僕と梨花は。と、続ける兄さん。
さすがに話題上力の抜けた座り方が相応しくないと考えたのか、一旦足を抜いて座り直した。
「え。増えるのに慣れるって、格さんも結婚まだなのに」
「……まあ、二人とも家族になるんだし言っちゃってもいいよね」
いくらか視線を上にやって思案する様子を見せてから、内緒話だというように椅子をベッドに近付ける。
俺と悠馬さんも、少しずつ距離を縮めた。膝詰めだ。
「僕たちココとは歳が離れてるから、ココが産まれたの覚えてるし、その段階で家族が増えるってこんな感じか、って頭があったんだけど」
「十くらい離れてるんでした?」
「そう。俺とココは十。その下の璃久とは十三」
梨花さんと兄さんは年子だと聞いている。兄弟四人で随分年齢差があるんだなとは思ってた。
「璃久はある日いきなり親が連れてきた子なんだ。それを思えば、マトイくんもそう変わらないかなって」
「いきなりって、どこから……」
「具体的には知らないなぁ。血が繋がってないんだ。特別養子縁組ってやつ」
制度としては読んだことはある。当初の家族とは完全に縁が切れ、実子同様の扱いになる養子縁組だった筈だ。
身近なものとして考えたことはなかった。
悠馬さんも虚をつかれた顔を晒している。
「それ、璃久は親戚の子とか?」
「いーや。今思えば、最初は里親だったのかもね。今日からうちの子って紹介されたからそういうものかと思ってさ」
「受け止め方軽いな」
「相手は一歳未満の赤ん坊だよ? 何言ったって無駄。ぴいぴい泣くしさ。僕たちが拒否したらこいつこのまま死ぬのかなって思って――――それならさ、ココと同じように可愛がってやればいいかって受け容れた。梨花ともそう話したよ」
「おじさんおばさんもそうだけど、格さんの許容量も小さい頃からすっげえな」
呆れたような感心したような悠馬さんの言葉に頷くことで同意する。
どこか他人事のように考えなしに首を縦に振った俺を縫い留めるように、格兄さんがじっと俺を見た。
俺がそれに気付くまでたっぷり待ってから、俺には感情の掴めないうっすらと笑った顔で、兄さんが話す。
「マトイくんもさ、ちょっとどこかで死のうと思ってたでしょ。じゃなきゃ人ってあんな無茶、やらないよ」
そんなこと、と手拍子で否定しようとしたが、言葉が出なかった。
咄嗟に口を突く言い逃れなんかよりも、格兄さんの言うことのほうが真実を突いてる。俺は、俺の感情が満たされれば、俺自身のことなんてどうでもいいと思っていた。
「…………はい」
結局気圧されたように首肯した。項垂れた頭にぽんと手が置かれる。
「お前はもう、ココとのことを抜きにしてもうちの子だよ。肩肘張ってないで、好きなように過ごしなさい」
「抜きに出来ないくらい、ココがいないと俺は俺じゃないです」
「そこで惚気る!?」
「でも肩肘は張らないように、改善します」
「改善かぁ」
兄さんが笑う気配がする。
「格さん。そもそも一人だけ敬語使ってたら家族って感じしなくないですか?」
「それあるねぇ。マトイくん、まずは敬語やめてみようか」
「関係がありますか?」
「一理はある。一理あるってことは道理だってことだ。うんうん。兄さんの言うことは聞いておけ」
「そう言うなら、うん。兄さんの言うとおりにする」
「お前素直でかわいいやつだねぇ」
嬉しそうな声の格兄さんにぎゅうっと引き寄せられて、犬のように頭を撫で回される。そのまま回された腕で優しく背中をぽんぽんと叩かれた。為されるがままにしてるけど、俺の自意識としては微妙だ。 十六の姿のときの代理ボディだから子ども扱いしやすいんだろうか。
悠馬さんがちょっと引いたように距離を空けた。
「マトイー、お前襲われるぞ」
「大丈夫です。そういう機能切ってあるんで」
「いやいや入れとけよ! これはココの兄じゃなくマトイくんの兄として言うんだからな。タイミングは逃すな。機能は入れろ」
「格さんガチすぎでしょ。マジ襲うんじゃないかって引くわー」
「襲うか!」
悠馬さんの軽口に顔を赤くして怒る兄さんを見ていると、ここは正しく笑うところなんだろうと思えた。
遅ばせながらくっくっと笑い出すと、悠馬さんに肩で小突かれる。
「格さんもマトイ『くん』ってそろそろ外していいんじゃないですか」
「あーそっか。今日からお前マトイね」
「わかった、兄さん」
「……いい顔で笑うなぁ」
もはや何に笑っているのかもわからないながらも涙のこぼれる勢いで笑うと、愛想笑いをしない悠馬さんも隣で笑っているのに気付いた。
二人で肩を揺らせているのを眺めて、格兄さんがニヤつく。
悠馬さんが即座に拳で反撃する。
「格さんのその顔はなんか腹立つんすよね」
「うわひっどい」
「それで、俺も家族になれたら敬語外していいんですか?」
「悠馬はどうしようかなー」
二人の軽口に安堵しながら、俺はそっと感覚機能のレベルを上げる。
ココといられるだけで心が満たされるから、他は余分だと鈍化させていたいくつかの感覚。それをすべて未来にあるリアルボディのように鋭くした。
耐えがたいような快も苦痛も感じてもいいかと、今ようやくそう思えた。
「なんで俺そんな扱いなんです?」
「だってお前にそれ許したら僕のどこに兄要素残るの?」
「いえてる」
「否定しろよ」
目の前で生きる二人を見ていると、まっとうに生きないのが馬鹿馬鹿しく思えたのだ。




