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ホレーショも知らぬもの[3]

 あれも、これもと勧められるままに口に運んでいたせいでくちくなったお腹を抱え、どさりと座り込んだ。

 椅子ジャンクションがギシリときしむ。


 ココの家族と比べ、現実の家族との関係は未だ手探りだ。

 話すべきことと、そうではないこと。遠慮すべきことと、甘えていいこと。

 それを模索しているのは俺だけじゃない。


 父も母も、それから妹も、今まで存在して(生きて)いるけど存在(同居)していない家族であった俺との距離感を、慎重に一歩一歩詰めている。

 客人にしないように、かといって近付き過ぎて傷付けないようにと、息を詰めているのがわかる。


 誰一人ココのように、ココの家族のように急速に歩み寄ろうとしないのは、習い性だろう。

 それがおかしくなって、俺は時々ココの家の話をする。

 そして天の助けのように、皆でそれをなぞってみるのだ。沢山の称賛と共に手作りの唐揚げを食べたり、代理ボディではあるけど、家族で出かけてみたり。


 今はまだ、誰の手も俺に触れることはない。

 けれど、いつかきっと、と誰もが思い続けている。



 代理ボディへの接続の準備をしながら、十年以上眺め続けている水槽に今日も目をやった。

 くぷくぷとエアレーションから出た酸素の泡が、水中を駆け上がる。

 泡を楽しむように旋回するナンヨウハギを見ながら、椅子(ジャンクション)の上で頬杖をつく。


 ココが光の差し込む水槽を見ては、ほんのひと時心(なご)ませていた姿が脳裏にチラついた。

 そして、あのときの自分の心の内も。






「あ、起きた」

「お邪魔してるよ」


 接続直後の代理ボディの耳に立て続けに声が入る。

 声の方向に目を向けると、予想通りの二人がそこにいた。

 スウェットを着た小柄ないたる兄さんと、背の高いスーツ姿の悠馬さんだ。


 悠馬さんがラックに置いたパソコンに相対してコードを両手に持っていることから、状況はすぐに理解出来た。


「すみません。やってもらっちゃって。……俺、時間に遅れましたか?」


 起動時間に誤差は許されない。

 小さな不具合には原因がある。回り回って時代が狂ったなんてことになっては正視出来ない。

 神経を尖らせたが、どうも瞬時に見抜かれたらしい。悠馬さんがこちらに動じない顔を向けた。


「あー違う違う、お前は時間通り。俺が早く来たの。そしたらいたるさんが部屋に用事あるって言うからさ」

「本棚にちょっと。停止してた(休んでた)のに悪いね」

「ああ……いえ」


 いたる兄さんと、俺はこの部屋をゆるく共用している。

 時折週末にふらっと訪れるだけだからと快く部屋を提供してくれた代わりに、頼まれごとをされているからだ。


「いつでも避難場所にしてくれて構わないという約束ですから」


 軽く首と手を動かして動作確認を完了させる。接続良好。

 身体を起こすと、デジタル時計の数字に目を走らせた。

 20時01分。悠馬さんの請け負ったとおり、日付、時刻共に誤差はない。


「なにそれ」

「悠馬聞いてくれる? マトイくんが寝てる間は誰もこの部屋入ってこなくなってさぁ、天国なの」

「いやいや。一人になりたいなら家帰ればいいじゃないですか」

「んー。でもなんか来ちゃうんだよねー。飯あるし」

「わかる。この家飯うまいんですよね。俺なんかマトイにパソコンやるって口実で晩飯ご馳走してもらってますし」


 余計に気遣い合わない会話のトーンは、今では同僚になった佐藤さんと加賀井さんのものとも似ていて居心地がいい。

 手元を止めずに話し続けていた悠馬さんが、コードを手早くまとめ上げてから電源ボタンを押した。画面が光る。


「お、ついた。おめでとう」


 椅子の背を股で挟んで座り、背(もた)れにあごを乗せたいたる兄さんが本を持ったまま手を叩いた。乾いた音が半端に響く。


「ありがとうございます、悠馬さん」

「いえいえ。マトイから見たら旧型もいいとこだろうけど、ないよりマシだろ」

「充分です。スペックの必要なことをする予定はないですし、必要なソフトは都度作ります」

「さっすが強気ぃ」


 悠馬さんの力強い手が俺をパソコンラックの方に押した。咄嗟に背中を固まらせる。

 ――――しまった。また慣れない反応を。

 唇を噛み締めると、力を抜けというように肩を揉まれた。

 存在に気付かせるように二、三度振られたいたる兄さんの手が、手首を軽く引っ張る。


「ねえねえ、スピーカーは僕からだよ。いい音するんだ、これ」

(いたる)兄さんもすみません」


 パソコンを挟んで置かれたスピーカーは、アピールするだけあって少し高級感を感じさせるデザインだ。


(いたる)さんこれ高いんじゃないですか?」

「いーの、この前もっといいやつ買ったから。欲しかったらマイクも下げ渡せるから、言って」

「演劇で使うやつなんですか?」

「これは趣味。でもボイスドラマとか作ってみてもいいかもね」

「演劇……?」

「そう。僕、演劇の社会人団体に入ってるの」


 兄さんがドヤ顔で手持ちの本を見せてくる。

 山ほど付箋の付いた『ハムレット』と、付箋はないが読み込まれた気配のする『吾輩は猫である』。


「シェイクスピアと、夏目漱石ですか」

「気になったら好きに読んでよ」

「ハムレットって、どんな話でした?」

「王子ハムレットによる父親の復讐譚。名台詞が多いんだ。『ホレーショよ、天地には汝が哲学にて夢想し得ざる所の者あり』」


 いたる兄さんは、演劇をやっているというだけあって芝居がかった発声で台詞をそらんじた。

 大声でもないのに迫力と気品を感じさせる様子に、悠馬さんと共に目をしばたかせる。

 ホレーショ?

 いや。大筋を辿ったことしかないけど、それにしてもハムレットにはもっと他に有名な名言があったような……。


「古典か。意味がわからん、凄そうなことだけは伝わってきますよ」


 見た目からして文学への造詣は深くなさそうな悠馬さんは、あっさりと理解を放棄した。

 兄さんも最初から期待はしていなかったらしく、俺に本を向けてくる。


「マトイくんはどう?」


 どうせだからと、俺は二冊とも手に取った。


「読ませてもらいます」

「律儀だなぁ。段々マトイくんがどういう奴なのかわかってきたよ」


 進めておきながら、本当に受け取られたら笑いだす兄さんは人が悪い。

 本を裏返してみると、あらすじ欄があるタイプの本だった。

 綴られた『決闘』の文字に、()のことを思い出す。


「ところで昼間、梨花姉さんから相談を受けたんですが――――」


 下手に隠し立てするよりも、二人にそのまま相談して伝書鳩に努めたほうがいいだろう。

 この家の中の誰一人にすら、俺は立ち回りで勝てる気がしない。

 そう考え昼間のやりとりをそのまま伝えると、素直な奴だなと笑って応じられた。


 兄さんがにやにや顔で悠馬さんをつつく。


「思わせぶりだねぇ」

「はっはっは。伝わってるようでてんで伝わってないなー」


 皆の予想のとおり、悠馬さんはプロポーズしきれずもじもじしていたというわけでは勿論なさそうだ。

 俺が促すまでもなく、兄さんが合いの手を打った。


「でさ、何がしたかったの?」

「マトイ。梨花はどうしたいって言ってたか? 結婚したいとかしたくないとか」

「いえ、そういうことは」


 だろうな、とシンプルに一言。

 少しうなってから、覚悟を決めたようにドカリとベッドに腰を下ろした。


「梨花は、あいつはさ、言わないだろ普段から。何でも他人の都合を優先させてばっかりで」

「ああ、うん」

「自分の希望を主張するイメージはないですね」


 夕飯のメニューひとつ決めるのでも、他の兄弟たちは希望をぶつかり合わせているけど、梨花姉さんはそれをジャッジしてお母さんに伝える立ち位置のことが多い。

 関わりの少ない俺が見た中でも何度かそういうことがあったから、そういうことなんだろう。


「俺が結婚するって言ったら、梨花は絶対頷くんだ」


 俺たちが納得顔になったのを確認し、沈黙で衆目を集めてから悠馬さんが不満げに口を尖らせた。


「だけど結婚って、家族が増えるってそういうことか? 違うだろ。自分の意思で決める一生のことだろ」

「そう、ですね」


 家族が増える。その言葉にドキッとして、悠馬さんの顔を見る。

 いつになく真剣な目が、梨花姉さんの部屋の方に向けられていた。


「俺は結婚だけは、俺が言うからじゃなくて梨花に決めさせてやりたい。だーかーらー、こんな回りくどい真似してんだよ、察しろよアホ」


※ 黒岩涙香『天人論』より訳文抜粋。

以降訳文には最も有名なものか、原文からの自己翻訳文を使用し、それ以外の場合には後書きに記載します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悠馬さんは自分の意志で結婚を希望してほしいからプロポーズしないんだね〜 相手を尊重してるけど、これもまたもどかしい ココの家族とのほうが距離が近いのは、ココの家族だからこそ 未来の世界で…
[一言] マトイの本当の家族はまだぎこちなかったんですね。そりゃそうか。ずっと離れてるわけだし、どう接していいのかわからない。その点ココの家では垣根がないほどぐいぐい来る。 戸惑いはあっても、心地良い…
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