ホレーショも知らぬもの[1]
マトイ視点でのアフターストーリー。最終話から約ひと月後の話になります。
庭木にとうとう蕾が付いた。
毎日物珍しく眺める俺のために、こちらでのお母さんが珈琲を入れてくれるようになった。
まだ草木の戻らない庭で、俺は毎日ココの帰りを待つ。
時に、居合わせた人が隣に座ってくれることもある。
今日もまた、そんなあたたかな日だった。
「けの付くアレなんだけどね」
話はそんな謎かけのような言葉で始まった。
散々焦らした末の吐露だ。
俺は、台無しにしないよう精一杯気を使った結果、陳腐な相槌を打った。
「はぁ、アレですか」
「マトイくん、何のことだと思う?」
少しは家族皆の性格も把握出来てきたところだ。
こちらでの新しい姉が、ココと比べて随分と利他主義で繊細なところのある人柄であることはわかっている。
日頃からココと俺に手土産の菓子を差し出しては、食べるのを嬉しそうに見ている優しい人からの唐突な奇問に、俺は唸った。
どう考えても正答させるための問いではないけれど……。
珍しくアンニュイな顔をした家族の気晴らしになるのなら少し付き合ってやろうかと、けの付く単語を探す。
手の中の珈琲に合わせて置かれた今日の手土産は――――
「け、ケーキ」
「チョコケーキ美味しい?」
「美味しいです」
「でも不正解」
何が面白いのか、面白くなくても潤滑油のように笑う人ではあるが、今日に限っては圧力めいた笑顔で次の回答を促してくる。
俺はまだこういうとき、どういった反応を返せばよいのかわからない。
「毛虫?」
「桜の木の下だから? 毛虫が出るのは花が咲いて散って葉になってからね。それも違うわ」
「ええと、じゃあ……」
21世紀のテレビジョンから流れる格闘スポーツの中継の音から単語を拾い出す。
「じゃあ、決闘」
「決闘! いいわね。本当、それならいいんだけどね」
「けについて、何かあったんですか?」
話を聞いて欲しそうな素振りに、ココがするように優しく、と意識しながら促した。
珈琲を握っていても、春先の風はまだ冷たい。
長くなるようなら、室内に移動してからでも……とさりげなく視線を向けると、予想外の光景に思わず身体がびくついた。
幸い、彼女は気付かないまま口を開く。
「それがね、結婚のことなんだけど」
「ああ、けっこん……」
室内のことは意識から締め出したかったけど、それは不可能だった。
何故かというと、中のほうから飛び出してきたからだ。
「ええ? 結婚!?」
「お姉、どうしてそれマトイにだけ相談しようとしてるの!?」
窓に張り付くようにして耳を寄せていた二人に、こちらでの姉がとんでもないと立ち上がる。
二人。即ち、この家の残りの女性陣。お母さんとココだ。
「もう。マトイくんと内緒話してるのに、何で邪魔してくるのー?」
「梨花ったら、内緒話ならもっと目立たないようにやりなさいよね」
じゃれ合う母娘を尻目に、俺は俺の待ち人に肩を寄せる。
「ココ、おかえり。帰ってきてたの、気付かなかった」
「ただいま! 帰ってきたら二人が深刻そうに話してるんだもん。邪魔しないように玄関そーっと開けたんだよ」
「すぐ会いたかったのに」
「えへへ。ごめんね。んーっ。マトイ、耳冷たくなっちゃってる」
「ああ……うん。今日はココのほうが温かいね」
ココが慣れた顔で頬を俺の耳にくっつけてくるのを、未だ照れくさく受け止めた。
俺が毎日外で待つのを気に病んだココが、「マトイの耳、外から帰ってくる私のほっぺよりも冷たくしちゃだめなんだからね!」と言って始めたこの習慣。
俺は、気温が上がったあとにも続けるんじゃないかと思ってる。
これがただ顔を近付けるための口実であるのだと、とろけそうなココの頬と、決まって握られる手が教えてくれるからだ。
「二人とも、寒いんだから続きは中で話しなさい」
「そうね。マトイくん、ストーブの前に座ってあったまって。熱い珈琲淹れ直すわね」
お母さんと梨花姉さんは、俺たちの近過ぎる距離をまるで気にしない様子で窓からリビングに戻って行った。
最初はもう少し揶揄いめいた視線を向けられたと思うが、ひと月以上も続けばこんなものだろう。
俺は室内のココに手を引かれるままに、慣れた団欒の場に舞い戻った。
「マトイは今日は隔離監査局でのお仕事だったよね」
「うん。この前保護した不法滞在者の子どもたち用に部屋確保して案内してきた。若土さんが補助してくれたんだ」
「わあ! つばめさん、会いたいなぁ」
「若土さんも同じこと言ってたよ」
俺が寒さ凌ぎに羽織っていた厚手のパーカーを器用に剥がしにかかったココが、ぱたぱたと走ってコートクローゼットに片付けにいって、また忙しなく戻ってくる。
ひと時も離れないと言わんばかりにすぐさま腕を絡めるココのかわいさは、咳払いしても誤魔化せないほどだ。
ココはこの時代に戻ってきてから、より一層俺との距離を密にした。
ココは未だ、俺がいつか来なくなる日が来るんじゃないかと疑っている節がある。
未来で別れる前に散々心配をかけた上に、ここに戻ったあともなかなか代理ボディが動き出さなかったからだと思う。
ココを不安にさせないように、もっと早い内に代理ボディに入ればよかった。
過去に持ち帰らせた代理ボディへの没入の日付を、ココを帰したあの日から一か月後に設定したのは、俺のエゴだ。
ココは日常に戻れば、俺との間に生じた想いを急性ストレス障害として処理するんじゃないかだなんて。
そうだとしても早いうちに向き合うべきだったのかなと、今になって振り返る。
ココにすまなく思う気持ちと、それはそれとして役得な思いを混ぜこぜにして、ココの鼻を摘まむことで誤魔化した。
「ちょっとマトイ、なにするのー?」
「別に」
「もーっ」
怒る仕草をしても、嬉しそうな顔を隠せないココ。
ココはココで、過剰接触をすることで俺が赤面するのを見て大層満悦そうにしている。
ココは強いから、いつも自分の機嫌を勝手に取ってしまうんだ。
俺は傍にいるだけで、そのうちココに許されてしまうんだろう。
それではあまりに情けないから、ココの幸福に、俺が寄与するようになりたいと思う。




