未来をまるごとぎゅっと抱きしめるように
「おはよー姉ちゃん、マトイの埃払っておいたよ。あと、今日は日差しが強そうだから、椅子の位置ちょっとずらした」
「え? うん、ありがと」
あれから一か月。
マトイ(身体のみ)は無事うちの一員として受け入れられた。
意味がわからないって?
私にもちっともわからないけどつまり、未来に行ってもなんとかなってしまった私の適応力は、親譲りだったということなんだろう。一家総おおらかである。
「琴子、マトイくんって好物はなにかしら」
「まだ来ないようだな。いつ頃来るだろうなぁ」
「お父さんったら、今朝もマトイくんの部屋覗いて、起きてないか確認してたのよ。そわそわしちゃって、もう」
「母さんこそ」
「だってお母さん、あんな美形の子を生で見るの初めてなんだもの。ちょっとアイドルみたいじゃない? ねぇ、琴子」
「うん、そうだね。実物もかっこいいよ」
「目を開けて動いてくれるのが楽しみねぇ」
マトイの名前はこの一か月、誰かの口に上らない日がないくらい目覚めを熱望されている。
アイドルみたいどころか、うちの中では既にアイドルだと思う。
「お姉ちゃんったら、今週末もマトイくん見に来るって言ってたわよ。彼氏とのデートはないのかしらね」
「お姉また来るの? お兄は一昨日来たばっかりだから、さすがに来ないよね?」
「どうかしらね? お兄ちゃん、日曜朝の戦隊モノを見てた子どもの頃みたいにわくわくした顔で、『俺は目覚めるところに立ち会いたいんだ!』って力説してたから、また来るかもしれないわよ」
「うちの家族、マトイのこと好きすぎるでしょ……」
当のマトイはまだ来てもいないのに、だ。
これはマトイが来たら下にも置かない歓待が待ってるんじゃないかな。
マトイがびっくりしないといいけど――――ううん、絶対驚くよね。恥ずかしがったとしても嫌がりはしなさそうなのが、せめてもの救いかな。
「まあまあ。琴子が学校の間にマトイくんが目覚めてもちゃんと引き留めておくから、安心して行ってらっしゃい」
「はぁい。行ってきます!」
あまりの家族のウェルカムっぷりになぜか複雑な気持ちになってくるけど、ありがたいことだなって思う。
私の一週間に渡る未来旅行の一部始終を話したときの皆の顔はすごかった。
マトイの生い立ちを聞いてしんみりし(お母さんは泣いてた)、マトイを好きになっていく過程にきゃーきゃー叫び(お父さんの違う悲鳴も混じってた)、マトイを置いて小屋を出た場面で私とおんなじ気持ちで打ちひしがれてくれたうちの家族は、最高だけどちょっとおかしい。
そして、頑張ったねって代わる代わる強く抱きしめてくれた。
でもこの人たち、多分マトイにも同じことをする。
私はさすがに、マトイをぎゅっと抱きしめることに関しては、うちの家族に後れをとりたくないよ!?
そういうわけでこの一か月間、私は学校が終わり次第寄り道せずに帰ってきている。
マトイは、いつ会いに来るとは私に言わなかった。
でもね、私がそうだったように、未来の一週間が現代の一週間になるわけじゃない。
だから不安になるよ。
マトイがその技術に辿り着いたならそれがいつだって、一か月も開かない日に遡って会いに来てくれるんじゃないかな。
一か月経って、まだマトイが来ていないっていうのは、そういうことなんじゃないかなって……。
ねえ、マトイ。今どうしてる?
私のこと、まだ考えてくれてる?
訊きたくても、マトイにはメールアプリですら言葉を送ることができない。
時代の壁が厚いよ。
「ココ、おはよー」
「おはよ。ひまりちゃん、今日も寒いねぇ」
「ほんとー。どうせ寒いなら雪が降ればいいのにね」
「よりにもよって快晴だもん」
ネガティブなことを考えながらもいつも通り登校を終えていた私に、後ろの席から声がかかった。
続いた話題に、持参したお菓子を披露しようとしていた手を止める。
「ねえ、知ってる? 中国で謎の新型肺炎が流行って、日本にも第一号が出たって話」
「ええ? なんか怖いね」
「怖いらしいね。昨日ココ、ゲームにログインして来なかったじゃない? イベントの後でリーダーが注意喚起してたよ」
「リーダーさすがだね。リアル生活の面倒まで見てくれるんだから」
「社会人ってすごいよね。まあ、実際身近で流行ってるのはインフルエンザのほうなんだけどさ」
「うがい手洗いしよっか」
「だね」
笑いながらも、心は未来に飛ばす。
違う。代理ボディが出来るのはミナカミ博士が生まれてからで、もっともっと先の筈。
でも――――
「でも実際に世界中に広がるなんてことがあったら、映画みたい。さすがにこの時代にそんなことは起きないよね」
「そうかな」
「え?」
私たちが世界はいつも安全だと思い込んでるだけで、どの時代にも危険がないなんてことは、ないのかもしれない。
「どんなことだって起きるんだよ。その中で一番いい手を探そうって、皆頑張ってるんだから」
「それって……なんか苦しいことだね」
「うん。でも大丈夫。諦めなければ未来は来るよ」
私の口から出た言葉に、私自身が勇気付けられる。
マトイは諦めない人だよ。私も諦めない。だから絶対に、マトイに会える日は来るんだ。
「ココ、最近変わったよね」
「え、そう?」
「うん。なんか悟りを開いたみたい。あと、より一層図太くなった」
「……褒め言葉として受け取っておくね」
「褒めてる褒めてる。それに……」
ひまりちゃんが顔を近づけて声を潜める。
「ココ、好きな人できたでしょ」
「ええ!? なんでわかるの?」
「そりゃわかるよ。いつも休み時間には鬼みたいなスピードで文字の早打ちしてたのに、この頃画面を見たまま、ぽーっと物思いに耽っちゃったりなんかして」
「そうだった!? やだ。恥ずかしいなーもう」
覿面に赤くなる私に、ひまりちゃんがにやにやしながら突いてくる。
これじゃあマトイのことばかり揶揄えないね。
「なにその反応! もしかして片想いじゃなくて、付き合ってるの?」
「えーっ、うーん……」
「ちょっとー紹介してよ紹介!」
「そうだねぇ」
ひまりちゃんの前にマトイの手を引いて連れ出す想像をしてみる。
最初は人見知りで腰が引けたマトイがそっけない対応をするよね。だけど、ひまりちゃんの裏表のない明快な感情表現に、すぐに調子を取り戻すのが目に浮かぶよ。
「うん。そのうち紹介出来るのを楽しみにしてるね」
「うわぁ、惚気られそう!」
ひまりちゃんのオーバーリアクションに、大きく笑い合う。
マトイ、今すぐ会いたいな。
未来が楽しみすぎて、私は今日も家に駆け込むんだ。
玄関ドアの取っ手を引くと、がちゃんと軽い衝撃が手に当たった。
はて。
片手に握り締めたスマホを見ても、家族からのメールは届いていない。
首を傾げつつ鍵を差し込んだ。
「ただいまーっ」
息切れしながら帰宅の挨拶を投げ掛けても、何も返らない。
靴の数をチェックすると、普段使い用のお母さんの靴が一足消えている。
「お母さんいないのー?」
家の中はしんと静まり返ったままだ。
ただ、無人になってからそう経っていないのか、室内はぼんやりと暖かい。
「お夕飯の買い物かな?」
近頃帰りの早い私は、いつも帰宅は一番乗りだ。
玄関戸の鍵を掛け直してから、スマホを片手に靴を脱ぐ。
暖房のスイッチを押して、コートを掛けて。
そうそう、と思い出して手洗いうがいを入念にしていると、水音に掻き消されるように何かの物音がした。
「あれ? 誰もいない筈なのに……」
蛇口の水を止めながら口を突いた言葉に、不安を期待が一瞬で上回る。
駆け出したとき、スマホは私の手の中にはなかった。
構わない。
マトイに与えられた部屋は、元々お兄のものだった場所で、2階の吹き抜けのすぐ隣。
ホールに戻って階段を駆け上がりながら、私は陽の光できらきら輝くピンク色の髪を思う。
階段にはいない。
2階のホールにもいない。
お願いだから、気のせいなんかじゃないって言って。
マトイといる時間はいつだってキラキラ輝いていて、私にすてきな未来を信じさせてくれた。
大事な約束だって、マトイも言ってくれた!
私は勢いよく扉を開けた。
私の目に入ったのは、たったひとり。
戸惑ったように首を振って、室内を隈なく見回す動作がひどく愛しい。
扉が開いたことに気付いて、ゆっくりと振り返った顔に嵌まった容のよい目は、記憶の通りの薄い褐色。
一度見開いてから甘やかに緩められて、そしてマトイは両手を広げた。
「ココ!」
言葉にならない。
ただ何をしたいかだけが頭を占める。
マトイの腕の中に飛び込んだ私は、思いっ切りぎゅーっとその身体を抱き締めた。
「信じてた!」
それだけ伝えてマトイの腕の強さを堪能していると、血色のよくなった耳が夕日に染められているのが目に入る。
これが見たかったの。
――――大好き。大好き!
抱えきれない思いを口に乗せて、くつろいだ猫のように首筋に頰を擦り寄せた。
-Fin-
長いお話になりましたが、最後まで読み進めてくださりありがとうございました。
改めて、心より感謝を申し上げます。
それから、たくさんの星と感想とレビューも喜んで拝見させていただきました。
続きに、マトイ視点でのアフターストーリーのご用意があります。
語り手のバトンタッチにより毛色が変わりますが、二人の現代編にあとちょっとだけお付き合いいただければ嬉しいです。




