鬱憤を晴らすように
「今日はもう休めば? 疲れてるだろ」
「うん……。ね、私制服のままだから着替えたいな。あと歯ブラシとか洗顔とかのお泊りセットある?」
「これで好きに頼んでくれていいから」
ポンと置かれたタブレットの画面に、『入力待ち』の文字。
手で触れてみても、想定されるような入力欄やキーボードは出てこない。
「どうやって頼むの?」
「え、そこから? タブレットと意思結合して……あ、脳内キーないのか」
設定変更するか、と呟きながらマトイがカタログモードに切り替えてくれた。
これならショッピングサイトと同じような見た目だ。
「どうぞ」
徹底して手渡しをせず、カウンターに物置いてのやり取り。
私は、うーん、と考える。
マトイ、人と触れ合うような世界で生きていける日は来るのかな。
「本当に好きに頼んでいいの?」
「いいよ」
「すぐ届く?」
「届くよ」
言われたとおりに画像を押すと、カコンと音がした。
マトイが壁の一角を引き出すと箱が届いてて、中にパジャマが入ってる。
「すごーい。なんでも頼んじゃお」
私が一頻り購入し始めると、マトイは付き合いきれないというように元座っていた一人掛けのソファーに戻って行った。
次々と手元に届く商品に興奮して、あれもこれもとクリックする。
するとなんということでしょう! カウンターの上には物資の山が。
買いすぎちゃったかな……。
「き、きがえよーっと」
購入したての下着は見えないようにパジャマで包みながら、いそいそと元いた部屋に戻ろうとすると、ふと疑問が湧く。
「あれ? あのベッドってマトイの?」
「え? そう」
「じゃあ私、どこで今日寝るの?」
返ってきた沈黙に、賢い私はマトイのノープランさ加減を悟った。
「ココ養うの結構めんどくさい」
「連れてきておいてひどいよ!」
ペット買うみたいな感覚で面倒くさがらないでよ!
私の内心の抗議は顔にモロに出てたのか、マトイがあっさりと折れた。
「いいよそのベッド使って」
「マトイは?」
「ココ起きたら寝る」
「そんな解決策は今まで聞いたこともないよ!?」
少女漫画では、ソファで寝るよとか、床でいいよとか、い、い、いっしょに寝ようとか、そういう方向になる話じゃなかった? これって。
決してそうしたいって話じゃないよ!
「いくらなんでも家主徹夜させて寝るわけにはいかないよ! それに、触るのがそんなに駄目なのに、同じベッド使うのはいいの?」
「布も家具も全部クリーン加工済みだし、部屋に高速除菌機能ついてるし、ココの菌は除去済みだし、平気。いいから寝なって」
「あしらわないでよぅ」
唇がわなわなプルプルしてきて、鼻の横を塩水が通り抜ける。
涙だこれ――――驚いたけど、納得もした。
落ち着いて対応しなきゃ、頑張って冷静に安全を勝ち取らなきゃってそればっかりで、感情が麻痺してたんだ。
だからって、泣いて縋ってもいいくらいマトイが安全かなんて、まだわかってないのに。
ギョッとしたのはマトイの方だ。
「泣かなくても……」
「ううぅうう、ひどいよ。私、こ、こんなにいっぱいいっぱいなのに」
「俺にどうしろっていうの?」
さすがに心配になったのかマトイが近づいてくる。
「私のこと帰してよ。帰してぇ……」
「ごめん」
その謝罪が、私の希望を叶えないものなのは私にもわかる。
自分でも子どもじみた泣き方だと思いながらも、胸が熱くて、喉がしゃくり上げるのが止められない。
「他に俺にできることなら、するから」
涙の縁から溢れ出てきたのは、私の本当の望みではない言葉だった。
「じゃあマトイも寝て。いっしょに寝て」
マトイが絶句したけど、私は覆さなかった。
マトイの弱みは掴んでる。
マトイは私に触れない――――だから、彼は傍に置いておくほうが安全な相手だ。
そんな言い訳を自分で自分に聞かせながらも、私は本心に気付いてる。
ただの腹いせだ。
私はただ、マトイが嫌なことを私のために飲み込むところが見たかったのだ。
こうして私の誘拐1日目が終わった。




