信じることを躊躇わないように
応答を押してもいないのに、通話画面に切り替わる。
でもあの印象深いピンク色の髪は、映らない。
「……マトイ?」
「もしもし、ココ。準備はできてる?」
「今ね、代理ボディのマトイと手を繋いでるよ。マトイに貰ったワンピースもちゃんと持った」
「じゃあ今、最初に来てた服?」
「うん。高校の制服」
「へぇ。もう一回見たかったな。やっぱりモニター付きの通信機強請るんだった」
拗ねたようなマトイの口調に、こんなときだけど噴き出す。
「あはは。マトイ、見に来てよ――――私の時代まで」
「うん。行くよ。待ってて」
「……うん!」
「いい返事。じゃあ、過去に飛ばすよ。失敗しないから、目でも閉じてて」
「え、もう? まだ、声聴いていたいよ」
「ずっと聴いていたくなるから、駄目。……ココを連れてきたとき、こっちに着いてから2時間くらい気を失ってたから、もしかしたら過去に戻ってもそうかも。でも、家族が見つけてくれるから平気だよね」
「大丈夫。ちょっと猛烈な眠気に襲われたことにする。……本当に、もう? もっと特別な、お別れの挨拶があるような気がして、どうしたらいいかわからないんだけど、でも……」
うまく言えなくてもごもごする私に、マトイがきっぱり言った。
「大仰な別れの挨拶なんて必要ない。そんなもので満足して、会えなくなるなんて絶対にいやだから。大事なことは全部、これから徐々に伝えていけばいいんだ」
「……うん。そっか」
その言葉に、肩の力が抜ける。
マトイは未来を信じてる。私も信じたい。
「そうだね。楽しみは取っておかなくちゃ」
「じゃあココ、目を瞑って」
「うん」
瞼を下ろすと、目の前から全てが消える。
過去も未来もなくなって、ただ私の身体と、手を繋いだ代理ボディの温もりと重さだけが感覚に残る。
――――時代回帰。
マトイの低く潜めた声を契機に、それさえも失って私は深く潜り込んだ。
一瞬ののち、私の日常はあっさりと手の中に戻ってきた。
「姉ちゃん! 父さん帰ってきたよー。支度手伝って」
「……はーい! 今行くー」
私はマトイが懸念したように2時間も気を失うことなく、ただちょっと転寝していたかのように、弟の声で目を覚ました。
時間は――――19時55分。
右手に握り締めたスマホに、「夢……?」と疑問を吐き出して、そして左手の先を見た。
「……いる」
ピンク色の髪をした、ちょっとお目にかかれないような顔立ちの青年が、私の隣に倒れ伏している。
私は知ってる。この瞼の奥には、薄い茶色の瞳が収まってるんだ。
手を繋いだまま立ち上がると、私の動きから一呼吸遅れて青年――――代理ボディも同じく立ち上がった。恐々と誘導して、ベッドの端に座らせる。
小物でごちゃごちゃした生活感たっぷりな私の部屋に、マトイの静謐さがぽっかり浮いてるみたい。
マトイの部屋は、マトイの使う気に入りのものがすっきり整頓されていて、少し寂しいくらいだったなと思う。
「ここで待っててね、マトイ」
その声掛けに反応はなかったけど、私は代理ボディを預かってきた判断に感謝した。
私は私の正気を疑うことなく、信じていられる。
未来は私の部屋の中にある。
とん、とん、と音を立てて階段を踏みしめる。
耳に自然と、久しく聴いていなかった数人分の生活音が優しく染み入った。
唐揚げの匂い。
パチパチと衣と油がぶつかる音がする。リビングのドアの開く音に、お母さんが菜箸を持ったままこちらを向く。
「なあに、琴子。まだ制服のままだったの?」
「姉ちゃん、帰ってきてからどれだけ経ってると思ってるんだよ。なあ、お箸並べて」
「う、うん」
応えながらも、足が動かない。
「ドア塞いでどうした? 琴子」
背中側からの声に振り返ると、お父さんがネクタイを緩めているところだった。
そうだった。私、お父さんが帰ってくるのを待ってたんだ。家族皆で食卓を囲むために。
「お父さん……ただいま」
「うん? そこはお帰りなさいだろう。うん、でも、琴子もお帰り」
「ただいま……おかえり!」
そう。
帰ってきた。
帰ってきたんだって、言わなくちゃ。
「あの、あのね! あのね……」
尋常じゃない私の様子に、お母さんも弟も手を止めてぽかんと見てる。
これが私の家族。私のことを受け入れてくれる場所。
「あのね、私、未来から好きな人を連れて帰ってきちゃった」
――――はあ!?
そう言ってお父さんもお母さんも固まっちゃったけど、大丈夫。
これからどんなに荒唐無稽な話をしたって、皆が私のことを信じてくれるって知ってるもの。
まあ、週末お兄とお姉が帰ってきて緊急家族会議が開かれることになったんだけどね。
いいもん。早速カレーを作って振る舞うから。




