幸せな未来を約束できるように
「ココは、目の前にいる俺が代理ボディだったら、いやだと思う?」
マトイがガラス越しに手の甲を寄せてくる。
私はその手を取る。きっと何度でも躊躇いなく取るんだろうなって、確信してる。
「うーんとね……」
考える。天秤に乗せて、取りこぼしがないように考える。
マトイの部屋でマトイとご飯を食べて楽しかったこと。
太ももと太ももがくっついてドキドキしたこと。
いっしょに寝てると石鹸の匂いの奥からやさしい匂いがすること。
ぎゅっと抱きしめると赤くなるのが、とんでもなく心に刺さること。
でも、その裏でマトイが薬入りのドリンクを欠かさず飲んでいたこと。
キスをしたらそれも飲めないくらい喉が荒れたこと。
あの小屋の中で、マトイの手を離したこと。
今ガラス越しでしか手を繋いでいられないこと。
なんだ。もう私、決断してたじゃない。
「リアルボディのマトイといっしょに満月を見ることよりも、マトイが元気でいられることのほうが大事だから、私たちは今ここにいるんだよ」
「そう、だった」
「私は、ガラス越しのマトイよりも、……代理ボディのマトイのほうが好きだなぁ。猫になって膝に乗せてもらってたとき、柔らかくてあったかかったこと、覚えてるよ。私は出来れば、手を繋いでいられるマトイがいいし、私が一番好きなマトイは、私がぎゅーっとしたときに真っ赤になるマトイだよ」
「そんなのが一番!?」
「えへへへ」
動揺するマトイの顔がみるみる赤くなる。
愛しいってこういう気持ち。
にこにこ見守ってると、大人組が笑いをこらえてるのに気付いたマトイがむっとした顔をした。
「最初にマトイが赤くなったの見たときに、『あ、大丈夫だ。この人ちゃんと心がある人だ』って思ったの。だから私、そんなに怖くもなかったんだよ」
「あっ…………」
「それにね、マトイ気付いてる? 気を張ってるときには全然赤くならないの。だからマトイが赤くなったら、ああ、素のままのマトイだなって嬉しくなっちゃう。それからね――――」
「うん……わかったから、ココ。少し恥ずかしいから……」
「えーっ? 今、一生分言いたいのに?」
「それ、今度聞く」
「ん? ……えっ?」
今マトイ、変なこと言わなかった?
「だから、俺の代理ボディを過去に連れて帰って、ココ」
「それって!」
マトイの目は真剣に私を見てる。
染まった頬が、真っ赤な耳が、マトイの気持ちを伝えてくれる。
「ちょっと嵩張るだろうけど……絶対に続き、聞きに行くから」
「本当に? 本当に待ってていいの?」
「方法の確立はこれからだけど、うん。出来ると思う。何年かかったとしても必ず会いに行くから、信じてほしい」
「うん、全然心配してない。マトイは来るって言ったら絶対に来てくれる」
あまりの即答っぷりに、マトイが複雑そうに、照れくさそうに前髪をいじった。
「きゃーーっ! 私の好きな人が世界一男らしい! かっこいい! 凄いね、マトイは凄いね」
「それ、やめてって……」
「ね、ね。指切りしよ。約束だよ」
小指を差し出してガラスをノックすると、はにかみ笑いのマトイが頭上にハテナを飛ばしながら同じく小指を出して、小指同士を触れさせてくれる。
「約束、大事なんだもんね」
「大事大事。中でも大切な人との約束が、一番大事だよ」
「じゃあ俺にとっても、この約束が一番大事」
小指をそっとずらしたマトイが顔を寄せて、目を伏せて長い睫毛で頬に影を作り首を傾けた。
わーっ美人な角度、と見惚れる間に、私の小指に触れたのは血色のよい唇。
――――ちゅっ。
そう聴こえた気がした。ううん、私には聴こえた。
「わーーーっ、やーん、マトイ気障! なにこれステキ。もう一回やって、もう一回」
「……ココの反応って癖になるよな」
「癖になってくれるならめいっぱい反応しちゃう。私喜んでマトイの手のひらでコロコロされるよ。ワンモア!」
「次に会ったときに、直接ね」
「えーっ? 会う楽しみが増えちゃった」
「うん。楽しみにしてて。……それでも、帰ってみて我に返ってそれで――――ココが一時の気の迷いだったと思ったら、代理ボディとスマホは別々に捨てて」
「なんで? 絶対捨てない! 気の迷いなわけなんかないよ」
「それならそれでいいから、覚えておいて」
マトイが今更不安そうな顔をしてることが、私には信じられない。
どう説明したらわかってくれるかな。そう悩んだところで、「あー」と低い声が割り込んできた。
「盛り上がってるとこ悪いんだが、そんなこと出来るのか?」
「俺はこれまで3年掛けて、この時代まで保管されてたココのスマホを解析して、使われてた時代を割り出して周波数合わせて、電話繋げてココをこの時代に連れてきたんだ。それに比べれば、今回はスマホの回線も代理ボディの発する信号もわかってる。ただ単に過去に保管場所が変わった端末にアクセスするだけのことが、俺に出来ない筈がない」
「自己申告じゃ疑わしいもんだけど、お前マジな天才なんだな」
「当然。何なら代理ボディの開発自体に俺が一枚噛んでる可能性が出てきましたね、こうなると」
「げっ。いや確かにミナカミ博士が希代の科学者とはいえ、代理ボディの発生時点で十代な上に技術も当時の水準じゃないとか、歴史ミステリーでたまにやってるよなぁ。なんだよ、余計に止めにくくなるようなこと言いやがって」
「まあ、この出会いは必然だったってことかな」
すんと澄ました顔のマトイが誇らしげに胸を反らす。
その才能と技術には一貫して自信を崩さないのが、対人スキルとは対照的で面白い。
「他人に代理ボディを預けちゃいけない決まりも、過去にある代理ボディにアクセスしちゃいけない法律もないですよね」
「ないわねぇ。過去にアクセス出来た事例なんてないもの。でも代理ボディである以上、24時間入ってはいられないわよ。身体を維持しに定期的に戻ってこないと」
「こっちでやりたいこともありますから」
「マトイは家族の皆といっしょに暮らすのも、いっしょにご飯食べるのもこれからだもんね」
「カレーを作って振る舞ってもみたいし」
「そうだね! 帰る前にレシピ書いて残していくね。お鍋の中のカレーは残念だけど捨てて、洗って置いておくから」
「ありがと、ココ」
そんな他愛ないやりとりの後ろで、時計を何度も何度も見直している佐藤さんがマトイの肩に手を置いた。
「纏くん」
「…………」
「ココちゃん、残念だけど時間です」
「嘘。もう?」
「ココちゃんの荷物と代理ボディを取りに、纏くんの部屋に行きますよね?」
「……うん」
「そうね。間に合わなくなったら大変だものね」
まだ日も落ちない昼間のような気がするのに、窓のないこの部屋では時間がわからない。
マトイに縋るような目を向けると、マトイはあっさり背を向けてガラスから離れる。
「マ、マトイぃ」
「そんなこの世の終わりみたいな声出さないでよ、ココ。またすぐ会えるから」
マトイはなんてことないように言うけど、私は知ってる。
すぐなのは私にとってだけで、マトイにはこれから乗り越えなきゃいけないことや、たくさんの試行錯誤が待ってるんだ。
今日までのマトイの行いにどんな判断が下るのかは、私には想像がつかない。
わかるのは、マトイはどんな結果からも逃げ出さないってこと。
泣きそうな私に対して、マトイは影もなく笑った。
「スマホ、型落ちになっても捨てないで持ってて」
「ちゃんと持ってる。絶対壊したりしないから、……早く来てね、マトイ」
「わかってる。――――あの、ココのこと、頼みます。乗用銃弾には乗り慣れてないし、部屋の扉の開け方も教えてないから」
「ココちゃんが帰るまで、ちゃんと付き添うわ。安心して任せてちょうだい」
保護官さんと視線を交わしたマトイが頷いて、口元を綻ばせた。
「じゃあココ、またね」
「ま、またね! マトイ、またね。またね。また…………」
ずっと視線を逸らさなかったのに、とうとう白い扉がぱたんと音を立てて閉じた。
開かない扉をじっと見つめている間中、保護官さんが背中を撫でていてくれた。




