悲しみの海に浸らないように
「ココ、それは……」
「マトイのことが好きだよ。ずっといっしょに居たいよ。もう一回手を握らせてよ。初めてのカレー、食べ損ねちゃったよね。作り直して二人で食べたら、きっと美味しいよ。私がマトイに勝てるゲームも、たくさんあるはずだよ。もっと探そうよ。いろんな人とたくさん話して助けてもらっても、マトイの一番傍にいるのは私にしておこうよ……」
「…………」
マトイの声から反発を感じて、言い募る。言葉を重ねる。思いを口に出す。
誰か助けて。私のことも助けて――――って。
でも、誰も何も言わない。
静かに私の訴えを聞いていたマトイが、唇を引き結んだ。
ああ、だめ。だめ……。
「駄目だよ、ココ」
聞きたくない。
耳を塞いだ私の手の隙間から、落ち着いたマトイの声が滑り込んでくる。
「ココのことは、ココの家族が待ってる。あの日は晩ご飯、まだだったんだよね。ココのお母さんが作ってくれてたんじゃない?」
その言葉で、家の食卓が頭に浮かんでしまう。
対面キッチンをパタパタと動き回るお母さん。
テレビ画面に映した動画サイトのミュージックビデオから片時も目を離さない弟。
お父さんが帰ってきたら全員で盛り付けをしてお皿を運び始める、私の家の食卓。
「……作ってた。お父さんがもうすぐ帰ってくるって言ってて……」
「じゃあココは帰ったら、ココのお父さんにおかえりを言って、晩ご飯を食べなきゃ。弟は? 家に居た?」
「いたよ。皆が帰ってくるの廊下をぶらつきながら待ってた。クラスで流行ってる芸人が8時台のバラエティに出るから絶対見ようって、朝からテンション高かったから……」
「それから、ココはゲームのイベントがあるから、ゲームをやらなきゃいけない。なんだかっていう立派なリーダーと、おじいちゃんの『まるジジ』さんと、『メルメル』ちゃんと『パンダ』さんが待ってるはずだよね。ああ、友達とメールもしてるんじゃなかった?」
「えっと……あの……」
マトイの言葉が私を急速に私の現実に引き戻していく。
私が軽率に語った日常を、丁寧になぞって。
「明日はランチの約束と、お菓子の持ち寄りの約束があったよね。大事なんだよね?」
「あったよ……大事だよ。それから、お姉が今付き合ってる人と結婚考えてるから、話を聞いてほしいって言ってて――――――マトイ、ひどいよ……」
指先が震えながら、ガラスを伝って下に落ちていく。
手と手がもう、離れちゃった。
「私だけ、過去に帰るの? でも、でもね……一度も訊いたことなかったけど、この時代には私はもう生きてないんでしょ……?」
まっすぐに私を見据えていたマトイの目が逸れた。
「……うん。時間が経ち過ぎてる」
「じゃあ、帰っちゃったら一生、どんなに願ったって、この後マトイが幸せに生きたかどうか、私にはわからないんだよね。マトイのいない過去に帰って、マトイはどうしてるかなって思ったまま生きて、誰か知らない人の……こ……こ、こどもを産むの? 私が?」
恥ずかしい、上擦った声。
マトイの顔が見れなくて、誰もいない壁に正対する。
マトイから見える横顔にどんな表情を乗せればいいのか、ちょっと考えられない。
「ココの心残りがそれなら、ココに報告する手を考えるよ。ココのスマホに電話をかけた実績はあるんだし、何とかする。子どもは産みたくなければ産まなければいい」
「だ、だって博士が……」
「俺は元々代理ボディなんて嫌いだし、生まれないなら生まれないで俺の当初の予定通りだ」
そっか。最初からマトイの狙いはそれだったわけだし……と思ったけど。
え?
その結論はおかしくない?
「待って。だめだよ。代理ボディは今までの歴史に必要だったって結論出たよね。それに、これからのマトイにも必要なものだよ」
「でもココが苦痛なら要らない」
マトイの声がマジだ。
私は一気に冷静になった。頭に冷水ぶっかけられたってやつだ。
私には感傷に浸る時間さえないの!?
「ちょっと! 本当にちょっと待って。私がいきなり我儘言って悪かったと思ってるから、その方向は一回やめよ。ね」
「この方向ってどの方向?」
「代理ボディが要らない方向。絶対要る。いるいる。私が博士産みたくなるように代理ボディ使ってマトイがどうやって幸せになるか考えよう」
「えっ……ココが何言ってるのか理解できない」
「何なら私も、私がどの立ち位置にいるのかよくわかんないよ。でもちょっと考えよ。それはそれで大事なことだよ」
「そうかな?」
「そうだよ!」
押し切るとマトイは「代理ボディか……」と呟きながら何か考え始めてくれた。
私は古式ゆかしくパンパンと手を叩いて衆目を集める。
「はい、皆さん集合! 集合です!」
確実に話題を変えたい私は、助けを求めることにした。ここには頼れる大人が三人もいるからね。
頭に全力でハテナマークをつけていたと思しき保護官さんと佐藤さんと加賀井さんが質問もせず近寄ってきてくれる。
はて。ハテナマークとは。っていうかマトイは私が過去から来た話をどう伝えたんだろうね?
「シリアスタイムは終わりです!」
「展開についていけてないんだが、今本当に解決してたか?」
「保留です! 先に解決しなきゃいけない問題が出来ました。全く、おちおち落ち込ませてもくれないんですから」
「あらまぁ。じゃあ皆で考えましょうか」
「うんうん。私には考える力が足りなくて、マトイには生きてくための粘り強さが足りないので、知恵を貸してください」
私と保護官さんと加賀井さんが盛り上がるのに反して、マトイはアンニュイとしか言えないような顔をした。
「ココの悩みはシリアスタイムの一言で片づけられるのか」
「ココちゃんはなかなか振り回してくるタイプですね。頑張ってください、纏くん」
むむむ? 私が振り回したのかな?




