素直に助けを求められるように
気まずげなマトイに、私は出来るだけ優しく声をかけた。
「マトイ、してないなら今しようよ」
「うん…………」
「それとも、何か嫌なことされた?」
「されてない」
「じゃあ、した……?」
「…………脅した」
不穏な響きに、ひいって悲鳴が喉で引き攣れる。
「な、なんでそんなことしちゃったの? マトイの話聞いてくれる人たちだよ。マトイのこと助けてもらわなきゃいけないんだよ」
「ごめん」
「そうじゃなくて……言い訳して、マトイ。どうしてそんなことしたのか、私に教えて」
「大事なもの、盗られたから」
その弁解はもごもごと小声だったけど、物音のしない室内に響く。
「大事なものって……」
「通信機。ないとココを帰せないから、最短で奪い返したかったから、それで」
「あーーーー……」
私のためかぁ。
予想だにしない答えに頭を抱える。
ええー、どうしようかな。マトイはすっかり悄気返ってるし、でもそれでいいよとは言えないし。
「マトイ、ごめんなさいしよ。いっしょに謝るから」
「そんなの、今更……」
「あのね、マトイは周りの人と、うまくやらなきゃいけないよ。マトイのことを知ってもらって、力を貸してもいいかなって思ってもらえるようにならないと。自分じゃ、自分を助けたりできないんだよ」
「力を貸して貰うことなんて、ないよ」
マトイが俯いたまま吐き捨てて、こっちを見ない。
むっとしてマトイの視線の先で、両掌をぴょこぴょこ上に上げて見せた。
素直なマトイは迷う瞳を晒してくれる。
「そんなことはね、ないと思う。だってマトイ、今困ってるでしょ」
「それは全部自分で解決すべきことだから」
「解決するのはマトイだよ。でもほら、一人で考えてばっかりだと、マトイ時々うっかりしちゃうでしょ。そういうの口に出したらアドバイスがもらえたりすると、すごく助からない?」
「それは……する、けど」
「マトイは誰かに頼るのってちょっと苦手だよね。でも私には、困ってる状況を一所懸命説明してくれたじゃない。困ってることや思ってることを口にしてくれたら、聞いた人は皆、どうしたらいいかな、自分に出来ることはないかな、って考えてくれるんだよ」
「それはココだからだよ。ココしかそんな人はいなかった!」
「誰に助けを求めたの?」
「…………。口にしたことは、ないかも知れない」
マトイの顎が上向き、薄茶の目が思い出すように私の頭上に向かって動いて、天井灯を映してまた伏せられる。
このきれいな目は雄弁。
でも頬は無意識下ではぴくりともしないから、慣れないと気持ちが読み取りにくい。
耐えるときには唇を噛む癖がある。
これはわかりやすいけど、不利になると俯いたり背いたりして顔を隠しがち。
性格は素直で朴訥としてるけど、口から出るのはぶっきらぼうな言い切りや威圧的で取り付く島のない言い方が多め。
多分、世慣れない分、威嚇して自分を守ろうとしてるんだと思う。
理解れば共感るマトイだけど、第一印象はよくないタイプ。
その上、本質的には無口で耐える男。
うーん。
うーーーん。
やっぱり理解者を増やすことが第一歩だよねぇ。
「保護官さんに、さっき言われたんだ。困ってることがわかったから、出来るだけ助けてくれるって。でも私がありのままを話さなかったから、最初からそう言うのが難しかったみたい。ね」
「そうね」
保護官さんを振り向いて同意を求めると、笑って肯定してくれる。
「私の保護官さん、いい人でしょ」
「うん。そう思う」
マトイが初めて保護官さんに目を向けた。
保護官さんがにこっとして、それを見たマトイがはにかみ笑いで軽く頭を下げる。
ああ、安心したときのマトイの顔。
引き結んだ口元と頬が緩んで数段幼く見えるその顔に、私はやられたような気がする。
「纏くん、その顔そっちの二人にも見せてあげて。加賀井は口は悪いけど面倒見がよくて年下の子を絶対に見捨てられない奴で、佐藤は仕事は溜め込むけど人柄のよさで引っ張りだこになるタイプなの。いい奴らなのは私が保証するわ」
「それに二人とも、私が助けてって言ったら助けに来てくれた前例があるよ。ね、ね、マトイ」
年上の捜査官――――加賀井さんが、保護官さんの言葉に促されるように組んでいた腕を降ろした。
佐藤さんは私の視線にすぐに気付いて、表情豊かに受け入れ体勢が整ってることを伝えてくれる。
迷子のような目をしたマトイが立ち上がって身体ごと向き直り、今度こそ二人の顔を見る。
ゆっくりと吟味するようにしてから、すっと真っすぐに頭を下げた。
「生意気言って、ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました」
一瞬だけしんとした後、佐藤さんが軽い足取りでマトイに歩み寄る。そして、加賀井さんも。
「そう言ってくれてよかったです! それにこの面会で神奈備さんが――――纏くんがどんな人なのかも大分わかってきたから、これからもっといい関係作っていけそうな気がします。改めて、これからどうしたらいいか一緒に考えていきましょう」
頭を下げ続けるマトイに向かって、爽やかな笑顔で片手を差し出す佐藤さん。
「あれ? 佐藤さんって代理ボディですか?」
「向こう側は二人ともそうよ。ああ、私もだけど。纏くんにリアルボディとの対面許可は下りないわ」
「あ、そっか」
その言葉を聞いてか、マトイがおずおずと顔を上げて緩徐に右手を前に出す。
なかなか触れにいけないマトイの手を、佐藤さんががしっと握手のかたちで掴んだ。
「これからよろしく」
「あの、よろしくお願いします……佐藤さん」
私に向いてるのは背中側だけど、わかる。
今、マトイの顔赤くなってる。それに頬が持ち上がってる。
佐藤さんの横で見ていた加賀井さんが、堪え切れないような笑顔でマトイの肩に手を置いた。
「お前そんな顔出来るなら最初からしろよ。どんな冷徹無比な奴かと思って無駄に警戒しただろ」
「すみませんでした」
「それに、ございましたじゃないからな。現在進行形で助けていくんだから。わかってんのか?」
「ありがとうございます! よろしくお願いします、加賀井さん」
「よし」
頭をぐしゃぐしゃ掻き回されて、くすぐったそうにマトイが笑う。
マトイの世界が広がるのがわかる。
マトイに触れられるのが私だけじゃなくなって、きっと周囲に心を開いていくマトイ。
私のいない地面に立つマトイの未来が見えるよ。
私の、いない未来に――――
心に棘が刺さる。
手が届かないのは、ガラスのせいだけじゃない。
マトイを中心とした輪を、外側から眺める疎外感。
私がこれを望んだんだから、こんな風に感じちゃだめ。だめ。絶対だめ。
でも、昨日まで、そこにいたのは私だけだったのに。
「私もここに残りたい」
言葉は、止めるよりも早く、口から出て耳に入った。
――――あ、やっちゃった。
そう思ってもメールアプリと違って、取り消し機能はついてない。
自分の言葉にびくっとした。
言っちゃいけないことだったのに……。そう内省して、そして、この想いが妙にしっくりと心の隙間に収まったのに気が付く。
そっか。認められなかっただけ、言えなかっただけ。
私はもう、とっくに家族とマトイを天秤にかけていたんだ。
「ううん、残りたくない――――――――残りたい。残りたい!」
「ココ」
マトイの手がガラス越しに私を呼ぶ。
ぴったりその対面に手のひらをくっつけて、私はマトイとの繋がりを、ほんの束の間取り戻した。




