嘘の裏側を抱き寄せるように
「ココちゃんの目に、この未来はどう映っているのかしら」
面会室に歩く傍らで、保護官のお姉さんが窓の外を見ながら呟いた。
一定の距離を開けて黙々と歩いていた私は、思わず足を止める。
「……知っていたんですか」
昨日、私が過去から来たという話は一切していない。あのあとには、必死にマトイの話ばかりしていた。
私じゃなければ、情報の出処はひとつしかない。
「纏くんのほうが素直だったみたい。ううん、そうとも言えないかしら」
ありゃ。マトイもマトイで何か困らせているみたいだね。
それにしても――――
「マトイ、話しちゃったんですね。言っちゃだめだよって私、お願いしておいたんだけどな」
窓に映った顔が歪んで笑うのが、まるで自嘲してるみたい。
だめだめ、こんな顔。
ううん、と意識を切り替える。
窓の外に広がる中庭には、散歩道と整えられた庭木が広がるだけのものだ。
私の目から見ても特に目新しさは感じられない。ベンチに座って談笑している人の姿が牧歌的だなって思うくらいで。
けれど、私にはこの時代における『自然』の立ち位置がいまいちわからない。
人間の方を隔離してしまうくらい尊ばれるもので、危険なもので、でもそれを楽しむかのような中庭を作ってしまうってどういうことなんだろう。
「あの人……」
「どれ?」
「あのベンチのおじいさん、あの人も代理ボディなんですか?」
「ああ……そうね、えーと」
保護官さんは口ごもると、立ち止まって中庭の人たちを指差した。
「あの人たちは全員リアルボディよ。この施設では職員以外の代理ボディの使用は禁止されているの」
「中庭くらいなら、外に出ても大丈夫なんですか?」
「勿論、問題ないわよ。外の空気が吸いたくなった? 息抜きくらいはしたいわよね」
保護官さんの返答は、私の問い掛けからは少しずれている。
首を傾げながら、訊き直した。
「そうじゃなくって、病原体とか、危険じゃないんですか?」
「…………。ああ、そういうことなの」
彼女は少し考え込むようにしてから、窓を大きく開け放った。
待ち構えていたように風が舞い込む。
そういえば。マトイの部屋にはひとつしかなく、開けることも想定されていないようだった窓が、この建物には当たり前のように使われていることに気付いた。
私に与えられた部屋や面談室にはなかったけど、夕食時案内された食堂には大きな窓がいくつもあった。そして、他にも利用者がたくさんいた。
今の話が本当なら、あの人たちは皆、本当の身体だったんだ。私と同じように。
額を覆っていた前髪を、風が大きく揺るがせた。
「私たちは、大丈夫よ」
区切られたものに嘆息する。
では、大丈夫じゃないのは誰なのか。そんなこと、考えるまでもない。
「私、線引きは私たちと未来の人との間にあるんだと思ってた。だって、そうじゃないとマトイは……」
保護官さんが観察するような、案じるような目で私を見ている。
知らなかったの、私だけなんだ。そっか。
マトイは何度こういう光景を見てきたんだろう。
他の人は当たり前に楽しめる筈の場所に、足を運べない自分。
「きっと興味のない振りをして目を逸らして……でも、すごく欲しかったんだ」
マトイが私を呼んでまで壊したかったものがようやく、初めて私にも実感できた気がする。
マトイが幼い頃からひとり、あの部屋で過ごしてきたのはなぜ?
それは、マトイが語った未来の前提が間違っているのなら、少し意味が変わってくる。
「もしかして、リアルボディで他人に触るのも、そうなんですか? 皆じゃなくて、マトイだけができないの?」
「私は、リアルボディでもココちゃんと手を繋ぐことが出来るわ」
「ああ……そっか。そうだったんだ」
マトイは大事なことを私には全然言えてないんだって、悔いてた。
「自分の境遇を他人に話せないって……、それって、かわいそうって思われる状況だって、マトイが思ってるからだよね。マトイがすっごく傷ついてるってことだよね」
私は共感を求めるでもなく口に出して、そして消化した。
じっと私の話を聴いていた保護官さんが、ぽつりと言う。
「ココちゃんはそうやって纏くんに寄り添ってあげたのね」
「ううん。そんな高尚なものじゃないです。私は私の安全のために出来ることをやっただけ」
最初はただの打算で、そして、最後も。
「あとは、大好きなマトイのことを全力で応援してるだけです」
このふたつがいつから逆転したのか、私にもわからない。
手の中で、電源を落としている筈のスマホが熱くなる。
今はもう、私の安全なんかよりもマトイの幸せな未来が、ただただ欲しい。
私が泣かないように窓の外を睨みつけていると、保護官さんが後ろから両肩を撫でてくれた。
私の決意を宥めるように。
「二人とも、あなたたちを引き離した私たちのこと、敵だと思ってるでしょう?」
隠してもいなかったそれに突然触れられて、はっとした。
気付かれないと思ってしていた態度じゃない……はっきり拒絶したわけでもないにしても。
でも、私の一方的な拒否ってよく考えれば理不尽なんじゃないかな。
「それは……助けてもらったのに悪いとは思ってます……」
「違うの。責めてるんじゃないのよ。そう思うのも尤もだわ。二人が庇い合ってるのは最初からわかっていたもの。ただ、私たちも状況を把握しなくちゃいけなかったの」
「わかってます」
「でも二人とも、私たちに情報をどう見せたいか考えることに執心して、ありのままを話してくれなかったから……私たちも反省したの。お手上げともいうけどね」
拒絶を見せる私の前で、保護官さんが茶目っ気たっぷりに両肩を上げる。
そして一度口を閉ざしてから、眉尻を下げた。
「ごめんね、最初からただ『助けて』って言えるようにしてあげられなくて」
「……え?」
保護官さんの言葉を、混乱しながら飲み下す。
「それって、助けてって言ったら助けてくれるってことですか?」
「出来るだけ、そうするわ。あなたたちが二人とも、すごく困ってることはわかったから。それでまずは今日、二人を会わせてみることにしたのよ。あなたの希望でもあったし、それに……最後の日だものね」
保護官さんの言葉が、グサリと刺さった。
最後の日。
私は――――ううん。私も、マトイを置いていってしまうのかな。
表情を隠しきれないまま、保護官さんの顔を見る。
「ありがとうございます。もうマトイに会えないまま帰っちゃうのかと思っていたから……」
過去から来たことも、今日帰ることも一言も言わずにいた私を責めることなく、保護官さんが気にするなというように首を振った。
「行きましょう。面会時間になるわ」
優しい促しに感謝して、外から目を逸らす。
そして、応えられる問い掛けにくらいはちゃんと答えを出したいと、そう思った。
「マトイも普通のものを見たときの私の反応を気にしてたんですが、昔の人から見た『今』がどうかって、気になるものなんですか?」
「個人的な興味だけど……私たちが直走ってきた道が正しかったのかの答えを、スタート地点を知る人なら持ってるんじゃないかって、思っちゃったのよ。改めて訊かれると、どうしてかよくわからないわね」
正直に告げて、ごめんなさい、と言ってくれる年上の人に、慌てて弁明を考える。
「ち、違うんです。いやだったわけじゃなくて。あの、私、ここに来て少しだけだけど、びっくりするような未来を見て――――うーん、そうですね……」
保護官さんの親切に報いるよう、出来るだけ誠実な答えを、と考えながら角を曲がったせいだろう。
「危ない!」
鋭い声に、はっと顔を上げる。
視界に靴先が映るのと同時に、保護官さんに腕を引っ張られた。
そしてその弾みで、左手からスマホがすっ飛んだ。
思わず手を伸ばすけど私の身体は反対側に傾いで、目だけが行き先を追いかける。
床を滑ったスマホは大きな音もたてず、女性用の靴先に当たって止まった。
「大丈夫?」
「すまない、お嬢さん」
すぐ傍から聞こえる男性の声に急いで顔を上げると、壮年の男の人が驚いた顔をしている。
腕を軽く広げているから、咄嗟に支えようとしてくれたんだろう。
転びかけた私の身体は保護官さんがばっちり受け止めてくれたので、出番はなかったけど。
「ごめんなさい。前方不注意でした!」
咄嗟に頭を下げたけど、今見たばかりの顔が脳裏を過る。
「あっ」
慌ただしく顔を上げる私に男の人が目を丸くしているけど、今構うのはそこじゃない。
問題はその男の人の顔に、はっきりと見覚えがあったことだ。
私が未来に来てから会った相手なんて、そう多くない。存在を認識している相手に至っては片手で足りる。
「マトイのお父さん……」
「「えっ」」
私の呟きに、保護官さんと男の人が同時に声を上げた。
間違いない。私が飛びついたあのときの驚き顔と、そっくり同じ。表情も、声色も。




