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不意に他人に触れないように

 私がパンを口に入れ終わるのと、マトイがドリンクを最後まで啜り終わる音がほぼ同時だった。

 私はついでに、自分のドリンクも飲み終えてしまう。


「一緒に捨てるよ。メイドさんならゴミ捨てくらいできないとね。ゴミ箱どこ?」


 マトイの手からドリンクのゴミを受け取ろうとして手を伸ばすと、マトイはぎょっとした顔をした。

 なんで? と思いながらもドリンクに手を掛けると、マトイがうまく手を放してくれなくて、指先がマトイの手のひらに触れる。


「うわぁ!」


 途端にマトイが私の手を振り払って、2~3歩後退(あとずさ)った。

 ドリンクはどちらの手からも離れて、カラカラと床を転がっている。


「え、なに?」

「触るな! これ、本当の身体(リアルボディ)なんだからな!」

「え? え? ……ごめんなさい?」


 怒らせた?

 毛を逆立てた猫みたいなマトイの反応に咄嗟に謝ったけど、きょとんとした顔は隠せない。


 互いに様子を伺うように目を合わせて、私も気が付いた。

 マトイは怒ってるわけじゃない。


 マトイの釣り上がった目がまんまるになって、一度は青ざめた顔が耳まで真っ赤になっていく。

 無表情だったのが嘘みたいに眉尻を下げて、徐々に目を潤ませて、何度か口をパクパクさせる。

 びっくりした、怯えてる、恥ずかしい、これってそんな顔。


 ほんのちょっと触れただけの右手の手のひらと私の顔を交互に見て、もう一歩、もう一歩と後退(あとずさ)りするマトイの背中が、水槽に当たって止まった。


「触っちゃだめだったの? ごめんね」

「ち、ちが……駄目ってことはなくて。ココが他人と触れ合える時代から来てるって知ってたけど、だからって触られるなんて思ってなくて……」

「ここは、人と触れ合っちゃいけない時代なの?」


 人が変わったかのようにしどろもどろにまごつくマトイ。

 マトイを刺激しないようにおずおずと訊くと、真っ赤なままで子どもみたいにこくんと頷いた。


「少なくとも俺は、人に触ったことはない。だけど、俺はそんな現在いまを変えたくて――――ココを攫ったんだ。だから」


 近寄ってきたマトイが戸惑った顔のまま、床に落ちたドリンクを拾う。


「だから、振り払っちゃいけない筈だったのに……」


 途方に暮れた様子のマトイの言うことはピンと来ない。

 私を攫ったからって何かが変わるなんてこと、きっとないと思う。

 でも、ひとつ私に出来ることを思いついた。


「マトイは触られるのはイヤじゃないけど、慣れてないんだよね?」

「うん。だから……悪かったとは思ってる」

「へーきへーき。無断で触ってびっくりさせないようにするね。それで、ちょっとずつ慣らしていけばいいよね」


 ポジティブに変換するのは得意。

 にこっと笑いかける私に――今度はさっきよりも自然に笑えてる自信があるよ――マトイがぽかんとして、追って小さく笑った。

 今度の笑顔は怖くない。むしろ力が抜けてて、守ってあげたくなるような感じ。

 うん。絶対誘拐犯に向かって思っていい感想じゃないね。


「ドリンクのゴミ、ここに置いて。それから捨てる場所教えてね」

「うん。ああ、ゴミ箱はこっち」


 指差しながら歩き出すマトイの態度からは、威嚇がなくなってる。

 このままほだされてくれるといいな。私を殺すなんて考えられなくなるくらいに。


「それにしても、なんで今は触っちゃいけない時代なのかな?」

「人体接触によって病原体ヴァイラス抗原アレルゲンが肌に付着することで、病気になる確率が上がるから」

「病気の予防のためなの!? じゃあ私、さっき本当に触っちゃ駄目だったんじゃない?」

「予防って言っても、もう古い考えなんだ。ココの病原体ヴァイラス除去は、ココが寝てる間に寝室を除菌モードにして完了してる。理論的には、大きな問題はない」

「そうなの? じゃあ皆除菌したら触ってもよさそうに思えるけど」

「もうそんな社会構造じゃなくなってる。世界的な対人無接触政策も解除されてない。だから親兄弟だって関係なく、こうして一人一人隔離されて暮らしてるんだ」


「なんかそれって、さびしい」

「さびしい、か」

「マトイはそう思わないの?」

「………………」


 マトイはじっと考え込むように押し黙ったあと、落ち着かなさそうに一度手のひらを撫でた。

 それから一拍開けて、マトイが提案した。


「ココにやって欲しいことが出来たよ」

「ん?」

「この時代のどこがおかしいのか、ココの目から見て教えて欲しい。どうしたら変えられるのか考えて欲しい。俺は現状をどうにかしたいけど……なんで苦しいのか、よくわからないんだ」


『苦しい』


 その言葉が私の疑問にぽっかりとはまって、納得する。

 マトイ、苦しいんだ。そうだよね、順風満帆な人が誰かを誘拐するなんて、そんなことある筈ない。


「もちろん協力するよ! 未来のこと、教えてもらわなきゃいけなくなっちゃうけど」

「うん。明日話す。――見てもらいたいものもあるんだ」


 マトイの雰囲気がやわらかくなったことに安堵して、引き受けてよかったって私は思った。

 答えが出たら私を帰してくれたらもっと嬉しいんだけど、今はまだ、聞けないよね。


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― 新着の感想 ―
[良い点] マトイさんとしてはきっと生まれた時からずーっと、この非接触な社会システムの中で生きてきたわけで、それが「普通」という感覚なんじゃないでしょうか……だから寂しいというのがピンとこないのかなと…
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