未来のために戦うように
ふかふかのベッドで一人、その音を聴いた。
――――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ
恐ろしいくらい熟睡してしまった。
それなのにまだ、頭が重い。手足が重い。
『おはようございます。就寝から7時間が経過しました。ご起床ください』
「おはようございます」
壁から聴こえる声に返事をして、ああ、この声人じゃないんだった、と日の出前に案内されたことを思い出した。
『一時間半後、担当保護官との面会の予定が入っております。お食事の用意は、冷蔵庫にございます。その他、ご質問があればお問い掛けください』
「大丈夫です」
『それでは、ごゆっくりとお過ごしください』
宙に向かって答えると、温もりのある音声が規定された挨拶をして切れた。
「うーん。これは虚しい。実用的だけど遊びがないっていうか、発展がないっていうか」
キョロキョロと探して、スマホを持ってスリッパを履く。
この窓のないワンルームが、今朝の私の寝床だ。
月が天頂を疾うに過ぎてからようやくマトイのもとに戻れた私は、高熱に震えて眠るマトイからあっさりと引き離された。
扉を少し開けたままにしていったあの捜査官が、迷いのない手つきでマトイを毛布に包んで運んでいくのを、情けないことに私は泣きながら見ているしかできなくて、そして、付き添ってくれた別の捜査官に慰められていた。――――そのまま、私の担当保護官になってくれた人だ。
「マトイ、熱下がったかな。……怒ってるかな」
怒っていてくれればいい。気力を失ってしまっているよりは。そう思う。
マトイのいない朝。――――ううん、もう昼。
でも私、マトイのことばっかり考えてる。
冷蔵庫に入っていたバランスのよいプレートを食べながら、髪を梳って一つにまとめながら、常にマトイの顔が視界にちらついた。
乾燥機から出した水色のワンピースを今日も着た。
裾に付いた土埃はすっかりきれいになっていて、まるで何も起きていないみたい。
淡々とこなす身支度には何の時間もかからずに、何とたった一時間半を持て余してしまった。
座っているにも落ち着かず、手の中で電源の切れたスマホをただただ手遊びにひっくり返す。立ったり座ったりを何度も行って、私は観念した。
面談室行こう。時間には早いけど、もしかしたら聞けるかもしれない。
マトイの状況が。
合う薬は貰えたかな。口の中はまだ荒れてるかな。ご飯、食べたかな。私のこと、何か話したかな。
私はマトイの身体を守ることを優先してしまったけど、マトイの心はどうなっているのかな。
そうやって踏み入れた面談室の中では、既に保護官のお姉さんが椅子に座って、タブレットに目を落としていた。
「あら、おはよう。よく休めた?」
「おはようございます。……あの、マトイどうしてますか? 目、覚めましたか?」
ドアも閉まらぬ間の問いかけに、保護官さんが苦笑いする。
それから、座って、と椅子を指示された。
保護官さんの余裕ある対応に、我が身が恥ずかしくなる。時代が違ったって、礼儀知らずな子どもでいたくない。
私は、パンっと両頬を叩いて気合を入れてから、保護官さんに向かい合うかたちで椅子に座った。
「ありがとうございます。えーっと、保護してくれたことも。よく眠れました。ご飯いただきました」
ぺこっと深めに頭を下げて、思いつくままにお礼を口に乗せる。
保護官さんが大人らしく寛容に笑った。
「どういたしまして。身体は、平気そうね」
「はい、私は。……あの」
「纏くんだったらもう起きて、捜査官と話してるわ。点滴がよく効いたみたい。熱も下がって意識もはっきりしてるわよ」
「会いたいです!」
「事情を確認できないうちは無理よ。あなた、まだ名前も教えてくれてないじゃない」
保護官さんがタブレットを指差しながら机に乗せる。調書と書いたその画面は、番号のほかは全てが空白のままだ。
「マトイから、もう聞いてませんか?」
「纏くんからも、あなたからも聞くのよ」
「話をしたら、マトイと会わせてくれますか?」
「……そうね。二人から話が聞けたら、纏くんとの面会の調整をしてあげるわ。どう? 協力してくれる?」
「……言えることだけですけど」
「いいわよ。まずは言えることを聞くわ」
仕方ない子、と保護官さんの顔が言ってる。
でも私には言えないことがいっぱいある。マトイも、私のお願い聞いてくれているかな。私の年齢とどこから来たのかを黙ってさえいてくれれば、じきに証拠はこの時代から消える。
残り、1日と6時間。
素人の私でも、立ち回ることくらいきっと出来る。
「名前は、言えません。ココって呼んでください」
「ココちゃんね。いくつ?」
「言えません」
「どこに住んでるの?」
「自分の家です」
「そう。一昨日は纏くんの部屋にいたわね」
「うん、えっと、そうです」
「それは、いつから?」
「お、一昨日から」
「一昨日、何がきっかけで纏くんの部屋に入ったの?」
「それは……その、マトイと仲良くなりたくて」
「一昨日ね、玄関が開いた記録がないの。どこから入ったの?」
「…………」
矢継ぎ早な問いかけに応えていたリズムが崩れた。
案の定、あらあらと嘆かれてしまう。
「嘘が下手ね、ココちゃん」
「………………」
言われるまでもなく、私は話すたびにぼろが出るタイプだ。
残りは黙っていようか、と迷ったのもすぐに見破られたんだろう。保護官さんは私を刺激する話題を的確に選んできた。
「ヘルスチェックの結果、あなたは15、6歳相当と出たわ。まあ、どう見ても未成年よね」
「……若く見られるタイプなんです」
「そうだとしても、身元がわからない限り未成年として扱うわ。今、纏くんには未成年軟禁と未成年誘拐、対人接触の制限に関する法とそれに係る部屋利用制限法令違反の容疑がかけられてる。そして、彼のほうの聴取では、彼は自分を擁護する気は全くないみたいね」
「マトイはなんて!?」
「それは内緒」
チラ見せされたマトイのカードにまんまと勇んで立ち上がりかける私を、保護官さんが冷静に手で制した。
にこやかに弧を描いていた彼女の唇が、すっと引き結ばれる。
「でも、真実を知っていて、彼を擁護出来るのはあなただけよ。情状酌量に賭ける気があるなら、私はあなたの意見を記録に残すことが出来る」
「…………」
「どうする? あなたがそんなに心配する纏くんについて、私に教えてくれるかしら」
考える。
マトイは用心深く、仔細を隠しているかもしれない。ううん、愚直に曝け出している姿も目に浮かぶ。
でもどちらにしてもきっと、言い訳はしない。
マトイは私に対しても、搦め手は一切使わなかった。むしろ、身勝手に誘拐したことを強調する素振りさえあったよね。
そして、マトイは私の頼みで逃げ出す前までは、おとなしく捕まるつもりでいた……。
うん。マトイは絶対に今、自分を助けるような話し方をしてない。
マトイの力に、私がならなきゃ。
「マトイは――――助けを求めていたんです」
「あなたに?」
「そう。だから私が来たんです」




