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生命を尊ぶように

 苦しそうな呼吸音が夜の厩舎に響く。


 暗がりにへたり込む彼に、何をしてあげられるだろう。

 自分の頭を支えるのさえ億劫そうなマトイの様子に、途方に暮れる。


 私が風邪を引いたときにはいつも、お母さんか、お姉かお兄が熱を測ってくれた。

 それから、寝てなさいと言ったり、私を病院に連れて行った。

 私は言われるまま身体の回復を待てばよかっただけ。


 でも、今は私とマトイしかいない。

 マトイのために動いてあげられるのも、代わりに判断してあげられるのも私だけ。

 それって、すごく怖い。


 ――――マトイは、病院に連れていかなくて本当に大丈夫かな。


 ぞくりとした。

 逃亡の終わりと、安全な治療は切り離せない。

 マトイが持ちこたえてくれなければ、決断しなきゃいけない時が来る。


 あえぐように肩を上下させながらマトイが、怪訝そうに目を向けてきた。

 笑って「なんでもないよ」と首を振る。

 マトイの隣に腰を下ろすと、待っていたとばかりに、肩に頭を預けてきた。

 頬に触れる額が熱い。二の腕が震えてる。


「また横になる? それとも、コーヒーかパン食べる?」

「コーヒー貰う」

「うん。……はい、どうぞ」

「どうも。……っ!」


 コーヒーに喉を鳴らしたマトイが、渋い顔をしてドリンクカップを遠ざける。


「え? どうかした?」

「染みる……」

「喉痛めた?」


 反射的に聞き返したけど、すぐに思い直す。マトイが手で押さえてるの、喉じゃない。頬だ。


「口……まさか、舌?」

「ちがう」


 マトイは遮って否定するけど、私の顔から血の気が引いていくのがわかる。

 こうなることが予測できていながらも、触れ合っていたいと言ったマトイ。

 私もマトイの傍にいたい。温もりを感じる距離で、手を繋いでいたい。

 でも、マトイの体調が悪化していくのを見ながらそうする勇気が、私にはあるだろうか。

 もしかして、マトイの両親も同じ気持ちだったんじゃないだろうか。


「マトイ。私、いつも考えが足りなくて、失敗してばっかりだよ。今回も、わからなかった……」

「ん?」


 口の内側が痛いんだね。

 口を開かずに返された、いつになく短い返答に気付かされてしまう。

 コーヒーのドリンクカップはマトイの手を離れて、床に置かれている。

 マトイはもう、薬を飲めない。


「こうなってみるまで、どんな準備が必要なのか……こういうとき、どんな気持ちになるのか」

「準備不足は俺のせいだから」

「ちがうよ。そうじゃない。そうじゃなくて……」


 こんな中でも、マトイは苦しい顔をしない。

 ぼんやりと耐えながら未来を信じるマトイの目を、私はこれ以上見ていられなくて、明確に目を逸らした。


 ごめんね、マトイ。

 マトイの望みは何度も聞いていたのに、()()()()()()()()()


 引き裂くものを自覚しながら、決意を込めて声を出す。


「私には、マトイが弱っていくのを知りながら、マトイといっしょにいることはできないよ」

「えっ…………?」

「ここまでにしよ。私、マトイと逃げるのすごく楽しかった。ずっとこうしていたかった。いっしょに満月見たかったよ」

「見ればいい!」


 初めて聞くマトイの怒鳴る声に、両手を強く握り締める。

 手のひらに爪痕が付くくらいに強く、この想いが鈍らないように。


「ううん。楽しかった気持ちのままで、おしまいにしよう。二人で月は見られないけど……月を見るたびに、マトイを思い出すことは出来るよ。本当の身体(リアルボディ)でいっしょに月を見ることよりも、私とマトイが元気でいられることのほうが、私にはずっと大事になっちゃった」

「そんなこと! ココがいなきゃ満月なんて必要ない」


 乗せられていた頭の重みが肩から消えた。

 私に食って掛かってくるのかと思ったのに、マトイが選んだ行動は違った。

 顔を背けたマトイが、肩を震わせながら唇を噛んでいる。


 ――――また、たったひとりで耐えようとしてる。だけどこの背中を撫でることは、もう出来ない。

 一番辛いときなのに、どうしても出来ない。


「あと二日ですら、俺とはいたくないのか」

「そんなんじゃない。でも……」

「こうやっていつも諦めて、一生独りでいろって、ココも言うのか!」


 マトイの悲痛な叫びに、ぎゅっと強く目を閉ざした。泣きそう。でも絶対に泣かない。

 マトイの生活が孤独なのは、これまで家族とのたった一度の会食の他は他人の影が全くなかったことからも、痛いほどに伝わってくる。

 寂しさを埋める方法がわからずに絶望したことも。

 どうしたいというビジョンも見えないまま藻掻もがいた結果、過去に干渉する手段を研究してまで、私を誘拐したことも。


 理解してあげられるのに、これ以上抱きしめてあげられない。

 せめて、つられて感情的にならないようにと、努めてやわらかい声を出した。


「マトイ。聞いて。怒らないで」

「………………」

「あと二日、傍にいたい。でも二日後の夜に、こんな状態のマトイを置いて私の時代に帰るなんて出来ない。このままじゃ、未来でマトイが元気で笑ってるって、思えないよ」

「ココとあと二日いられたら、どんな状況でも笑って見送る。出来るさ」


 取り付く島なく吐き捨てられたマトイの言葉に、悲しくなる。マトイはやると言ったらやるだろう。どんな犠牲を払っても。


「そうじゃないんだよ。マトイは私が帰った後にも、やらなきゃいけないことがあるでしょ」

「やらなきゃいけないことって……」

「ご両親に送ったお手紙の返事、まだ来てないよね。本当の顔も知らないままだよね。マトイの気持ちを伝えて、ご両親といっしょに暮らせるようになる。それがマトイにとっての、笑っていられる元気な未来だよ」

「……うん。そうだ」


 どんなに投げやりになっても、この話をマトイは否定できない。

 勢いを削がれたマトイがそっぽ向いたまま頷く。


「マトイがご両親とちゃんと話して、勝ち取らなきゃいけない未来だよ。マトイの身体がボロボロなんじゃあ、ご両親心配して、マトイが思うような話し合いができなくなっちゃう。だから今ここで無理しないで、お医者さんに診てもらわなきゃ。私が人を呼んでくるから――――」

「…………いやだ」


 力ない声で抵抗しながらも、マトイがようやく私を見た。

 頬まで赤く熱を持ってるけど、顔色は失せて真っ白だ。もう立ち上がる力はない。

 不器用だけど一生懸命なマトイ。詰めが甘いまま頑張りすぎちゃうマトイ。

 大好きなマトイ。

 寂しい心も、人恋しいのに触れ合いに慣れない身体も、全部守ってあげたかった。


「助けを呼んですぐ戻ってくるから、ここで待っててね。動き回らないでね」


 懇願しながら、マトイの靴を剥ぎ取る私は悪い子だ。

 抵抗しようとしたマトイが目を回して、伸ばした膝の上に崩れ落ちるのを見ても、何もしてあげられない。


 本当は最初からそうだったんだ。

 マトイの味方みたいな顔をしながら、私はマトイの敵だった。


「ね。私が未成年だってことと、過去から来たことは誰にも言わないでね。約束だよ。それできっと、大丈夫だから」


 奪ったぶかぶかの靴を履いて、今度こそ脱げないように靴紐をきつくきつく締めた。

 逃亡中は役に立たなかった懐中電灯を、リュックから回収するのも忘れない。

 立ち上がって、最後に、とマトイの姿を目に焼き付けるために顔を向けた。

 マトイは、膝の上に顔を伏せたまま両手で耳を塞いでる。


「お願い、マトイ。こんなことに負けないで。私のこと守ってくれたマトイ、強くてカッコよかった。大好きだよ」


 一世一代の告白なんだけど、答えは返らなかった。

 仕方ないなって思う。

 大きく息を吸って、薄く開いた扉に向かって一歩一歩踏み出すけれど、マトイは静かなまま動かない。

 つっかえ棒を外して扉を動かすと、高い位置に昇って冴え冴えとした月が目に入った。

 振り返っても、この場所からマトイは見えない。

 ギイギイ言いながら動いた金属戸を、未練を断ち切るようにかっちりと合わせて閉める。


 背を向けて歩き出すと、扉の内側から「うわああああああああああっ」と絞り出したような泣き声が聞こえてきた。


 聞いている者の心をごっそりとえぐり取るような悲鳴。

 この声を、私は忘れずにいようと思う。

 マトイと同じ痛みを心に感じながら、夜の草原に身を投じた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ココちゃんとマトイさん、どっちの気持ちも分かるから切なすぎるっ!。゜゜(*´□`*。)°゜。 短い残り時間をココちゃんと少しでも一緒に過ごしたいというマトイさんの気持ちも分かる!! 自…
[良い点] あぁ、もう辛い(´;ω;`) まさかの事態に…… 2人の心千切れる想いがもう響いて 泣くしかなかった……です(´;ω;`)
[一言] もう、号泣です……
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