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生きる術に耳を傾けるように

 マトイの頭が膝の上であったかい。

 かたちのよい頭に沿って流れるさらさらとした髪の毛を指でいていると、心が安らぐ。


 マトイの肩がすうすう上下するのを見ていると、私もぼんやりと眠くなってきた。

 うとうとと頭を揺らしかけて、いけないと左右に振る。


「だめだめ。マトイの上によだれ垂らしちゃう」


 今朝からほとんどマトイに背負われ続けていた私は、体力的にも余裕がある筈。

 そう思ってはいるんだけど、常に吹き付けていた風に当たらなくなるだけで、身体が安心してしまう。


「うう~……ねむいー……」


 寝ずの番をしてたほうがいいんだろうけど、ちょっとだけ休んじゃだめかなぁ……。

 逡巡しながら瞼を落としかける。


 ――――と、鳥のものでも獣のものでもない音を、耳が拾い上げた。


「え? なに?」


『――が――――ってこの辺じゃ――――うわっ、虫!』

『お前騒ぐなよ。しっかしなぁ、あの棟の住人だろ。まともな頭してたらリアルボディでこんなところまで来たりしないよな』

『しないですね』


『もっと可能性あるとこ探してえなぁ』

『内部は若土わかつちさんが探してくれてますから』

『さすがに安全なとこに逃げてるな、無許可で彼女といっしょに住んでたってんならさ』

『まあねぇ。俺なら逃げたフリして彼女の部屋ルームに転がり込みますね』


 間違いない。追手だ。

 若い声と、低い声の二人組の男性が気取らない様子で話してる。

 ここにいることを知って来たわけではなさそうだけど……。私は必至で耳を澄ませる。


『そもそも何で逃げられたんだ? 罰金程度だろ』

『部屋主まだ若いからなぁ。紳士的に訪問したつもりだったんですけど……』

『余罪ある奴はたまに抵抗するけどな。相手が未成年のケースなんかは特に、隠蔽に動いたりなんか』

『罪跳ね上がりますからねぇ。何にせよ俺がポカやったせいで、班総出の捜索になっちゃってすみません』

『まさか窓から逃げるなんて思わないだろ。低層階のときの次からの課題だな。……さ、見えてきたぞ、元馬房。この辺りはこれで最後か?』

『ええ。うわぁ、これはまた年季入ってますね。ここはハズレでしょう』


 声がどんどん近付いてくる。

 逃げ込めそうなところはしらみ(つぶ)しに捜索しているらしい。

 可能性の低さに、すぐに引き返してくれればいいけれど、そうならなかったら――――


「マトイ、マトイ……!」


 こちらに声が聴こえるってことは、向こうにも聴こえてしまっても不思議はないよね。

 さすがに、もう話し声で見つかる真似はしたくないよ。二の鉄は踏まない。

 そういうわけで、潜めた声で祈るようにマトイに呼びかけた。けれどマトイは熟睡したままだ。

 よく眠ってるし、起こすのはかわいそうだけど、でも。


『そのドア、鉄か? アルミ? まだ動くのか?』

『あー。途中で引っ掛かって開かないっすね。これだけ錆びてればなあ』


 近付いてきてる。もう扉の前だ。

 マトイの肩を揺さぶるけど、返答がない。

 ああでも、下手に覚醒して声を出されちゃっても困るから、無理に起こす道も選べないよ。


 ――――もうだめ。


 マトイの頭を抱え込むようにして、見つかるのを、或いは通り過ぎるのを待った。

 扉には、つっかえ棒代わりにフォークのをかけてある。簡単には開かないから、それで諦めてほしい。

 どうか。どうか。


『んー。隙間から中見えるんじゃね? どうよ』

『何にもないですね。壊れた農具っぽいのとかが少し。人影は無しっす』

『うし。次行くぞ』

『次は川沿いを南下したところにある農家跡地ですね』

『ここよりは希望あるかもな』


 祈りが通じたのか。

 二人組は、あっさりと捜索を切り上げた。


 よかった。無意識のうちに詰めていた息を吐く。

 その僅かな音に自分で怯えて、口を手で覆った。

 ここで音を出して台無しにしちゃいけない……。

 マトイに被さったまま、息を殺してひたすらに恐怖と向き合う。


 二揃えの靴音が遠ざかっていく。

 声がどこからも完全に聴こえなくなる。

 それでも、安心することができない。


 向こうからこちらの姿が見えないように、私からだってこの造りじゃ扉の近くは伺えない。だから本当に遠くに行ったのか、まだそう離れていないのかは明確に判断出来ないのだ。


 眠気がすっかり冷めてしまったまま、身を固くして、マトイの寝顔を縋るように見続けた。

 随分としかめっ面な寝顔。

 よっぽど疲れているからかな……。それとも、地面が硬いから?


 ううん。やっぱり具合がよくないのかも。

 熱だってちゃんと下がってないまま、コーヒーに入った薬成分だけで持ちこたえてるんだもんね。

 それに、首筋の赤みだって、とうとう頬の半分を覆うくらいになっている。かゆいんだろうな。何度も掻こうと手が持ち上がってきてるよ。


 掻きむしる指をけて、手のひらでそっと覆うと、頬が熱を持ってるのがわかる。

 少し腫れてるかもしれない。


 そんな風にマトイを見守りながら、私はじっと耐え続けた。

 そのうち、頬の赤みも見えにくくなってくる。

 日が落ちたんだ。あれからどれだけ経ったんだろう。


「もう……様子見に行ってもいいかな」


 起きる気配のないマトイの頭をタオルの上に乗せて、しびれた膝を抜いた。

 膝の上を手でさすって、感覚が戻ってきてから立ち上がる。

 その後、物音は一度も聴こえてきていない。

 それでも二人組の痕跡を確認したいと思うのは、ただただ安心したいから。私の自己満足だよ。


 扉はこぶし一個分くらいの隙間を開けただけで、内部を守り続けていた。

 その隙間から、私も外を垣間かいま見る。


 そよそよと、まだ冷えの少ない風が入り込んでくる。

 空の低い位置に大きな月がかかってる。

 満月……ううん、円にはまだ少し足りない。

 でも、月明かりのおかげで、扉の外に揺れる草は、内側のひび割れたアスファルトよりも明るく見える。


 今夜は、ライトを付けるのは怖いな。

 このまま扉の隙間を残しておいたら、月明かりで充分過ごせそうだよね。月が見守っていてくれる。

 そう心強く思う反面、他人事ひとごとのように、ばかばかしいとも感じる私がいる。

 月の手も借りたいくらいに心を弱らせておいたら、本当は出来ることだってうまく行かなくなっちゃうよ。

 マトイを連れて外に出るんだって、私が決めたんだから。弱気になんてなっちゃだめ。


 相反する心を夜風で冷ましながら月を見上げていると、この上なく心細そうな声が私を呼んだ。


「……ココ? いないの?」


 寝床にしていた馬房の一室から出てきたマトイが、ふらりと頼りない足取りで顔を出す。


「こっちだよ、マトイ。……辛そうだね。具合悪い?」 

「うん……。何してる?」

「月を見てたの」


 扉から離れてマトイを支えに向かうと、俯いたマトイがぼろぼろと零れる涙を拭っていた。

 困惑した表情。目が真っ赤だ。


「ちょっ……こすっちゃだめだよ。水があれば洗えるんだけど、どうしよう。お茶じゃだめだよね?」

「わ、かんない」


 ワイヤーメッシュの柵に手を掛けたマトイが、自らの腕に頭を置いて崩れ落ちそうになる。


「あぁあぁ、熱上がってるんでしょ? 戻って座ろうね。ね」


 咄嗟にマトイの下に潜り込んで肩と背中でマトイを支えたのは、我ながら適切な判断だったと思う。

 戻るまでのほんの数歩の距離ですら、マトイは倒れこむようにして歩いたんだから。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 追手がきたときには、読んでて息が詰まりそうでした!お願い、見つからないでーーーっ!て祈ってしまった(; ゜Д゜) それにマトイさんの状態もどんどん悪くなっていってるようだし、もう心配でたま…
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