何があっても悔やまないように
夜、くっついて寝てたときにはまだ熱はなかったと思う。
いつから具合が悪かったんだろう。無理させちゃったよね。
「風邪かな? 昨日の夜、寒かったもん」
袖口でちょんっとマトイのこめかみの汗を拭うと、正直者のマトイは困ったような目で見つめ返してくる。
大人びた表情。
突然の体調不良に狼狽してる人の顔なんかじゃない。全て覚悟の上であることを、深く静かな目が物語ってる。
「マトイ、こうなること、わかってたんだね」
私の問いかけに軽く伏せた瞼の先で、長い睫毛が呼吸に合わせてゆっくりと瞬く。
すぐにまた開かれた瞼の隙間から私を映した目はとろんと熱い。
止まらない汗、赤い湿疹のある首筋、赤い手の甲。
意を決して腕を伸ばす私を、マトイは静止しない。熱い手を取って、一気に袖を肘のところまで引っ張り上げた。
目の前の光景が、アニメのミナカミ博士の幼少期の映像と重なって見える。
指から力が抜ける。
「……正解」
マトイはうっすらと安堵しているように見えた。
「ああ、やっぱり……そうなんだ」
「うん」
「もしかしてマトイも、外に出ちゃいけなかったの?」
「検査結果では非推奨。実際に長時間外に出たことはなかったけど、本当にこうなるんだな」
まじまじと、他人事のように腕を眺めるマトイ。
「じゃあ、外になんて、逃げちゃだめだったんだ」
「ちがうよ。全部わかってて、俺が外に出たんだ。考えてみたら、炎症したら熱も出るよな。また俺の考え足らずだよ」
あっけらかんと非を認めて、淡く笑うマトイ。
その態度に、頭の片隅が警鐘を鳴らす。
マトイは気付いていて、隠してた。マトイは平然とした顔で隠し事が出来る人。
本当にもう、何もない? 私が気付いてなきゃいけないこと、ここに残ってるんじゃない?
マトイが真っ赤になった腕を袖の中に仕舞うのを見るともなしに見ながら、頭を回転させる。
マトイの腕が真っ白じゃなくなったのは、いつから?
私はこうなる前の腕を見たことがある。
顔を画面に向けたまま、面倒くさそうに腕に薬を塗っていたマトイ――――保湿クリームだと思っていたけど、そんなこと一言も言わなかった。
外に出ると赤くなって倒れるミナカミ博士は、たしか、食事や対人接触にも反応してたんじゃなかった?
「前にマトイが腕にクリームを塗り込んでいたとき、あのときはこんなんじゃなかったよね」
「うん」
「それぞれの体質に合わせた成分になって届くって」
「よく覚えてるね」
「あの時点でこうなりかけてた、なんてことはない?」
すんとした顔で話を聞いていたマトイが、にやりと笑った。
不利になると、自嘲するように笑うマトイ。
私ね、その笑い方、きらいだよ。
「名探偵だね、ココ。病人に対して、容赦してくれないの?」
「その言い方はずるいよ」
「うん。ずるいんだ、俺。大事なこと、全然ココに言ってない」
「そういう言い方しないで。マトイは私のために隠していてくれたんだよね。私が気にしないように」
「俺が言いたくなかったんだ」
「ううん。マトイは最初から病原体のこと気にしてたのに、私、どういうことなのか本当に……全然わかってなかったんだ」
最初にマトイが言っていたとおり。私、触らないでって言葉について、真剣に考えてなかった。
「こんな未来が待ってるなら……マトイに触ったりなんてしなかった!」
どうして軽く考えたりしたんだろう。神経質だなんて思ったんだろう。
迂闊なのはマトイじゃなくて、私だ。
この状況を作り出したのは、全部私なんだ。
「ずっとマトイが苦しんでたのに、すぐ傍にいたのに、少しも気付けなかった……」
「ココ、それはちがう。思い出して。俺は最初から、対人無接触政策のない世界が欲しかった。誰かと触れ合いたかったんだ。こうなることがわかっていても、ココを呼び寄せたのは俺だよ」
「それでも、嫌がるマトイに私が触ったりしなければ!」
重そうな頭を持ち上げたマトイが、後悔を力説する私の肩に額をぽすんと乗せた。
今の今で、私の話聞いてた!?
動くことも、触って引き離すこともできない私の頬に、マトイの髪が触れる。
マトイの熱い吐息が、ワンピースの布地越しに鎖骨に吹きかかって、こんなときなのに張り裂けそう。すっごいドキドキするよ。
場違いにわたわたしていると、マトイが信じられないほど甘えたな声で鼓膜を震わせてきた。
「そんなの、つまらないな」
「えっ?」
「ココとこうするの、ドキドキして、気持ちよくって、楽しかったのって俺だけなの?」
す、すごいこと言われてる気がする。
マトイ、自覚的だったの?
そういう気持ちでドキドキしてたのって、私だけじゃなく、マトイもだった?
「マトイが赤くなってたのって、触られるのが慣れなくて恥ずかしかっただけじゃないって、思ってもいいの?」
「そう思ってよ」
囁きながら、マトイが首元にすり寄ってきた。なにこれ、ぞわぞわってする。
腰に回された両手がじんわり熱くて、どうしていいかわからないよ。




