ただ羽を寄せ合うように
私の部屋から見える街路樹には、いつからか雀が巣作りをするようになっていた。
天気のいい朝には、雀が競うようにちゅんちゅんと鳴く。それに合わせて目覚めるのが、私の日課だった。
だから、眠っているような、思考を止めているだけのようなそのあわいで、今日も雀の鳴き声と共に目を擦り開けて……そして、ああ、と落胆した。
土の臭い。
冷たく痛むお尻。
冷え切った足首。
今度は私がマトイを攫ったんだ。
私もマトイに、安全な屋根くらい用意してあげたかったな。
それなのに現実は――――
「ココ、起きた?」
頭のすぐ上からかけられた声に、顔を上げた。
マトイの目はまだ起き抜けのように、とろんとしている。
「うん。マトイも、ちょっとは眠れた?」
「ところどころ記憶がないから、多分」
マトイが少しでも暖を取ろうというように、私を手繰り寄せる。
昨夜は結局力尽きて、木の根元で寄り添って、うつらうつらと眠りながら朝を待った。
私はマトイの腕に囲われていたけど、この季節、朝方はまだ冷える。マトイは寒かっただろうな。
そう思って私からもぎゅっと抱きしめると、「ココ、寝ぼけてる?」と返された。
「ええっ? 先にマトイがぎゅってしたのに!?」
「そんなことした?」
「もう!」
プンッと顔を逸らすけど、マトイの腕の中じゃ何の効果もない。
ぎゅっとされたら、赤くなってとまでは言わないとしても、もうちょっと違う反応があってもいいんじゃないの?
ぶつくさしていると、頬に冷たいものが当てられた。ドリンクのボトルだ。
「ひゃあっ」
「ドリンク、何味がいい? 適当に詰めただろ、色々入ってる」
「何でもいいよ。コーヒー以外ね」
「じゃあこれ。コーヒー味も入れてくれた? ――――ああ、あった。よかった」
「ちゃんと入れたよ。マトイはコーヒー味が好きだものね」
マトイが冷蔵庫から取り出していたのは、毎回必ずコーヒーの味だった。マトイには分かり合えない顔をされたけど、コーヒーが苦手な私のために他の味も忘れずに詰め込んできたよ。
そう言ってアピールしたけど、マトイからは冷淡な反応を返された。
「……そうだね」
気のなさそうな返事をするマトイからパンも受け取って、さすがにマトイの上からは避ける。
「……せっかく、あったかかったのに」
「あはは。だからって、ご飯までそこでは食べられないよ」
拗ねるマトイの顔に笑うと、余計に恨めしそうな顔をされた。
いくらマトイにくっついて寝られちゃう恥じらいのない私でも、離れてするほうが自然なことをするときにまで密着してたら、その、意識したりしちゃうんだから!
マトイにとってはただの湯たんぽなのかもしれないけどさ。
「パンとドリンクだけの食事だと、最初の頃みたいだな」
「本当。ほんの数日前なのにね。あーあ。マトイはずっとこの食生活だったんだよね。たまにはこのパンが食べたくなる?」
「いや。ココが作るご飯のほうが美味しい」
「ちょっ……そんな涼しい顔して、マトイが優しいこと言ってくれてる!」
私が作ったご飯なんて、技術も隠し味もないような基本的なものばかり。
あれをそんな風に言ってくれたら、嬉しくって、はあぁぁんってなっちゃう。
両手で頰を押さえる私を見たマトイが苦笑してるけど、こんな顔させてるのはマトイなんだからね。
「こんな場所でだけど、今日もココと朝ごはんが食べられてよかったって思うよ」
「私も! 自然の中で食べるのも、キャンプの日の朝ごはんみたいじゃない?」
「些か前向き過ぎる気はするけど」
コーヒーを吸い込みながら相槌を打つマトイは、眠気のせいか少しだるそうだけど、嫌がってるようには見えない。むしろ、どこかさっぱりした顔をしている。
「……それでも、私は昨日マトイを玄関の向こうに取られちゃわなくて、本当によかったって思うよ。まあ、思いの外寒くて、ちょっと大変だけど」
「あと2日と少し、頑張れそう?」
「全然平気。マトイがいっしょなら、外を歩くだけでも初めての体験だもん。どうせなら楽しまなきゃね」
「俺も、リアルボディでこんなに長く外に居るの、初めてだ。なんか、五感が働いてる感じがする」
「あー……ずっと部屋の中だと、温度一定だし、風吹かないし」
「予想外の音もしないし」
例示を継いだマトイが、顔を空に向ける。
眩しそうに細めた目の先にあるのは――――
「もしかして、鳥の声うるさかった?」
「うん。がさごそする羽音も」
「鳥の寝床が傍にあったんだね。食べたら立ち去ってあげようか」
「そうだな。今日は明るいうちに、ちゃんと休めるところも探したい」
「真っ暗じゃさすがに、探すどころじゃなかったものね」
最後の二晩をお世話になる寝床の確保。最重要課題だね。
「食べ終わった?」
「うん」
ゴミをリュックに戻して、数時間ぶりに立ち上がる。
関節からこきこき音がしそうだよ。
「マトイ、絆創膏剥がれてない? 貼り直さなくて大丈夫?」
「問題ないよ。あとは新しく傷作らないようにしないとな」
「手は袖の中に引っ込めて歩こうね」
やってみせると、マトイが「伸びそう……」と顔を顰めながら真似をした。
「向こうから歩いてきたよね。遠くに向かってみる?」
「そうしてみよう。探されるとしても部屋の近くからだろうし、そのほうが安全だ」
見回したマトイが安全を確認すると、すっと手を差し出してくる。
「あ、今日も手繋ぐの?」
明るいから迷子にはならないと思うけど……と首を傾げて手を握ると、マトイが無言で背を向けた。
今日も草を掻き分けながら先頭を歩いてくれるみたい。昨日より広い歩幅で、ずんずん進んでいく。
私にはちょっと早いペース。
だけど、朝で体力に余裕があるからちゃんと付いて行けるし、マトイも頑張ってくれてる。わざわざ指摘しなくてもいいかな。
他所事を考える私の視界で、マトイの歩幅のリズムに合わせて、さらさらと髪が揺れる。
朝日に当たった髪が透けるように光ってて、きれい。
今日は一際明るく、桃色がかって見える。
でも――――
「……あれ?」
思わず出た声に、マトイが「なに」とぶっきらぼうに問う。
「ごめんっ。なんでもないの」
咄嗟に否定したけど、私にはマトイの声が、照れ隠しにしか聞こえなくなってしまった。
速足も、私の問いかけに応えなかったのも、きっとそう。
マトイ、寄り添って寝るのも、朝ご飯までずっとくっついてたのも平気だったのに、手を繋ぐのは恥ずかしいなんて。それなのに放さないなんて、可笑しすぎるよ。
耳、真っ赤。
青空の下で、髪よりも赤く見える。
「ふふ。ふへへへ……」
こらえきれずに笑いだすと、マトイがより一層足を速くした。
ごめん。これは私の自業自得だね。




