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傷口を見逃さないように

 マトイの背中にしがみついたまま、目を閉じて頭を働かせる。

 あったかい背中。この背中を守りたくて頑張ってるんだ。

 楽観的になってばっかりじゃなくて、もっと、いろんな可能性をちゃんと考えなきゃいけないんだろうな。


「窓から逃げたのはすぐわかっちゃうから、そのうち追手が来るのかなぁ」

「どうだろう。他の方法を取っていないか、確認しながらになるんじゃないかな」

「他の方法かぁ。うーん……。そんなの、あの部屋にあった?」


 そんな方法があったのなら私、早いうちにマトイから逃げ出せたんじゃないかな……。

 なんて思いながら問い返すと、答えはなかなかにハードだった。


「玄関を通らないで部屋ルームから出る方法は、無理をすれば三つ。今回みたいに窓から出る方法、宅配ボックスに無理やり入って配送センターまで移動する方法、縦筒塵管ダストシュートに入ってゴミ集積場から脱出する方法」

「窓が、ぜーったい一番無難」


 残り二つは、モノ扱いだよ、それ。

 呆れる私に、マトイは話にならないと首を振る。


「そう思うのは、過去の人の発想だね」

「えーっ? じゃあどれが主流な逃げ方なの?」

「宅配ボックス経由が、危険対応用の正規の避難ルートだ」

「そうなんだ! 宅配ボックスは思いつきもしなかったよ」


 意外な答えに――――ううん、意外でもないのかも。

 何でも受け取れるように、大きな造りをしてるもんね。


「でも、じゃあ配送センターは見張られてたかもね」

「どうだろう? 逃げることを予想されてたなら、まずかっただろうけど、逃げるなんて思われてたかどうか……。窓が開いてるのはフェイクで、宅配ボックスから逃げたんじゃないかって線を先に疑ってくれると、都合がいいんだけどな」

「フェイク? 紐までぶら下げたのに?」

「それくらい外に出るって選択肢には意外性があるってこと」

「そんなにー?」


 正面に回って顔を覗き込むと、やめて、と軽く笑ってあしらわれる。

 ちょっと力ない様子だったから、食い下がるのはやめにした。


「少なくとも俺は、紐伝いに外に降りるなんて考えもしなかった」

「外が恐い?」

「ちょっとはね。今リアルボディで地面に立ってるのも、実を言うと信じられないよ。宅配ボックスのほうが衛生的で数倍は安全そうだ。理性ある人間なら、そっちを選ぶだろうな」

「そんなに危ないかな……? マトイだけじゃなくて、未来の人たちは皆、外を走って逃げるなんて考えもしないんだね」


 元の時代では当然のように毎日出ていた『外』。

 そこに忌避感なんて持っていない私に、マトイが力の抜けた顔で笑った。


「危険動物とか、虫を媒介にした新型病原体(ヴァイラス)なんかに遭遇しなければいいな」

「それはほんとに……」


 未来の『外』には、私の時代にはなかったドキドキが詰まっていそうだね。

 私の時代でだって、野宿はなかなか勇気のいることだけどさ。


 そう。野宿――――キャンプですらなくて、野宿しなきゃいけないんだよね。

 今の私たちは、立派なホームレスってやつだ。


「今日、寝られるところ、あるかな……」

「もう少し歩きながら、拠点にできそうな場所を探してみよう。3日あるんだ。さすがに幾分いくぶんかは休みたい」


 言いながら肩を落としたマトイの顔には、困憊こんぱいがありありと載っている。


「マトイ、疲れた? ……ううん。ずっと気を張ってくれてたもの、疲れたよね」

「立ち止まったら、いきなり疲労がずっしり乗りかかってきただけ。まだ平気」


 そう言いながらも、心なしか顔色も悪いみたい。

 無理もないよね。日頃、風にも当たらないマトイがこんなに長時間外を歩き続けるなんて、きっと初めてのことだ。


「マトイ、先頭変わるよ。私も、未来の景色を見ながら歩いてみる。きっとどこか、座れるところがあるよ。もうちょっとだけ、頑張ろうね」

「わかった。少し任せる。すぐ回復するから」

「うん」


 マトイがリュックを背負い直すのを待って、もう一度手を繋いだ。

 今度は私がマトイを引っ張るかたちで歩き出す。

 うわぁ。誰も歩いたことのない草むらって、こんなに雑草がびっしり、行く手を遮ってくるんだ。

 手で払った分厚い草が、すぐに戻ってきちゃう。うう、顔にぶつかるよー。

 これは大変……と思いながら草をかき分け続けて、跳ね返ってきた草を今度は手の甲で弾き返す。


「いたっ」


 思ったよりも、草が狂暴すぎるんじゃないだろうか。草で手を切ったのなんて、子どもの頃以来だよ。

 傷口を口に含もうとすると、唇に付けた手は目敏くマトイに取られた。


「切れた? ココ」

「あ、うん」


 大丈夫、と舌が動く前に、不意にマトイの手が目に入る。


「マトイ、手、傷だらけ……」


 マトイの日に当たらず真っ白かった手に、何本もの赤い線が入ってる。蚯蚓腫みみずばれになってるところさえある。

 マトイ、今まで痛そうな声一つ上げなかったのに。


「すぐ治るよ。手袋、あればよかったね。せっかくココが、肌の出ない服って言ってくれたのに、見つからなくて」

「ううん。痛いよね?」


 はっとして、繋いだ手も持ち上げてみる。

 月明かりを頼りに確認すると、やっぱり、こっちにも細かな傷が、あちこちに。

 私の手は、マトイの手の中にすっぽり入れてもらっていたから、気付かなかったんだ。


 ずっと、しっかり繋いでいたはずだったのに。

 うまく、逃げられていると思っていたのに。


 にじむ視界に顔を伏せると、マトイの手がさっと引かれて、視界から消えた。


「ココこそ。絆創膏、災害セットに入ってると思うんだ。後でもいい? 休める場所に着いてから」

「平気。次から手は袖の中に入れておくね」


 袖口で強く涙をぬぐって、ついでに手を袖にしまうと、殊更明るく答えた。

 でも、マトイの気持ちは明るくなってはくれなかったみたい。

 顔を上げた先のマトイの顔は、へにょんとしていて弱弱しい。

 その顔のまま、頭を横に振られてしまった。


「いや。また俺が先に歩くよ。ついてきて」

「でも私、まだ全然進んでない……」

「やっぱり、このほうが効率がいいから。ココには後で頑張ってもらうよ。いい?」


 かたくなな声。そっか、私、戦力になれなかったか。

 交替したの、ほんの何メートルか前だもんね。


「うん……。マトイ、無理しないでね」


 俯きながら先を譲った。マトイは小さく「ん」とだけ応えた。


 あと3日。あと3日。

 今夜、何度そう唱え続けるんだろう。

 誘拐5日目は、いつまでも、いつまでも終わる気がしないね。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 大けがではないにしろ、やっぱり傷は辛いし、精神的にも肉体的にも疲労は大きいはず……。 二人で気遣いしながら協力して進んでいって欲しい><;
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