未来を信じられるように
手紙は、いつも配達物が届く棚に置くとすぐに回収されていった。
即座に相手方に届ける技術は、この手の郵便事業には敢えて適用されていないから、届くのには少し時間がかかるよ、とマトイ。
実際に体験したことはないので、どれくらいかかるのかはマトイにもわかっていない。
書いた手紙がメールと同じ速さで返ってくるのも複雑な気持ちになるよね。風情を大事にした結果が現状なんだとしたら、粋だなって思う。
マトイとはその後少し、古典的な遊びをした。
『あっち向いてほい』とか、『腕相撲』とか、『アルプス一万尺』とかそういうの。
ついでに、縦横3マス計9つのマスに〇×を入れていく『三目並べ』や、21を言うと負けになるゲームなんかも。
「こういう遊びは顔を突き合わせてないと楽しめないものね」
「手を合わせてする遊びって、結構あるんだね」
「未来にはもう残ってない?」
「代理ボディ使えば出来るけど、腕相撲とかボディの出力の違いを競うだけになるからな。子どもの間でだって流行らなさそう」
「あー、そういう問題が」
マトイは腕に力を籠めたり抜いたりして、ひとりで身体の動きを楽しんでる。時々私の腕を見ながら。
自分の身体のことって、他人と自分を比べてみないと特徴にも気付かないものかもしれないね。
「それより、ココは慣れた遊びじゃないの? なんで対決系全部弱いの?」
「慣れた、って……私だって最近はさすがにやってないよ。それより、マトイは手加減って言葉を覚えたほうがいいね」
「勝負事なのに?」
「いくら勝負でも、相手を全負けさせるのは思いやりがないよね」
「うぅ……ごめん」
ここ数日で覿面に社交性の経験値を上げているマトイが、いたく素直に肩を落としている。
それを見ると私のほうが罪悪感刺激されちゃうな。
「私も、思いっきり戦わせてあげられる技量がなくてごめん。相手として不足だったね」
「そんなことない」
マトイは律儀に首を振ってくれた。目が合って、どちらともなく笑い合う。
「まあ、それだけ楽しんでもらえてよかったよ。私も、こういうことって相手が目の前にいるから出来ることなんだなって、なんかしみじみしちゃった。本当の自分の前に相手がいてくれて、触れ合うことが出来るのって、幸せなことだね」
「うん。当然出来ることなんかじゃない」
「そう思うと、今まで私がしてきたことって、よくなかったなって思うよ」
「ん?」
「目の前に人がいてもスマホ触ってたりしてたの……あんまり気にしてなかった。でも、せっかく目の前に相手がいるのに、もったいないことしてたよね」
「ココがスマホの先の相手との関係も大事にしてたの、知ってる。それだって、大切なことだろ」
「へへ。マトイ、慰めてくれてるの? ありがと」
手を絡めていっしょに立ち上がる。
そろそろ晩ご飯の時間だ。
マトイと食べられる夕食も残り2回。最後の日は私、晩ご飯前に未来に来ちゃったからね。
今日の夕食は、マトイといっしょに考えた。
「さ。そろそろ作ろっか」
「本気? 俺、包丁持ったこともないんだけど」
「大丈夫だよ。カレーライスって小学生が作る初めての料理にも選ばれちゃうくらいなんだから。それに、私がついてるでしょ」
「大船に乗ったつもりでいるよ」
そう。今夜はマトイと、調理実習をするつもり。
「じゃあ、材料ね。ジャガイモとニンジンと、たまねぎ! たまねぎはねー、たくさん入れたほうが甘くなるんだよ」
「調理前のたまねぎとか初めて見た」
「うそっ」
「芋と人参はなんとなくわかる」
「お家で料理しないって、こういうことになるんだ……。これは大丈夫だよね? 豚肉」
「さすがにね」
マトイのレベルに合わせて、一つずつ材料を並べていく。
「それから、これが一番大事! カレールーだよ。いくつかのルーをブレンドする人もいるけど、私はそのままが好きかな。ルーによって味が違うから、今度試して好きな味探してみてね」
「わかった」
従順なマトイにピーラーを持たせて、作業開始である。
初めての割に小器用なマトイは、指を切ることもなくするすると皮を剥いて、見よう見真似で野菜を切っていく。
下手したら私より――――やめよう。
切るものを切ったら、カレーなんて軽く炒めて煮込むだけだ。正しい作り方はルーのパッケージに書いてあるし、マトイは絶対に説明書を読めるタイプ。
私が口を出さなくても、マトイはお鍋を真剣に見つめながら手筈を踏んでいく。
あっという間に広がるおいしそうなスパイスの香りを、口から大きく取り込んだ。
「ううーこれだよね。お腹が空くにおい」
「これで出来てるのかな」
「ここから隠し味を入れる家もあるけど、今日は基本に忠実にしたいよね。味見してみようよ」
小皿に取ったカレーをマトイに差し出すと、恐る恐るといった体で口を付けた。
喉がこくりと動く。
「どう? どう?」
「おいしい、と思う。けど、確かめてほしい」
「まかせて!」
小皿にカレーを追加して、マトイの跡のない部分から口に流し入れる。
未来でも全然変わってない!
この味だよ。さすがビャーモントカレー。守り続けてきたおいしさだね。
「完璧だよ、マトイ! これでご飯にかけるだけ。ね、簡単でしょ」
「思ったよりは、できそうかも」
「今度、ご両親に作ってあげられるね」
嬉しくなってマトイの顔を覗き込むと、マトイが恥じらいながらも、やわらかく笑った。
大丈夫。きっとそういう未来が来る。
私はそれを見られないけど、信じて帰っていける。
お米をカレー皿に盛って渡すと、おたまを慎重に持ち上げて、マトイがカレーを丁寧にかけた。
新品のカレー皿に、マトイの初料理。食卓が輝いて見えるのは、気のせいじゃないよね。
マトイが2皿目にルーをかける傍ら、冷蔵庫の中のドリンクを選んでいると、『ポーン!』と耳慣れない音がした。
「何の音?」
ドリンク片手に振り返ると、おたまを持ったマトイの手がぶらんと下がった。
おたまから、零れた茶色いルーが、真っ白な床をべちょっと汚す。
「……マトイ?」
固まる背中に手を当てる。
こちらを向かないマトイが、目を見開いたまま表情を無くしていて――――そして、おたまが床に転がった。




