願いを叶えられるように
途中でお昼を挟んで、マトイが手を止め伸びをしたのは、夕方になってからだった。
これで、事前準備は完了。
時間になったら、私は私の時代に帰ることが出来る、らしい。一週間多めに戻すから、誘拐された日まで戻ることが出来ると思うとのこと。
二回目だから私を攫ってきたときよりは構築が大分楽だったと言われたけど、一回目はどれだけかかったんだろうね?
あまりにも退屈しながら待ったために、私の悲しみは一旦心に仕舞い込まれた。
せっかくの時間を、暗い気持ちで無駄にしたくないものね。
そういうわけで、私たちは仕切り直しをして、残りの日程に取り掛かることにした。
「残り3日間だね。マトイ、最後までよろしくね」
「うん。よろしく、ココ」
「よーっし。そうと決まったら、ぐずぐずしていられないよね。マトイ、『現在』を変えるために、まずはどうしよっか」
いつものソファーに戻ってきたマトイに、椅子に座った私が訊く。
お気に入りのコーヒー味の補助ドリンクで喉を潤すマトイが、予め用意していたように話し出した。
いや、ちゃんと考えてたんだろうね。
マトイは行き当たりばったりなんじゃなくて、熟考した結果抜けがあるタイプだもんね。
「両親に手紙を出してみようと思うんだ」
「お手紙?」
メールでもなく、手紙。
私のいた時代でさえ、紙の手紙を出すのなんて珍しいことだ。
「俺のやりたいことに、相応しいかと思って。郵便事業は細々と生き残ってるんだよ。それとも、メールのほうがいいと思う?」
「ううん。紙のお手紙のほうが、ずっと、気持ちが伝わると思う」
「よかった」
そう言って、マトイが恥ずかしそうにはにかむ。
レアなものを見てしまったよ。
「ココ、手紙の書き方教えてくれる? 書いたこと、ないんだ」
「ココに任せて! 私も年賀状くらいしか書いたことないけどね、お姉のボールペン字の通信講座で、いっしょに練習してみたことがあるんだよ。拝啓で始まってかしこで終わるよ」
「何それ、古典?」
胡乱げに横目で見てくるマトイが、少し信じた顔をしているのがおかしくて、真顔ではいられなかった。
笑いだすと、からかわれたことだけ理解したマトイが顔を顰める。
こんなに楽しいのに、もうカウントダウンは始まってるんだ。
そう思ったら、今まで簡単に手を伸ばしていたはずの距離が妙に遠い。
マトイの傍が安心するって、近くにいたいって思っていたら、きっと辛いことになる。
教えると言いながらマトイの斜め前の椅子に座る私に、ソファーの片側を空けたマトイの真っ直ぐな目が向いた。
「何でそっちに座るの?」
「へへ、マトイの書く邪魔しちゃいけないからね」
「ちゃんとこっちで見てて、間違えそうになったら教えてよ。直筆で文章書くの、慣れてないんだ」
「おーけーおーけー」
私が何を思っていたって、そんな顔されたら即座に降参だよ。そう思っちゃうようなマトイの不満顔――――もっと言えば、拗ねたような顔に、仕方ないなあと思う。
おとなしくマトイの隣に移ると、よしとばかりに頷いた。満足そうに口の端を持ち上げてる。
マトイのほうが私から離れられなくなっちゃったりして。
周囲に人の気配のないマトイにとっては、唯一身近な他人が私になってるんだろうね。持てる限りの力で私に両腕を伸ばしてくるみたいな関わり方をしてくる。
それを見ると私も、拒めなくなっちゃうわけなんだけど……。
「それじゃ、どんなこと書こうか」
「最初から全部ぶつけても、驚かせるだけだと思うんだ」
「そうだね。ジャブは小さめなほうが次に繋げやすいと思うよ」
「ココ、表現が渋い」
「どーせマトイよりずーっと前に生まれたお婆さんなんですー」
「そこまで言ってないよ。時代の違いを感じただけ」
「同じことだよね?」
じゃれ合いながら便箋を取り寄せ、忘れずにペンを用立てる。
今まで家族の集まりを避けていたこと。代理ボディでの交流にずっと違和感があったこと。ようやく家族に向き合いたいと思えたこと。
ひとつひとつ、マトイと二人視線を交わし合って、あれでもない、これでもないと練り上げていく。マトイの気持ちを表す言葉。
最後の一行をマトイが書き上げるのを見て、ペンを置く前のマトイの肩に傾けた頭を乗せた。
慎重にペンを置いたマトイが、こわごわと私の肩に腕を回す。
いっしょになって詰めていた息を吐いて、ソファーの背もたれに凭れかかった。
そのままマトイが私の頭を撫でてくれるのをくすぐったく思いながら、二の腕に額をぐりぐり擦り付ける。
マトイの想いが届きますように。マトイの願いが叶いますように。
こんなに、ささやかなんだから。
几帳面な字で記された最後の言葉が、目の奥に残って離れない。
『父さんと母さんの本当の顔が知りたいです』




