迂闊に捕まらないように
食卓を片付けていると、マトイが水槽に手を掛けて振り向いた。
「窓、そろそろ遮断するよ。クリアモードにしても外からは見えない造りなんだけど、その気になれば覗ける技術はあるんだよな。長時間は危険だ」
「危険って、ふっふふ……射撃でもされるみたいな言い方。マトイ、狙われてるの?」
「いや、射撃されることはないだろうけど」
この時間だけの贅沢、斜めからの光を浴びるマトイの目映さに、私も片付けの手を止める。
空も、水槽の水も、アクセントになる壁紙の色も、マトイのシャツの色まで全てがブルーに統一されていて、まるでこの部屋全体がひとつの水槽になっているみたい。
そんな中で、マトイのピンクに近い赤茶の髪が一際明るく主張する。
海の中の珊瑚や、夕焼け空にたなびく雲を思わせるような色彩。きれいな男の人だなぁ。
見惚れながらぽてぽてと歩み寄ると、スカートの柔らかな布地がひらひらと太腿を撫でる。
うう~、意識しちゃうよぅ。気恥ずかしい!
「……外見映像からでも、機械を通せば一発でわかるんだ」
「うん?」
「代理ボディとリアルボディの違い」
見た目じゃ区別付かないくらいだったけど、さすがに機械でも判別できないくらいだとは、私も思わなかった。よく見ると産毛がなかったり整いすぎていたりだとか、ちょっと整いすぎてるなとは感じたけど、それくらいで。
だから、マトイが何を言いたいのかよくわからない。
「そうなんだ?」
「疑って解析する人がいればだけどね」
疑うってことは、何か疚しいんだったかなって考えると――――
「あっ。マトイ、私のことメイドロボだってことにしてるんだよね。人間だってバレちゃったらまずいの?」
正解を引き当てた気持ちで言説を披露する私。
でも、マトイは対象的に、今にも重い溜息を落としそうな雰囲気で笑った。
「まずいっていうか、俺、未成年のココを同居させてるのバレたら、その時点でお縄なんだよな」
お縄って、お縄って手錠のこと!?
「ええ? もしかして、昨日言ってたその話、相手が過去の人でも当てはまっちゃうの?」
「問答無用でね」
「ってことは私、外から見られるだけでも、マトイに不利になっちゃう?」
慌てて窓際から3歩下がる。
水槽があるからはっきりとは見えないと思うけど、私、無警戒で外覗いちゃったよね。
「ココがただの徘徊娘だと思われたとしても、間違いなく逮捕」
「ええっ」
「誘拐で追撃。過去干渉で追い打ち。くくっ」
「ひーっ」
マトイってば、自分のことなのにそんなゲームみたいに言わないでよー。
こういうときに笑うの、癖なの!? 怖いよ!
「それ、私がここにいることに気づかれる前に過去に戻してもらわないと、困るのはマトイだよね!?」
「間違いなくね」
本当にマトイは。こんなんじゃ、家族と暮らせるようになる前にどこかで捕まっちゃうよ。
「マトイは、本当にほんっとうに迂闊で心配だよ」
「ココに言われるほどか……」
マトイは、しっかり者じゃない自覚がある私よりも尚酷いと思う。
頭いいはずだし、思慮深そうな顔してるんだけどな。
「まだ自覚が出ない? 一歩間違えば、お縄で追撃で追い打ちなのに?」
「それは、さすがにまずいなって思ってるよ」
マトイは渋い顔で髪をくしゃっとさせた。
そのポーズはハッとするほど絵になるけど、今は見惚れてる場合じゃない。
「いいから、早く見えなくしよう。マトイが逮捕されちゃったら私が困るよ」
マトイの背を押して催促すると、マトイの背中が跳ねた。
まだ背中に触られるのは慣れないのかな。
ぬくもりに飢えてるマトイには、私としてはたくさん触れてあげたいなと思う。
触られるのが苦手って言いながらも、接触が増えるの嬉しそうだよね。
「だからといって、窓に映る人影を逐一監視してる人もいないとは思うけどな」
ぼやきながら、窓際に手をかざすマトイ。
「遮断するよ」
「うん」
水槽の向こうはあっという間に海模様の壁に戻った。
マトイの頬に当たっていた陽光が遮られて、少し物憂げな印象になる。赤茶の髪も、珊瑚や曙色ほど神秘的には見えなくなった。
なんだか残念だけど、マトイ本人は心なしか、ほっとした表情。
「うーん。マトイって、守ってあげたい系男子だよね」
褒めるつもりで言ったんだけど、マトイの背はがっくりと崩れた。あらら。
「ココからの評価が散々すぎる」
「えーっ? 貶してはいないよ」
「いいよ。慰めなくても」
「ぎゅーってしてあげたくなるってことだよ」
丸まった背中をかるーく抱きしめる。ついでに、赤い頬をツンツンしてあげた。
顔を逸らされた。
「でも、マトイがそれを私に教えてくれるとは思わなかったな」
「うん?」
「マトイ、私に直接関係ない未来の情報は渡さないようにしてるんだなって、私でも思うもん。一応、気を付けてるんでしょ」
「うん。まぁ」
マトイが、頬を押さえながらソファーまでにじり寄っていく。
かわいいなぁ。
「これも、私が知っちゃったら、なんとか姿を見せるように悪あがきされるかもしれないとか……思わない?」
言わないほうがいいんだろうけど、と思いながらも口にしてしまう。
でもね。返されたのは、意外な決意だった。
「だってココ、俺のこと助けてくれるんだろ」
「そうだよ」
「じゃあそんなことしない」
「信頼だね!」
「信頼だよ。それに、そろそろココは知ってるほうが安全だと思った。この後どうなっても、ココが無事に帰れるように」
「……どういうこと? マトイ」
不吉な響きに、恐々と聞き返す。
マトイの頬からはいつの間にか赤みが引いている。
「ココ、帰る日を決めよう」
「帰る、日? 私が?」
「そう。それまでに頑張るから……『現実』を変えられるように」
ソファーから見上げてくる薄茶の瞳は、強い決意を湛えていた。




