隠し事を許容するように
「おはよう、ココ」
次の朝、スマホのアラームより前に私の耳に届いたのは、マトイの声だった。
「マトイ、おはよー……」
うとうとしたまま、碌に目も開けずに答えると、違和感を覚えながらも脳は二度寝態勢に入る。
そんな私を邪魔するように、頭皮がところどころ引っ張られる感覚が、何度か続いた。
あ、散らばった髪を整えられてる?
って、誰に?
――――誰にって、マトイしかいないじゃない!
「えっ。なにしてるの、マトイ」
一気に覚醒して目を開くと、とっくに起きて着替え終わったマトイがこっちを見下ろしてた。全く悪びれない顔で。
待って、いつから?
絶対寝顔見てたよね。本当に、なにしてるの!?
「なにって、いつもの時間になってもココが起きてこないから……どうしたのかと思って。疲れてる? 眠いの?」
「え、今何時? アラームは……」
枕元に置いたスマホを手探りで取って、それで気付いた。
真っ暗な画面。
「そっか。電源落とす前に、アラーム解除したんだったね」
周到な自分の行動に感心していると、マトイが心配そうに眉尻を下げた。
「充電、なくなったの?」
「ううん。なくなりそうだから電源切ったの」
「そうなんだ……。8時になったよ。まだ寝ていてもいいけど」
「ううん。起きる! 起こしてくれてありがと」
目もぱっちり開けて半身を起こした私を見て、満足げにマトイがリビングに戻っていく。
そのマトイの背を見送っていると、ふと疑問が再燃した。
「あれ? それで、なんで髪の毛いじってたわけ?」
答えを知る人は、既に扉の向こうだった。
***********
リビングには、今日も光が溢れている。
「わあ! 今日もいい天気そうだね。水槽がキラキラしてる」
「天気? ああ、そうかもね。光量から推察するなら」
今朝も私を迎えてくれた、朝だけの太陽光。水槽越しだけど、一日の始まりらしく元気をくれる。
でも、拘りがあるのは私だけみたい。
「マトイは、その日の天気ってあんまり気にならないの?」
「別にそんなには……。乗用銃弾から見える景色が多少変わるくらいだろ」
「そっかぁ。外に出ないなら、雨で歩きにくいとか暑くて出掛けたくないとか思うこともないよね」
そういう経験が全然ないなら、景色や明るさだけの違いだと思っていてもおかしくはないのかも。
私は寂しいと思うんだけどな。
マトイは自然との共存とか言ってた気がするけど、未来の人の自然との関わらなさは、生半可なものじゃない。
「ココが気になるなら、外でも見てみる?」
「見られるの? 見たい見たい!」
「ココ、外の風景好きなんだね。この部屋の外は観賞したくなるほどに風光明媚ではないんだけど」
「うーん。別に芸術を見るような気持ちではないから、きれいじゃなくてもいいんだよね」
「ああ、そうなんだ?」
「好きっていうか……毎日少しくらいは部屋の外が見えないと、息が詰まる感じがするかも」
「その感覚、俺にはわからないな。――――はい。少しの間だけだけど」
マトイの言葉と共に、目の前に青空が広がった。空の手前を、魚たちが素知らぬ顔で遊泳してる。
「わあ! 水槽の後ろ、全部窓だったんだ」
「一応空も見えるけど、正面の棟に景色が遮られるから、そんなに楽しいものじゃないだろ。高層階なら見応えあるんだろうけど……俺も、見るのは久々」
「ううん。外に何があるのか見えると、なんか安心っていうか納得っていうか。どうしてかな」
外がどうなってるのか見えないと不安な感覚って、説明しづらいかも。
ともあれ、移動筒からは生い茂る緑しか見えなかったけど、窓の外にはちゃんと茶色く地面が見えた。雑草で覆いつくされつつあるけど。
窓の高さには、木々の頭がぴょこぴょこと顔を出している。中には背の高い木もあって、たくましい木の枝を見せてくれていたりも。思ったよりも、ワイルドな景色だよ。
「マトイ、ここ何階なの? この木の枝なんて、こんなに上まで伸びてきてるよ。大きい木だねー」
「3階だよ。ああ、結構窓の近くまで伸びてきてるね。さすがに伐採依頼出しておくか」
「切っちゃうの?」
「完全に木で覆われると、太陽光取り入れることもできなくなるよ。俺は困らないけど」
「それはさすがに嫌だよね」
下の階の人たちも、窓の外を見たりはしないのかな。3階でも窓からこれだけ木が見えるってことは、1階や2階なんて大変なことになっていそうだよね。
そう問いかけると、ここより下の階は居室になってないんだって。居住者用のトレーニング施設とかプールがあるんだとか。未来の生活、意識しないと運動不足一直線だもんね。なんだか納得。
日の光を浴びて、体を動かすことを考えていたら、急にお腹が空いてきた。
「マトイ。朝ごはん、今日はサンドイッチにしない?」
「いいね」
先に窓際から離れていったマトイを振り返ると、マトイはいつものソファに座っていた。
太陽光が眩しいと画面に反射しちゃいそう、なんて思ったけど、そんな様子もなく画面にはリストが映ってるのがはっきり見える。
項目名はアルファベットで綴られてるから、遠目に見ても何が書いてあるのかわからないんだけど――――この画面、昨日も見てなかったかな? 昨日よりも少し画面の色味が多いような気がするから、似てるだけで別のリストなのかも。
つい覗き込んでると、マトイが困った顔をして画面を切り替えた。
「あ……っと、ごめんね。サンドイッチ、タブレットで頼んでもいい?」
「いいよ。はい、使って」
マトイは深く追求せずにタブレットを手渡してくれる。
「ありがと。ねえ、さっきの画面、昨日とちょっと色の感じが変わったね。何のリストなの?」
「……なんでもないよ。作業の進捗リスト」
「ごめん。私が見ちゃ駄目なものだったかな」
なんでもないなんて言いながらも、マトイの顔にはでかでかと『しまった!』と書いてある。
もう。嘘つけないんだから、マトイって。
「えーっと、大丈夫。書いてあることまでは読んでないからね」
私が弁解すると、「うん……」とマトイがしょんぼり項垂れた。
マトイ、私が来てから一人で出掛けることもなく、ずっと部屋にいるけど、たしか学生でもあったよね。未来の学生さんは、学校で授業とかはないのかな。
マトイの勉強やお仕事の進捗は大丈夫なのかなって、他人事ながら心配になってしまった。




