生きてく未来を捨てないように
「マトイ、これ本当のこと? 未来にこんなことが起こるの?」
握り締め続けていたマトイの手を、祈るように顔の前まで持ち上げて、両手でギュッと掴み込む。
マトイは私の顔色を窺う気配を見せながらも答えた。
「そうだよ」
信じられない。この話がせいぜい、20年や30年後には起こってしまうことだなんて。私のほうこそ、過去を変えたくなってしまいそうだよ。
マトイはしばらく黙って私の様子を見てたみたいだけど、次に出したのは一切の感情を取り払ったような声だった。
「感染爆発は対人無接触政策の結果、徐々に収まった。とはいえ、協力する気、失せただろ」
マトイの目、すごく暗い。
この話を始めてから、マトイの心が不安定になっているように見える。
危険な気がする。唖然としてる場合じゃない。私がなんとかしないと。
「衝撃すぎて考えてなかったけど、うーん。この流れだと、代理ボディはないと困るよね。人格ソフトウェア化プログラムは……なくても画質の悪い動画見てるくらいの気持ちにはなれるのかな?」
人格ソフトウェア化プログラムを必要だと言ったら許せないかもしれない、とまで言ったマトイの反応を見ながら、弱腰で応じてみる。
幸い、マトイは私に無理に回答を迫らなかった。
「俺はプログラムを埋め込む前の記憶はないけど、ココが猫になったときにどう感じてたかが一番近いんじゃないの」
「私は思いっきり没入感あったけど、言われてみれば色とか空気感とかは本当の身体には敵わなかったかも。食事の匂いもばっちり感じたから、すごい性能だなってむしろ感心したけどね。ただ、猫の身体だからって、多少甘い目で見てはいたかも。人型に入ったらまた違ったのかな? 必須だとは思わないなぁ」
「プログラムを埋めないままで代理ボディを常用すると、自殺率や無差別殺人やテロを起こす割合が上がるらしいよ」
「私が鈍いだけだった。必要だね!」
明らかに人命の関わるのに不要なんて言う気はないよ。
となると、残ったのは対人無接触政策だけなんだけど、これがないとまた感染が拡大しちゃう可能性は、多分あるよね。
ん? 対人無接触政策?
「ねえ、マトイ。マトイが家族と暮らすのって、対人無接触政策に引っかかったりする?」
「するといえばする」
家族間での感染が原因で作られた政策だというのなら、感染が収まったとはいっても、原因になった行為を認めるようなものじゃないんじゃないかな。
そんな私の心配に対して、マトイは微妙な答えを打ち出してきた。
「対人無接触政策の法整備って、急ピッチで施行されたからかなりガタガタなんだよね。罰則規定はあるけど、未成年を含まない同居なら定期検診で問題が出なければ、リアルボディでの部屋外行動の一部制限で済むくらいには緩い。条例で規制重ねてる部分はあるけどね」
「あれ? マトイは成人――――」
「してる。妹はまだ。抜け道放題は対人無接触政策だけど未成年保護にはうるさくて、未成年を含む同居はお縄」
「え? それじゃあ個人個人で暮らす必要なさそうに聞こえるよ。妹さんはともかくさ」
「どちらかというと制度よりも、マナーとかモラルの問題かな。子どもが生まれれば当たり前のように専用の部屋を与えられる一人一部屋社会の中で、わざわざ同居するなんて非人間のすること、だってさ」
「待って。じゃあそういうマナーモラル先入観的なあれこれを、私はどうやったら止められるの?」
「そういうのって過去からの経過で作られるものだから何とかなるかなって」
「その考えはさすがに甘々だよ」
「無理か」
即答すると、考える素振りもなくマトイも諦めてくれた。
「それどころか、対人無接触政策とか人格ソフトウェア化プログラムがないと、多分未来の人口減るよね。それって、ちゃんとマトイ生まれてくるの!?」
「考えてなかった」
「マトイはちゃんと考えよう! 頭いいんだから、頭働かせようよ」
マトイのあまりの危機感のなさに、マトイの膝に乗り上げながら両肩をガクガクと揺らす。
本当になんでこんなに抜けてるの?
ちゃんと起きてる? 私の話聴こえてる?
「マトイは、もう過去を変えるのは諦めよう。そんなことしても、マトイは幸せにならないよ。誰でも、自由に変えられるのは自分の未来だけなんだよ。マトイも、ちゃんとそこで戦おうよ」
私の全身全霊の説得に為す術なく揺さぶられているマトイ。
この際、どんな手を使って脅してでも諦めるって言わせなきゃ。
このまま、マトイに過去を変える努力をさせておくのは恐ろしすぎる。マトイには、筋道も結果も全然見えてない。
「お願い、マトイ。もうやめるって言って」
「い、いやだ」
「マトイ!」
マトイが嫌がるのを承知で、目の前に迫ったマトイの頭を抱きしめる。
マトイ、髪の毛私よりもちょっと硬い。ちくちくする。
抵抗もせず沈黙していたマトイが、しばらくして両手で肩を押し返してきた。
「やめたら、ココは過去に帰るだろ」
それだけ言って黙り込んだマトイ。
赤くなるでも青くなるでもなく、諦めたような顔をしてる。
「マトイが家族と同居――――ううん、家族らしく暮らせるようになるまで、ここにいるよ」
「なんで」
「だって、まだ私が必要でしょ」
ぼんやりと現実感のなさそうなマトイが、「うん。必要」と呟く。
「だから、私が付いててあげるね。それで、マトイがもう一人で大丈夫だと思ったら、私のこと、過去に帰らせてね。マトイが家族のことを大事に思ってるのと同じように、私の家族も私がいないと、きっと心配してると思うんだ」
私の言葉がマトイの心に届いたのかな。
マトイが痛そうに顔を顰めて、その顔を隠すように、かたちのいい額を私に預けてきた。
「ごめん、ココ。ごめんね」
「だから、マトイ。やめるって言って。過去は変えないって言って」
「うん……」
「過去にも、頭のいい人はきっといたよ。その時代その時代で、選べる中で一番マシな選択をしてきてるはずだよ。マトイの『今』は、いろいろ問題はあるけど、世界中の人が一生懸命作り上げてきた結果なんだよ」
「それはまあ、適当なことをしてきたとは……」
「そういう選択を、後から踏み躙っちゃ駄目だよ」
「……わかった。ココがそこまで言うなら、過去を変えるのはやめにする。これから俺が変えられることだけを、考えるよ。――――ココもいっしょに?」
「うん。いっしょに考えるの」
マトイの縋るような声に、これまで意識したこともない庇護欲がぐいぐい刺激される。
あんまり辛そうな顔しないで、マトイ。
マトイには誘拐の件は反省してもらわなきゃいけないんだけど、でも、悲しくすべてを諦めて欲しいわけじゃないんだからね。
せめてマトイから、諦念以外の感情を引き出したくて、マトイの髪の毛をかき回すようにぐちゃぐちゃに交ぜた。




