絶望しないように
観念したマトイの行動は素早かった。
「まず、見てみる? 開発の経緯」
「うん。あんまり難しくないのがいいな。偉人伝になってる? ナイチンゲールとかみたいに、漫画とかあるかな」
開発の経緯なんていう、明らかに難解そうな単語に日和った私を、マトイがジト目で見てくる。
「ココ、実は小学生だったりしないよね……」
「しないよ! 自分にとってわかりやすいレベルに落とすのって、ちゃんと理解するために大事なことだと思わない?」
「言っておくけど、年齢相応の読解力を持ってることも大事なことだからな」
「本当のことでもあんまりいじめないでよ!」
「ココの息子が博士だってこと、俺も信じたくなくなってきた」
「父親が大天才かもしれないよね!?」
売り言葉に買い言葉。勢いで反論すると、マトイが口を閉ざした。
その割に、何か言いたげな目だよ。
「まあいいか。アニメとドキュメンタリーどっちがいい?」
「アニメがいいな」
「もう、一番対象年齢が低いの選んでやる」
「情報量が多いと余計なこと知っちゃうかもしれないから、それでいいよ」
「くそ」
それどういう態度なの、マトイ。
悪態を吐いて画面を睥睨しながらも、アニメを見繕ってくれてるマトイは真面目だね。捨て鉢な様子には、苦笑しちゃうけど。
椅子から立って、マトイの隣に覗き込みに行くと、多種多様な絵柄のサムネイルが並んでいる。
「これがオススメらしいけど、これでいい?」
マトイが一番大きく表示されているサムネイルを指差した。
癖のない丁寧なイラスト。否やはない。
「こっちでいっしょに見てもいい?」
言いながら、マトイの座るソファーの背もたれに腕を置いて寄りかかる。
マトイは怪訝そうにしながら、端に寄ってくれた。1.5シーターちょっとはあるゆったりした造りのソファーだから、ギリギリ一人座れるくらいの隙間が出来る。
「これ一人掛けなんだけどさ、なんでこっち来るの?」
「ドキドキするから手、繋いでてほしいの」
「俺への試練が多い」
マトイが遠い目をしたけど、黙殺させてもらうよ。
半分マトイに凭れるような恰好でソファーに滑り込んで、マトイの顔色を窺う。
赤くなっていいのか青くなっていいのか、みたいな顔で、そわそわしてる。少しずつ逃げる方向に身体をずらしてるし、足の指を細かくぴくぴく動かして、すごく、どうしていいかわからなさそう。
それでも、私が手を出すと仕方ないなって顔で握ってくれた。
マトイ優しいなぁ。それにピュアさがかわいい。
どんどん、マトイと話してると安心するようになってきたよ。不安になったら手を繋いでるからかな。
誘拐犯相手に安心してちゃいけないような気もするんだけど、マトイが誘拐犯っぽい行動を取らないから、あんまり悲観的になれないんだよね。
アニメっていうから画面上でキャラクターが動き回るんだと思っていたら、画面の外に立体的なキャラクターが登場して動き出したよ。それも、背景ごと。
予想外すぎて、マトイの手にしがみついちゃった。
マトイがカチンコチンになってるのには気付いたけど、それよりも私の目は、動き出した主人公に釘付けだ。
幼少期から始まっているらしい。私よりも明るい髪色の男の子が、外を走り回ったかと思うと、顔を真っ赤にして倒れ込む。
家に戻ってご飯を食べると、肌が赤くブツブツになる。
ベッドに横になって休んでいると、窓から入る風に嫌な咳をする。
『彼は、重度のアレルギー体質でした』
語りかけるようなアナウンスに、ごくりと唾を飲む。
『成長していく度に、どんどん悪化していきます』
主人公を心配してその手に触れる母親。
固唾を飲んで見守る私の目の前で、主人公の肌が赤くなり、そして掻き毟る。
身を守るように閉じこもり、誰も寄せ付けなくなった主人公。
彼は、ロボットを作り始める。
彼の代わりに動き、外に出ることの出来るロボット。そして、受けた刺激を彼に返してくれるロボット。
彼の父親と母親も注力し、プロトタイプが完成する。
それは拙いものだったが、椅子に座りロボットを操作するという、基本的なかたちを備えていた。
時を同じくして、世界中に広がっていたのは、二十一世紀まで積み重ねてきた医療の進歩を嘲笑うかのような、感染症の拡大。
今まで封じ込めに成功していた様々な病原体が急速に突然変異を繰り返し、ワクチン開発といたちごっこの関係になり始める。
薬剤耐性という言葉がニュースで頻繁に飛び交う。
健康に手を掛けられない国から、流行りの病原体への抵抗力の弱い国から、如実に弱っていき、そこに別の病気が駄目押しのように侵入する。
そこで主人公は、自分の身体を安全地帯に置きながら活動する方法として、ロボットを量産し提供し始める。
当初は医療現場などの最前線、そして生活上、国家運営上欠かすことのできない日常的な、公共的な職業の場から試用されていったそれは、次第に一般にまで広がり尽くし、なくてはならないものになる。
その頃には椅子とロボットの製造元は一社ではなくなり、各国が技術革新に鎬を削っていた。使い勝手は向上していったが、ロボットの操作感のよさに対して、ロボットが受けた刺激をキャッチする方面に関しては今一つな性能のままだった。
離人感が激しい、即ち、現実感に乏しく、出来事が色褪せて感じられてしまうのだ。
そこで発表されたのが、人格ソフトウェア化プログラム。これもまた、主人公が発明したものだ。
チップを人体に埋め込むことで、より鮮明にロボットの受けた刺激信号を受容することが出来る新システムに、世間は当初難色を示した。
しかしそれも、受け入れられるのに時間はかからなかった。
それは、安全地帯――――各家々に隔離されていた人々が、家庭内で感染に曝されるようになったから。
対人無接触政策が打ち出され、各個人が部屋に分かれて暮らすことが一般的になった世界の中で、代理ボディ使用中にも生きているという実感が必要だった。少しでもリアルボディと使用感の変わらない代理ボディが、切に求められたのだ。
『こうして、ミナカミ博士の発明は、世界中の人々を二度に渡って救い出したのです』
最後のアナウンスと、アニメのキャラクターたちの笑顔に、私は開いた口が塞がらなかった。




