踏み出すあなたを見守るように
起きると、ベッドにマトイはいなかった。
もそもそ手を動かすと、ベッドの反対側はまだかすかに温かい。
さっきまではいたんだ、ってぼんやり考える。
昨日の夜、私は疲れててマトイより先に寝ちゃったんだ。マトイもちゃんと寝たみたいで、よかったよ。
「おはよー」
挨拶をしながら寝室の扉を開けると、朝らしい日差しがリビングに満ちていた。
――――思わず目を細める。
いつもは水槽の中のライトで照らされてる水面模様が、今日は壁ごと光ってる。ううん、後ろから明かりが差し込んでるのかな。
いつもよりもずっと明るい水槽の前で振り向いたマトイの顔が、私を目に入れてやわらかくほころんだ。
逆光の中でもはっきりと気を許してきてくれてるのがわかる。最初の日みたいな拒絶に似た肩のこわばりがないんだもん。
「おはよう、ココ」
「おはよ、マトイ。早起きだね。それに、びっくり! すっごくきれいだよ! なんだかちゃんと朝みたい」
「太陽光を取り入れてみたんだ。気に入った?」
「気に入ったよ! ずっと部屋のライトを浴びてると、時間感覚なくなっちゃいそうだもんね」
水槽に駆け寄ってみると、青い魚が光を浴びながら群れを作って泳いでいるのが、まるで波を立てているみたい。時間を忘れちゃいそう。
夢中で見てるのに、隣からマトイの視線を感じる。
放って置いちゃったかな。
申し訳なく思いながら振り向くと、マトイは意外に思えるほど優しい目をしていた。表情は相変わらず、淡泊だけどね。
「水槽にはあんまりよくないから、一日に何時間かだけだけど。ココの気分がよくなったなら、よかった」
「マトイ、私のために考えてくれたんだね! えへへへ。ありがとう」
嬉しい気持ちのままにへらへら笑ってとお礼を伝えると、――――うーん。マトイの防御力が低すぎて、私心配だなぁ。マトイが「あー」とか「うー」とか言って視線を彷徨わせてる。
「こういうときには、どういたしまして、だよ」
「ど、う……いたしまして」
言い慣れなさそうに眉根を寄せてもごもごするマトイに、なんだか親近感。
人から認められるのって、どうしてか照れくさいよね。でも、苦手なことを私のために頑張ってくれてるみたいで、すっごくいい気持ち。
「今日はマトイのおかげで、いい朝になったよ。朝ご飯は何味のドリンクにしようかなー」
いそいそと冷蔵庫に足を向けると、キッチンに立ったマトイが私を見てるのに気付いた。なんだか、まだ何か言いたげだね。
「えっと……どうしたの?」
「ココが、栄養補助パン嫌がってたから、朝食セット買ってみたんだけど……」
マトイが!
あの、栄養的に優れてるからこれしか食べない、みたいな態度だったマトイが、朝ご飯のメニューを考慮してくれるなんて。
これは激変だよ。ううん、成長っていうのかな。
「すごい! すごいマトイ。うわぁ、感動だよ」
思わずマトイの両腕を掴むと、マトイが俯いて触れられた腕を見ながら、口元を緩めた。
本当にすごいよ、マトイ。
きっとマトイは、自分が変わっていくために何かしようと思って、頑張ってくれたんだ。
固く結ばれがちなマトイの薄い唇が、今日は綻ぶみたい。
「二人分ある? 私とマトイの分」
「ある」
「待たせちゃってごめんね。いっしょに食べよう」
「うん」
マトイが腕を動かすと、いつもの注文品の届く棚がパカッと開いた。中にはトレイや食器が二揃えずつ。
マトイが取って、テーブルに置いてくれるのを、わくわくしながら待つ。
テーブルに並んだのは、クロワッサンと、オムレツと、チーズとハムと、ヨーグルト。洋風な朝食セットだ。ホテルの朝ご飯並みだよ。
私がメニューを見て目を輝かせていると、目の前に座ったマトイが、顔を覗き込んでくる。
「嬉しい? ココ」
「嬉しい! 完璧な朝ご飯だよ。さすがマトイだね、朝から幸せになっちゃったよ」
褒めて欲しがる子どもみたいなマトイを、それはもう全力で持ち上げる。
でもね、マトイのほうが、私よりも嬉しそうな顔してるよ。
昨日までのマトイと随分違うけど、家族といっしょに暮らすっていうマトイの理想を叶えるために、まずは私との生活を理想に近づけようとしてくれてるのかな。だとしたら、嬉しいな。
マトイの願いに一歩前進だし、私の生活も改善される。
マトイがこんなに歩み寄ってくれるなんて、私から、友好的に距離を縮めた甲斐があったね。
この調子で、帰れる日まで頑張ろうっと。




