気持ちを分かち合うように
「ようやく人間に戻れたよー」
「お疲れ様」
大きく伸びをする私に対して、マトイが瓶入りの錠剤を差し出してきた。
「いる?」
「なんの薬? これ」
「うーん、元気が出る薬?」
「怪しいよ! ハテナマーク付いてるじゃない。ちゃんと合法?」
誘拐犯から貰った薬を飲むのは、さすがにまずい気がする。
そう思って、目を皿にした。瓶のラベルのチェックだよ。
そうしたら、マトイが呆れた顔で一錠を口に放り込んだ。
「ただの疲労回復薬だって。長時間椅子に座ってると背面が圧迫されるし、筋肉が固まるから、飲んだほうが楽だよ。……いる?」
「も、もらう」
ちゃんと意味のある薬だったとは。
いそいそと手を伸ばすと、ラベルを上に向けて手渡してくれた。
「ココは、矢鱈と技術を疑うよね」
「私にとっては全部が知らない技術なんだから、仕方ないの!」
「とか言って、ココ、本当に元の時代の技術なら理解してた?」
「むーっ。わかりきってること質問するのって、意地悪なんじゃない?」
口を尖らせて抗議をすると、マトイがくすっと笑った。
ちょっと! その顔で笑うとか、卑怯だから!
でも、昨日まで――――ううん、今日出かける前までは、見なかった表情。
言いたいことを言えて、ほっとしたのかな。マトイの肩肘に張ってた緊張が、解けたような気がする。
猫の私に対してマトイは接しやすそうにしてたから、その延長線上でもあるかもしれないね。
「私、お腹ペッコペコだよ。ね、買ったご飯、開けてもいい?」
「いいよ」
「やった!」
そわそわしながら、パックに入ったカラフルなハムサラダや、ダイス型の揚げ野菜、ほろほろの煮込み料理なんかを並べていく。
でも、私の浮かれた気持ちは、次の言葉にペシャンコにされた。
「あ、俺は後にするから」
「えっ? ……なんで?」
テーブルの上はキラキラしてる。パックはお皿のように広がったかたちで模様も入ってて、そのまま食卓に並べられるようにきれいに盛り付けしてある。
私は温度差に戸惑って、マトイとテーブルとをきょときょと見比べた。
「まだそこまでお腹空いてないし、先に猫の代理ボディの返却処理とかしてる」
「そっかぁ。じゃあ、終わるの待ってるね」
「いや、ココは食べてていいよ。昼飯も取らせないまま連れ回したから、空腹なんだろ」
マトイの言葉にしゅんとして、もう一度テーブルの上のご飯を見る。さっきと同じ、うきうきした気分にはなれないよ。
「うん……。――――でも、やっぱり待ってるよ。せっかく未来に来て初めてのちゃんとしたご飯だもん。ふたりで食べたいからね」
「え、だけど……」
「同じ部屋で暮らす家族なら、出来るだけいっしょにご飯食べるものだよ、マトイ。じゃないと、おいしく食べられないんだから」
ふたりで分けて食べようと思ってたから、同じおかず一個ずつしか買ってないしね。
パックは一旦、テーブルの隅に片付けておこうかな。
私がパックを動かし始めると、マトイが慌ててテーブルに寄ってきた。
「やっぱり、今食べる」
「いいの? 返却処理……」
「急いでないから、いい」
「ご飯優先してくれるの? マトイ、やっさしーい」
「うるさいな。食べるの? 食べないの?」
この、褒められると毒づくのは、照れだよね。気まずそうに視線を落としてる。マトイって本当に人慣れしてないんだから。
「食べるよっ。いただきまーす!」
「いただきます」
普段パンを食べるときには画面見たまま片手で、のマトイが、生真面目な顔で両手を合わせてる。
こういうの見ても、やっぱりご飯はちゃんとしたもの食べなきゃって、私は思うんだよね。
「おいしーい。ね、これ食べてみて。ビタミンカラーの葉野菜って、私こんなの食べたことないよ」
「ココの時代にはなかった野菜なのかな。増えてはいるよ。効率的に必要栄養素を摂取するために、掛け合わせとか遺伝子操作とかで」
「へええ。時代が違うって、食べ物も増えちゃうんだ。すごいなー」
「栄養過剰摂取したら、しばらく栄養補助パンからその分の栄養やカロリー減らされるけど」
「なにそれ、すごい! 怖いかも」
「健康寿命の促進と医療費削減のために、政府も必死なの。大して使わないリアルボディでも、なくなったら人口減るからね」
「随分と世知辛いね……」
普段はマトイも私もカウンターに座って食べてるから、こうやってマトイの顔を見ながらご飯を食べるのって初めて。
逆に、この家に食卓テーブルがあったことに驚くくらい。そう思っていたら、最初から部屋に備え付けで用意されていたものらしい。納得。
椅子はカウンターからひとつ持ってきた他、一つはいつの間にかマトイによって買い足されていた。
ご飯ってすごいよね。食べてる間は、どんな雑談だってちゃんと食卓の彩りにしてくれる。
「家族のみんなとも、普段からこうやっていっしょにご飯を食べられるようになるといいね」
「うん」
「そういえば、代理ボディで食べたご飯の栄養って、マトイ本体が食べたことになるの?」
「ならないよ。だから会食って言っても、雰囲気と味を楽しむだけ」
「えーっ、それは虚しいね。リアルボディ同士でランチしちゃ駄目なの?」
「駄目ではない。少しリスクがあるから、嫌がる人もいるけど」
「もしかして、また病原体?」
「そういうのとかね」
未来の人の病原体嫌いが相当すぎる。黒い跳ぶ害虫と同じくらい忌まれてる気がする。
「私、未来の人ってよっぽど潔癖なんだなって思ってるんだけど、マトイはこうやって私と暮らしていっしょにご飯食べてるくらいなんだから、未来では寛容なほうなのかな?」
「それは…………。元々は避けるほうだったよ。今は病原体を避けてるせいで、周囲が何もかも偽物なのが嫌になったから、努力してる」
病原体を嫌がらないように努力するって気持ちは、正直、私にはよくわからない。
でも、マトイが変わろうとしてるのはわかるよ。
「マトイ、頑張ってるんだね。えらいえらい。頭撫でてあげよっか」
「それはやめて」
弟に対する無欠の必殺技は断固拒否された。ちぇっ。
「じゃあ、手を握るのは? 手ならすぐ洗えるから、病原体は大丈夫だよね」
「まあ、それなら……」
私が両手を開いてテーブルの上に出すと、マトイもおずおずと手を近付けてくる。
マトイは、小さい頃にお父さんお母さんと手を繋いだこと、ないのかな。それとも、リアルボディ同士だっていうことが引っかかっちゃうのかな。
どっちでもいっか。大事なのは今、私がマトイの手を受け止めてあげることだよね。
ぎゅっと握ると、マトイの手がびくっとした。
でも、逃げない。
「マトイ、大丈夫だよ。マトイが努力してくれたから、繋いでる私の手は本物だし、マトイの手も本物だよ。なんにも怖くないよ」
繋いだ手から、人のぬくもりみたいなものが伝わって、マトイを癒してくれるといいな。
伝われ伝われって念じてると、マトイが静かになっちゃってることに気付く。
あれ? って顔を上げると、マトイがじっと下を向いて、前髪で顔を隠しちゃってる。
でもね、気持ちは隠れてないよ、マトイ。
「あはは! マトイ、耳真っ赤」
「うるさぃ……」
反論の声がまたちっちゃくて、私は思いっきり笑ってしまった。




