目を逸らさないように
「ココと過ごしてみて思った。こんなに短い間でさえ、自分には作り出せない思想や行動のテンポに触れて、自分の中身が変革していく。今まで閉ざされていたものが、開いていく心地がする。やっぱりリアルで人と関わってみたいって、尚更そう思った。代理ボディを通さなきゃ何もできないなんて……そんなのは退化だ」
懸命に語るマトイの目には力が籠ってる。
マトイの気持ちは痛いほど伝わってくるよ。わかるよって頷いて、受け止めてあげたくなる。
でも私は同情して間違えちゃ駄目だ。
『マトイ。それは、過去を変えないと乗り越えられない現在なのかな?』
「え?」
短い問い返しをしてきたマトイの表情は、どこかぽやんとしていて覇気がない。何を言われたのかわからないと言うように。
きっと、私が今、牙を剥いていることもマトイにはわからない――――理解出来ない。
それは人と人との間に距離が開いてしまったことによる弊害なのかもしれないね。マトイがいやがるのも無理ないや。
『マトイは、他の人に触れるようになりたい。マトイは、家族といっしょに暮らしたい。あってる?』
「あってる」
『家族の顔が知りたい。私といっしょにあの部屋で暮らして感じたようなことを、もっと経験してみたい』
「そうだよ」
『マトイは、本当は何よりも自分を変えたいんだね』
「自分を変えたい……?」
マトイは、他の人とちゃんと関わろうと思ったことが、今までなかったんだと思う。
マトイの表情が薄いのも、声が淡々としているのも、他の人にちゃんと感情を伝えようとしたことがなかったからだよね。
マトイが迂闊なのも、自分の気持ちを理解しきれないのも、そういうところからなのかな。
それから、こうやって私の話を素直に受け止めようとしちゃうのも、きっと。
『自分が変わりたい。そのために、まずは自分の周囲の環境を変えたい』
「そうだ。それで得るものが、絶対にある筈だから……」
『周囲に働きかけて変えるのは難しいから、周囲が否応なく変わっていくように世間を変えたいっていうことだよね。過去を変える必要があるっていうの、そう考えたからだと思っていい?』
「ココの言うとおりだよ」
『でもね、人が変えられるのって、自分のことだけだよ。自分の中身と自分の行動までしかマトイの意思じゃ変えられないし、逆にそれだけは、マトイの気持ちひとつで変えられるんだよ』
マトイの膝の上で、なんて偉そうに語るんだって、自分でも思う。
でもマトイの目はビー玉みたいにまっさらで、少しも茶化したりせずに私の話に聞き入ってる。
「自分が自分を変えられるなんてことは、ないと思う。それじゃあ俺は触ろうと思えばココのリアルボディにも触れることになるし、家族と暮らそうと思えば暮らせることになる」
『家族と暮らすのは相手がいることだからマトイひとりの意思じゃ難しいけど、私に触ることくらいならマトイが決意して、手を伸ばすだけで出来るよ』
「でも……」
『私をマトイの部屋に攫ってきたことでここまで人に触るハードルが下がったんだから、実際にマトイの行動で一歩前進した部分だって思えない?』
「――――そうかも?」
マトイが自分の手のひらをまじまじと見つめて、そのまままっすぐと空に向かって伸ばした。
正面の空の色が、うっすらとピンクの帯になっている。マジックアワーだ。もうすぐ暗くなる。
猫の目で見る空も、人の目で見るのと同じくらいに広く感じる。
色や明るさに感じる少しの非現実感は、これはこれで悪くはないけど、やっぱり肉眼で見たほうが感動が心に響く気がするね。
『私ね、自分から遠いところから変えるのって、一番大変なことだと思うんだ。たくさんの人を巻き込まなきゃいけないし、それだけのエネルギーが必要だよ。きっと、はっきりした理想を持って、筋道を立てて方法を考えなきゃいけない。私なら、自分の手には余ると思う』
「うん……」
『だけどさ、世間とか常識が変わるっていうのは結果であって、目的じゃないんだよね。本当の目的は、マトイにとってもっと身近なことだったでしょ』
「自分と、周囲、のこと?」
『うん。だから、マトイのしようとしてることは順番が逆なんだよ。自分や自分の周囲の環境を変えたいなら、まず手を付けるのは過去じゃなくて、自分のことだよ』
「俺にとっては自分を変えるのも、世間を変えるのも同じくらい手段が浮かばないことなんだけど」
マトイがもどかしそうに地面を蹴った。当然膝の上も揺れて、咄嗟にマトイにしがみつく。
『うーん、そうだねぇ。私には、過去を変えるっていうのはよくわからない。やっちゃったことを変えられたことなんてないもの。でも、近い未来を変えようとしたことならたくさんあるよ』
「ココは未来を変えられるの?」
『そんな大げさなものじゃないけどね。マトイは私にやってもらいたいことがあったから、困ってることを伝えて、私にも状況がわかるように手を尽くしてくれたよね』
「それは、ココが俺の言うことに理解を示してくれたから……もしかしたら助力をくれるかもしれないと思って」
『それだよ!』
もうやったことがある筈なのに、出来ないと思い込んでるんだ。
『私にしてくれたのと、同じことをしてみるんだよ。マトイが困ってるんだって家族に話して、どうにか出来ないかなって相談してみるの。それで家族のほうから歩み寄ってくれたら、それだけで解決しちゃうよ』
「するかもしれない。でも、駄目かもしれない」
『駄目だったら、駄目な理由を聞かなきゃね。案外単純なことで、すぐなんとか出来るかもしれないよ』
「でも、一般的でも常識的でもないし、健康的でもない望みなんて、却下するほうが簡単な筈だ」
『私はそれがマトイの希望と比べて重いのかはわからないけど……世間を変えなきゃ納得してもらえないようなら、その段階で初めて世間を変えるための方法を考えてみればいいよね』
「そう、なるか」
『それでも無理なら、根本を変えるために過去を変えるっていう手もね……もしかしたら有りなのかもしれないね。けど、それって他の手を試してみて、最後の最後に藁にも縋る思いでやってみることだよ。だって、それで本当に解決するかは、やってみないとわからないくらい繋がりが遠いことなんだもん』
「ココって、もしかして賢い?」
猫の目でマトイの顔を覗き込む。
マトイの髪が夕焼けの光に照らされて、いっそう赤く見える。マトイの目、キラキラしてる。
私よりずっと賢そうなマトイの子どものような言葉に、思わずお腹を抱えて笑った。猫の姿だと、ただちょっと丸まったようにしか見えないけど。
『あははは。頭はそんなによくないけど、家族内の交渉事には慣れてるよ。私、四人兄弟の三人目なの。小さい頃からいーっつもお兄とお姉が優先だったし、親には弟が甘えるからね、自分がやりたいことや思ってることがあったらどうやって話聞いてもらうか、誰を味方につけるかって、毎回すっごく考えるんだよ』
お兄とお姉は進学と就職で家を出ちゃったけど、近くにはいなくても、スマホで呼べばすぐに助けてくれる。今は傍にいないけど、あったかい兄弟たちを思い出して、胸がちくっとした。
忘れてなんていないよ。早く、スマホが通じるところに帰るから、待っててね。
「ココが逞しいのはそういうところからか」
こんなことで素直に感心するおっとりさんなマトイに任せていたら、私がいつ帰れるのか見当もつかない。
マトイの希望が叶ったら、マトイも過去を変えようなんて考えるのはやめて――――それで、きっと私を帰してくれるよね。
うん、と一人で頷く。
諦めないよ。出来ることから、なんでもやってみなきゃね。
『ねえ、マトイ。マトイが身近なところから変えていこうと思うのなら、私も手伝うよ。だからやりたいこと、頑張ってみよう。マトイの背中は私が押してあげるよ』
言葉の出処は、打算か、好意か。どっちが強いのかはわからない。
「わかったよ、ココ」
ただ、マトイがそう言って恥ずかしそうに笑うから。
出来ることはやってあげたいなって、そう思ったのも、仕方のないことだよね。




