恐怖を見過ごさないように
『マトイ、なにこれ!』
「代理ボディ保管庫」
『マトイ、なにこれ!』
「移動筒。道路みたいなもの」
『マトイ、なにこれ!』
「乗用銃弾。これに乗って出かけるから」
『マトイ、マトイ!』
「ああ、もうっ。まだ扉から3メートルも離れてないのに、ココうるさい」
『ご、ごめん……』
お怒りのマトイを前に、私はしゅんとした。
ついでに、私の意識の乗った白猫の代理ボディも、肩を丸めて俯いた。
私は今、マトイの腕の中にいる。
いやいや。マトイってば、私が触ると文句言うのに、これってどうなの?
マトイ側から見たらペット抱き上げてるだけなんだろうけど、私から見たら、マトイに抱っこされちゃってるんだからね。
びっくりだよ。動揺のあまり騒ぎすぎちゃったのは反省するけど。
目の前の卵型の乗り物が乗用銃弾らしい。一人分の座席しかない小ささだけど、窓部分が多くて、私の目を楽しませてくれそうな予感がする。
私の――――正確には私を抱いたマトイの乗った乗用銃弾の乗り口が、独りでに閉まった。
『えっと、喋ってもいい?』
「落ち着いてくれるなら」
『任せて』
私だって、学ぶことは出来るんだからね。
『私、声出せてないよね? 耳からは聴こえてこないもの』
「ココの発声を密談モードにしてるから。他の人には『にゃーにゃー』聴こえてる」
『そんなことも出来るの!?』
「ココが喋った言葉は直接俺の聴覚に繋げてて、猫のココの発声の接続は捻じ曲げてる。ココの声が他の人にも伝わったら猫にした意味ないからね」
『それはそうかも』
「人権法上、発声を完全に遮断してアウトプットできない形にすると違法だから俺の聴覚に繋げてるけど、そのせいでココが騒ぐとほんっとうにうるさいから、厳密に控えて」
『はーい』
それじゃあ、私がいくら喋ってもにゃんこがかわいく鳴いてるようにしか見えないんだね。迂闊なこと言わないようにって思わなくて済むのは、楽なのかも。
でも、逃げるための手段はひとつ潰された気がするね。
乗用銃弾がマトイの部屋の扉の前の車寄せから動き出した。ゆっくり前進して、まるで移動筒に吸い込まれていくみたい。
「速くなるよ」
『ひゃっ』
マトイの宣言通り、乗用銃弾は数秒の助走をつけて、流れに乗った。
振動じゃない。これは、浮遊感。
マトイの腕がしっかりと私を抱きしめてる。
代理ボディ――本物の身体じゃない――なのに、あったかくて、心臓の鼓動が聴こえる。再現性高すぎ。
ぬくもりと安定感に身体を擦りつける。なんか、ぽかぽかして気持ちいい。
と、寛いでいると、マトイにがしっと掴まれた。
「ココ、猫になってもウザい」
『ひどすぎる! 私のことそんな風に思ってたの?』
「本物の猫じゃないんだよ!? 行動は弁えなよ」
『そんなに悪いことしたかな!?』
マトイのツンは強烈すぎやしないかな。
「そんなことするより、外を見なくていいの? 楽しみにしてたんじゃなかったの?」
『してた! うわぁ! ……ええっ?』
「何なの、その反応」
『だって……』
未来の風景って、今までどんなものを思い浮かべていただろう。
謎の素材でできた、真四角じゃない高層ビル。整然とした街並みを照らす、ソーラーみたいなエコな外灯。排気ガスの出ない、宙を走る車。
科学の結晶で、理想の世界で、今の世界が抱えてる課題はとっくに解決済みで。
『これじゃあ、外を歩いたりなんてできないよ……』
「勿論、そんなことはしないよ」
『なんで……』
持ち上げられた猫の身体からも、移動筒の下がよく見える。外に広がっているのは、文明とは真逆の光景。
見渡す限りの木々、草むら――――植物が我が物顔で好き勝手に伸びた大地が、どこまでも続いてる。
等間隔で並ぶビル。それと、ビル同士をたくさんの階層で、いろんな方向から繋ぎ合わせている移動筒。
そこからしか、人間の存在を感じさせてくれない世界。
『なんで、こんなことになってるの?』
「ん? ああ。ココの時代の風景はもう残ってないけど、そんなにショックだった?」
マトイが何てことなさそうに返してくるのに、私の肌が粟立つのがわかった。




