酸素で胸が満ちるように
「マトイは、私に怖がって、怯えて欲しいんだね」
「そんなことは……」
「じゃあ責めて欲しいの?」
「…………」
ああ。この人は自分の考えを言葉にするのが下手くそなんだ。
なんで苦しいのかわからないけど苦しいんだって言うのがマトイには精一杯の表現で、具体的にどう考えてるのか、どうしてそう思うのかを考えるのは手に余るんだろうな。
「それとも、私に訊きたいことがある?」
「……理解出来ないんだ。ココが全然怯えたり逃げようとしたりしないのは、何故なのか」
マトイは顔を上げて、だけど目は合わないまま。
「全然ってことはないよね。これでも怖がってないわけじゃないんだよ」
「少しは感じたけど……。でももっと、ぎゃあぎゃあ言ったり足掻いたりされると思ってた。逆にあれこれ話しかけられたり、接触求められたりするのは想定外だ」
「未来のことがわからなすぎて逃げる方法が思いつかないっていうのもあるけど……だってマトイの家、窓らしい窓すらないよね」
「時代の壁が高すぎるのか」
マトイがついっと斜め上に視線を走らせる。
脳裏にあの部屋が見えてるんだろう。あの整然とした、静かな青い部屋が。
「それに部屋では、マトイとずーっと二人っきりでしょ。そんな相手と険悪になったら誰と話せばいいの? スマホでメールひとつ送れないんだよ」
「ココのお喋りさは相当だね」
「黙ってるとか絶対ムリ! 私、すっごい寂しがり屋だもん。常に誰かと喋っていたいし、気にかけててほしいし、多分かわいがられてる方が生存率上がると思うの」
「逞しすぎるだろ」
マトイは呆れ顔だけど、私は内心付け加える。
マトイが私に絶対触ってこない潔癖さんじゃなかったら、もうちょっと違ったかもしれないけどね。
つまり、私が安心して危機感をポイしちゃう一因は、マトイにもあるってことだよ。
……うん、まあね。冷静に考えるとどうかとは思うんだけど、こういうのって立ち止まっちゃ駄目だよね。
いやな思考を棚上げするために、私はしれっと話を戻した。
「それでさ、マトイはどうするの? 私を攫ってみても過去が変えられなくて。他の手を探してみる?」
「試行は増やしてみようと思って、ココに代理ボディの説明をしてるんだ」
「私が関係してくるの?」
「うん。ココがいなくてもココの息子が代理ボディを作る歴史が変わらないなら、ココがそのうち過去に帰る可能性が影響してるのかもしれない」
「帰ったら、元通りとも言えるものね……」
話の雲行きが怪しい。
慎重に同意するけど、マトイはお構いなしだ。
「それなら、ココに未来のこと、代理ボディや対人無接触政策のことを知ってもらって、ココの意思でこんな未来を迎えないように変えてもらう方法もあると思った」
「そっか! 未来のことを教えてもらってるのは、未来を変える方法をいっしょに考える一環だと思ってたんだけど、私が私の時代に戻ってから変えるって手もあるよね」
「少し不確実だけどな」
思ったよりも穏便な試行だった!
安心した私は、小さな手を叩く。
「よーっし。前向きになってきたよ」
「ココが前向きすぎて置いて行かれそう」
「付いてきてよ! マトイのことだよ!」
明るく振る舞いながらも、私は思うんだ。
私が過去に帰る可能性をなくすために、マトイが私を殺すような人じゃなくて本当によかったって。
私、全世界の誘拐された人の中できっと一番恵まれてるよね。
だから私に出来ることはしてあげよう。マトイが生きやすい未来になるように。
まずは代理ボディが発明されなければいいんだよね?
……あれ? そうだった?
「うーん。うーん。でもちょっと待って。代理ボディを将来私の子どもが作るらしいっていうのはわかったけど、マトイの変えたい対人……政策? それにどう繋がってるのか、よくわかんないよ」
「対人無接触政策。それには、もう一段階挟まなきゃいけない。ココの子どもが発明したのはこの代理ボディともうひとつ、人格ソフトウェア化プログラム」
また難しそうな新用語が出てきた。
「それも見せてくれるの?」
「目に見えるものではないんだ。そうだな……今ココはヘッドセットと椅子からの刺激でこの空間や代理ボディを視覚的、触覚的に認識してるね。聴覚もか。嗅覚を刺激するためにヘッドセットから調香された匂い物質が出ることもある。そしてココが実際の身体を動かそうとする、その動きを椅子が感知して代理ボディを動かしてる」
「う? うん。そうなんだね?」
「それは俺の代理ボディへの没入の仕方とは全く違う。俺は接続器として椅子――――ジャンクションに寝そべって代理ボディに没入するけど、代理ボディを動かすことや代理ボディから受け取る刺激は、脊髄に干渉するよう身体に埋め込まれた受容器を通してる」
マトイが――正確にはマトイとは似つかない代理ボディの男性体が首の後ろに指を回す。
「そこに、埋め込まれちゃってるの? 皆そうなの?」
「皆そうだよ。このシステム――――受容器に組み込まれた、受容器と椅子を通して代理ボディを完全に本来の身体と同様に扱うためのプログラムが、人格を物理的制限なく広くソフトウェア的に活用することに繋がることから、これを総称して人格ソフトウェア化プログラムと呼んでいる」
「む、難しいものを作ったんだね」
マトイの話す一文の長さに頭をこんがらがらせながら、指を折りながらなんとか理解しようとする。指を折ってるのは数を数えてるわけじゃなくて、まあ、段階を踏んで文章を嚙み砕こうっていう気持ちの表れです。
「おかげで今の人間は、人格の所在を身体から切り離して認識していると言われてる。俺は椅子に寝てる身体を生まれながらの俺の身体で、俺の人格の在り処だと思っているけど、本当にそうかはわからない。既に本当の身体は脳と脊髄の置き場であるだけで、自我の置き場は受容器だとか椅子だっていう意見もある」
マトイは説明する体で、私を振り落とそうとしてるんじゃないだろうか。
うーんうーんと唸る時間をもらってたけど、結局首を傾げる反応に留まった。
「私は自分の人格とか自我とかが、自分の身体にないって思う気持ちはよくわかんないな」
「俺も自分の意識は自分の身体にあると思ってる。でも、椅子に寝てるのが本当に俺の身体だという保証はない」
「さすがにそれは、まさかじゃない?」
「穿ち過ぎかもしれないな。ただ実際にそれを問題視して、身体に組み込む識別コードが開発された。数年前に試運転が始まったばかりだからそれ以前のことはわからないし、まだ脆弱さが残ってるだろうから、偽造出来ないとも限らないけど」
さすがに身体が別物に入れ替わっていたらすぐに気付くよね。
違和感が酷いことになりそう。
そう思うのは、私が四六時中代理ボディに入る生活を経験したことがないからなのかな?
「偽造なんてなんのためにするの?」
「当然、盗み取るためだろ。リアルボディじゃないとできないこともあるからって、健康で若いリアルボディは窃盗に合いやすいんだ。高値で取り引きされてる」
「盗んじゃうほど、本当の身体が貴重なの?」
「代理ボディは遺伝子情報を持ってないからね」
遺伝について習うのは来年だから、私にとっては未知のものだ。
だからかな。遺伝子って単語と、昔見たSFアニメの映像が脳内で結びつく。悪い博士がひっひって笑いながら作ってたものって――――
「っていうことは、代理ボディからじゃクローンが作れない!?」
「いや、なんでクローン……?」
「未来で遺伝子っていうとクローンのイメージが浮かんだだけなんだけど、違うみたいだね」
当てずっぽうは当たらないものだね。
マトイの理解が全く得られなくて、しおしおする。
「違うっていうか、クローンもなにも、そもそも生殖ができないってこと。まあ普通はリアルボディが盗まれたときに備えて、メイン使いの代理ボディにも生殖細胞を逃しておくんだけど、無限じゃないからね」
「盗む人は子どもが欲しいの?」
「自分の本当の身体が死ぬ前に他のリアルボディに人格を移植しちゃえば、疑似的に永遠の命が手に入るから」
「なんかこわい……」
思わず二の腕を擦る。
永遠の命って、いい意味で使われる場面、一回も見たことないよね!




