背中の汗を悟らせないように
不思議そうに見上げていると、私を見て眉をひそめたマトイが手を振りほどいた。
顔はちっとも似ていないのに、むっと眉を寄せて唇を噛むその表情は今までにも何度か見ているマトイのもの。
「ちょっ……つめたーい。いいじゃない、手くらい繋いでてくれても」
「手は構わないけどその顔が気に食わない」
「えーっ。変な顔してた? それとも案外この身体の顔がかわいすぎて――――」
「ともかく!」
両手で頬を押さえてはしゃぐ私の声を、聴き慣れない男性声が強めに遮る。
声には馴染みがないのに、憎まれ口を叩く間髪入れなさは聴き慣れてきたマトイそのものだね。
「俺は普段、外出時にはここにあるような代理ボディを使ってる。レンタルではなくて、自分の外見に似せた特注のものだけど」
「わざわざ本当の身体じゃなく代理ボディを使うってことは、代理ボディを使うのってすっごく合理的なんだね?」
「そう。乗用銃弾での移動が自動高速モードになるから時間が短縮出来るし、肉体的にも疲れにくいし、肉体は部屋に置いたままだから部屋に病原体持ち込まないし」
「また病原体……」
未来人の病原体嫌いは相当だと思う。
「それに、普段使いの代理ボディは部屋の玄関横のボディ待機室に入れてあるから場所的なメリットは薄いけど、遠く離れた場所に保管してある代理ボディに入るのは便利だと思わない?」
「もしかして、一瞬で遠くに行けるってこと?」
「俺はそんなに頻用しないけど、所有してる代理ボディを一体、北欧にあるボディ用カプセルに預けてある。オーロラでも見ようかと思ってね――――ヨーロッパ旅行の途中なんだ。気分転換したいときには、そのボディを使う」
「旅行の大変さが解消されちゃうね」
あんまり遠くに旅行に行くことのない私でも、移動時間が長いとうんざりしちゃうもの。
「実利的な話なら、仕事上出勤が必要な職種であれば職場にボディを置いておくことが多い」
「わかった! 満員電車に揺られる必要がなくなるんでしょ」
「電車なんてもうないんだけど、意味合いはそういうことだね。少なくとも通勤時間っていうコストが浮くし、仕事に就くときに場所で選択肢を絞らなくていいのも大きな利点だ」
「もしかして通学も?」
「そう。近場に縛られる必要はない。あとは優良企業なら、職場でレンタルボディの貸し出しをしてることもあるらしいけど……」
「へえええ。未来の技術ってすごいねぇ。代理ボディ、私も使ってみたいかも」
単純に目を輝かせる私に対して、続けられた声は空虚だった。
「その結果、外が実際の身体の居場所じゃなくなっても?」
「え?」
マトイが私に背中を向けて歩き出す。
顎を逸らせているせいで、私からは表情が窺えない。
今、マトイの顔をちゃんと見ておかなきゃいけないような、そんな気がするのに。
「母親がそういう思想の持ち主だから、代理ボディなんてものを生み出したのかな」
「マトイ、何の話?」
「でも『ミナカミコトコ』はもっと極端な性格や頭脳の持ち主だと思ってた。代理ボディが世に出る以前から君の家で使用されていた形跡があるのは、君がかなり構想や開発に関わっているからじゃないかって仮説を立てていたんだけど……。君が大嘘吐きでもない限りそんなことはなさそうだ」
「私?」
「俺がココを攫ったのは、ココの息子が代理ボディ開発の第一人者だからだ」
ひゅっと幼い喉が引き攣る音がした。
マトイが振り返って、顎のラインを見せつけるように少し顔を上向きにしたまま目を細めている。
見下ろしながら、私の反応を注視してるのがわかる。
背中に汗が伝う。
この汗は本当の身体のものか代理ボディのものか、どちらだろう。
私はそっと声を出す。
「…………私の子どもが都合悪い物を作るなら、そっちを攫ったほうがよかったんじゃない?」
「あと百年の内にタイムマシンが完成するかもしれないからその対策をって発想が以前からあってね。タイムマシンは未だに発明されていないんだけど。でも未来のことはわからない。有名人に何かが起きて歴史が変わることを恐れて、そっちの情報は政府の厳重な管理下にあるんだ」
「それなら祖先まで未来永劫庇護してよ、政府の人!」
私が誘拐されたのは半端なお役所仕事のせいなの!?
そうだとしたら、私が過去に無事帰れたら絶対に私の情報も厳重に管理してもらえるよう交渉するんだから!
意気込んだけど、マトイが首を横に振った。
「でも、そこに意味はあったのかもしれない。君の存在を過去から切り離せば代理ボディの発明者や時期は変わるだろうと踏んでいたのに、何も変わらないんだ。どうしてなんだ? 過去に干渉することで歴史が変わるっていう定説が誤ってる?」
私に対して尋ねてるんじゃない。自問自答するような響きに、わからないなりの合いの手を提示する。
「……今まで過去を変えたことがある人は、どうやって変えていたの?」
「前例はない。過去からの誘拐に成功した科学者は存在しない。過去との通信さえ論文未発表の技術だ」
「うん?」
耳にしたことが信じられなくて、思わず聞き返す。
「過去への干渉に成功したのは、現時点で俺だけだ。過去に人を戻す技術も俺の頭の中にしかない」
「それって……すごいことなんじゃないの?」
「広まったら倫理的規制が掛かることは自明だから、過去の変え方は俺一人で試行しなきゃいけない」
「すごいすごい! 本当に天才なんだね!」
「――――呑気な反応だけど、わかってる? ココ」
今まで誰にも出来なかったことをやってのけながら、勝ち誇るでもなく沈鬱とした目でマトイが語る。
「君はうまいこと逃げ出した先で過去から来たと訴えても、誰にも相手にされない。その上、君を帰す方法を知るのは俺だけだ。俺が捕まったら君と繋がる地点も消去されるよう設定してある」
「うん。捕まらないでね、マトイ」
「そうじゃない。……いや、そうなんだけど」
「もう。この流れでマトイが困ったらおかしいでしょ」
困惑したように寄る辺のない顔のマトイが私から目を逸らして俯くのが、皮肉にも私の低い視点からはよく見えてしまう。
私がからからと笑うと、マトイが辛そうに口を引き結んだ。
そんなに唇を噛んだら傷になっちゃうよ。




