魔法の扉を開くように
白く息の弾む季節。
私はいつもの通りにスマホを握り締めて、玄関のドアを押し開けた。
「ただいまーっ」
家中に通るような帰宅の挨拶のかたわらで、真っ先に靴の数をチェックするのも毎日の習慣。
お母さんのパンプス、弟のスニーカー、――――お父さんの革靴はまだない。
セーフ! 晩ご飯には間に合った!
新しく出来たドーナツ店でおしゃべりに夢中になりすぎちゃったんだよね。
でもこれならメールの返信くらいは出来ちゃうかも。
私がそう目論んでいると、頭上から、
「おかえりー」
呆れたような弟の声が乗っかった。
「あのさぁ姉ちゃん、セーフって顔してるけどギリだからな。これから帰るって父さんから連絡入ってるから」
「ひゃあ! そうなの!? うわぁ。ご飯の前にメールの返信と、ゲームのイベント前の声掛けやっちゃいたいんだよね。急がなきゃ!」
片手でスマホを弄りながらわたわたと靴を脱ぐ。
それを見て、少し前までは素直でかわいらしかった筈の弟が、わざとらしくため息を吐いてきた。
中学に入ってから大人ぶって斜に構えちゃってるんだから、もう。
「姉ちゃん見てると、スマホ使ってるってよりスマホに使われてるみたいだよな、本当。ネット上の関係より目の前の相手を大事にしろって言葉、姉ちゃんのためにあるみたい」
「なあにー、大人の受け売りみたいなこと言って。考え方古いなぁ」
「俺は面倒だから友達としか連絡取らないし。そんなのに時間かけるよりアニマル動画見てるほうがよっぽど有意義。シマエナガすっげぇかわいい」
断言する生意気な弟を論破できる気がしない。動物は卑怯だよ!
負けが濃厚な私は、むぅっと口を尖らせながら階段を駆け上がって捨て台詞を吐いた。
「そんなの好みの違いでしょ!」
いつだって私の片手を占拠してるスマホは、私にとっては充分に有意義だ。
誰とでも繋がっていられる魔法の機械。
スマホ越しの人間関係はいつだってキラキラ輝いていて、私をステキな未来に導いてくれる。
片手で部屋のドアを閉めたら最後、私の目にはスマホしか入らない。
「やっぱり返事が来てる! 明日のお弁当同中のメンバーで食べるのね。うんうん、いいね――――返信っと。次は……」
高速稼働させる指先に迷いはない。ほんの数分で日々の繰り返しの賜物だね。
私はメールアプリの新着通知すべてに返事を送り尽くすことに成功した。
時間との戦いに勝ったよ!
満足して一旦顔を上げる。
今の私は制服から着替えもしないままで、もちろん高く結んだポニーテールもそのまんま。
お父さんが帰ってきて晩ご飯になる前に、着替えないといけないのはわかってるんだけど……。
手の中のスマホに視線を落とす。
でもまだSNSにも通知が残ってるし、ゲームのイベントもあと三十分で始まっちゃう。
「うーん。先にイベントの声かけしちゃおうかな。そのあとすぐ着替えれば間に合うよね」
誘惑に負けた。
ううん、これは責任感でもあるんだから!
ふんふん鼻歌を歌いながらアプリアイコンを押すと、いつも通りのオープニング画面が出てきて――――
出てこなかった。
オープニングの代わりに画面がカメラ通話に切り替わる。
だけど映ったのはゲームのキャラではと思うくらいのアイドル顔……リアルな方向性の。
「えっ! なにこの人顔がいいっ」
画面越しでも圧を感じるくらいのぱっちりした薄茶色の猫目に、すっと通った鼻筋。
日焼けの気配も感じさせない白い額をさらさらと隠す髪の毛が頬紅みたいなきれいなピンク。
っていうかいくらイケメンでもピンクの髪って!
驚いてアホ面を晒してる私に対して、ピンク髪のお兄さんは涼しい顔を崩さないままじっとこっちを見てるみたい。
私は気恥ずかしくなって、それからはっとした。
こんな非日常的な顔の人を一度見て、忘れるはずがない。ってことはこの人、絶対に私の知り合いじゃない!
「えっあれ? ごめんなさーい。操作間違ったのかなー?」
そんな筈はないような、とひたすらに首を捻りながらも、とりあえず謝る。
どんな原因があったにしても解決は穏便に限るよね。
「通話切りますね。失礼しましたー!」
もったいないけど。
もうすっごくおしゃべりしてみたいけど、偶然電話が繋がっただけのイケメンと話し続けることはできないよね。いくらスマホが魔法の機械でも相手は人間なんだから。
そう思ったのに、私を引き留めたのは当の本人だった。
「待って。間違ってないよ。君、ミナカミコトコちゃん?」
「あれっ。誰かの紹介でしたか? はい! そうです。水上琴子です」
まさか本当に私宛ての通話だったなんて。
私の天秤がイベントの声掛けからイケメンとのおしゃべりに一気に傾く。
そうと決まれば、ちゃんと対応しないとね。テレビ電話用に整えてある一角に移動して、わせわせと前髪を整えた。
「お兄さんどなたですか? 誰の知り合い?」
「君の息子さんの遠い知り合いかなぁ」
「は?」
水上琴子、高校だって入りたてだよ。もちろん息子なんて産んでない。
この人、もしかして怪しい人?
早まった対応しちゃったかも。
「あのー、私のこと見ればわかると思うんだけど、何かの間違いなんじゃないかなって……」
「いや。俺、君を攫いにきたんだ」
「は? さらいに?」
「悪いけど、未来に来てもらうよ」
全く、ちっとも話についていけないまま。
画面上のお兄さんの顔を覆い隠すように、いきなりびっしりと数字の羅列が現れる。
私はドクンとした衝動を感じて意識を手放した。
これは、私が彼に誘拐されてから彼のことを好きになっちゃうまでの7日間の記録。
私、どんなときでも諦めないで頑張ったよ。それに、日に日に成長していく彼のね、ひたむきに頑張る姿がすっごくかっこよくって、だいだい大好き。
ちゃんとハッピーエンドを掴み取ったから、何が起きたのか
――――私の話、聞いてほしいな。




