6.魔法使いの弟子になりました。
村の入り口にグリフを繋ぐ。そうして、セリーナも自分の足でテムトの村に足を踏み入れた。
村には、どこかそわそわした空気が流れている。
テムトたちは木材やら丸めた紙やら道具を手に、ぱたぱたと忙しく走り回っている。服を着たふわふわうさぎたちが駆け回る姿は、彼らが精霊だとわかっていてもやっぱり絵本の一場面のようで可愛らしい。
何度も足を踏み入れてるのだろう。その中を、グレイフィールは慣れた様子で歩く。その後ろをついて歩いていると、途中でグレイフィールが笑みを滲ませて振り返った。
「ねえ、セリーナ。君、小さくて可愛いものに目がないだろう」
「! ど、どうして」
「村に入ってから、ずっと頬が緩んでいるよ」
指摘されて、セリーナはぱっと頬を覆った。――実はそうなのだ。さっきからだって、テムトたちがお尻をふりふり走っているのを見ると、どうにも目で追ってしまう。本当を言うと、白くてふわふわした体に触れてみたくて仕方がないのだ。
(そういえば、隠れて猫を拾ったこともあったっけ……)
ふと、幼い日の記憶が頭をよぎる。随分昔、ユークレヒト家の屋敷に黒い猫が迷い込んできたことがあった。その時もふわふわの毛並みに庇護欲を刺激されて、こっそりと部屋に入れて面倒を見た。残念ながら猫は数日ほどでふらりといなくなってしまい、寂しい思いをしたものだ。
そんなことを考えながら歩いていると、途中、村の中央と思われる広場に差し掛かった。そこでは、テムトたちが集まって紙の花を折っている。出来上がった花はこんもりと山のように積まれており、折っているのとは別のテムトがそれらをカゴに詰めては、どこかへと運び去っていく。
そんな光景を横目に見ながら、グレイフィールは村で一番大きな家に向かう。二人が到着するのと同時に、中から1匹の年老いたテムトが出てきた。
「コレハ、コレハ。魔法使イサマ。ヨク来テ下サイマシタ」
先端がくるりと丸まった木の杖をついたそのテムトは、他のテムトより人の言葉を滑らかに話す。彼の名はルークといって、テムトの村の長をしているらしい。
「奥方サマモ、テムトノ村ニヨウコソ」
「え?」
ルークに見上げられ、セリーナはきょとんと瞬きをした。急にグレイフィールが若い娘を連れて村を訪れたので、勘違いさせてしまったようだ。慌ててセリーナは訂正をしようとしたが、それより先にグレイフィールはふむと頷いた。
「奥方か。なるほど、それはいい。そういうことにしておこう」
「え、ええ!?」
何を言い出すんだ、この人は。そう思って彼を見れば、グレイフィールは真顔のままきょとんと首を傾げた。
「いい案だと思うけど。みんなに説明しやすいし、君の安全も保障できる。妖精だろうと人間だろうと、ハズレの森の魔法使いの妻に手を出す輩はいないはずだよ」
「それはそうですが……」
「それとも、僕の奥方を名乗るのはいや?」
心なしかしょんぼりと、グレイフィールが眉を八の字にする。思わぬ返しに、セリーナは言葉に詰まった。そんな寂しげな眼差しで見つめられたら、うっかり頷いてしまいそうになる。
「……そ、そういう問題ではなく。ダメなものは、ダメなのです」
流されてしまいそうな自分を叱咤激励し、セリーナはどうにか首を振った。
グレイフィールは見た目だけなら若い男性で、セリーナと並べば恋人や年若い夫婦に見えないこともない。けれども彼は最も偉大な魔法使いのひとりで、さらにはセリーナの恩人だ。彼の奥方を名乗るなど、おこがましくて出来るわけがない。
セリーナが靡かないと知るや、グレイフィールはもとの涼しげな表情に戻った。
「君は存外頑固だな。いやしかし、だとすると君をどう紹介すべきか……」
彼はしばらく眉根を寄せて考え込む。やがて何かを妙案を思いついたのか、わずかに嬉しそうに声を弾ませた。
「――魔法使いの弟子。これからは、僕の弟子を名乗ったらどうだろう」
「それなら……」
奥方(仮)よりはマシだ。けれどもセリーナは、魔術の「ま」の覚えもない。そんな自分が弟子を名乗ってもいいのだろうか。
するとグレイフィールは、セリーナの胸中を見透かしたようにひらりと手を振った。
「お忘れかな。僕は君の手を借りたくて、テムトの村に連れてきた。これから僕の手伝いをする君が、弟子を名乗るのは少しもおかしくないと思うけど」
なるほど、とセリーナは考え込んだ。こじつけではあるが、大枠としては間違っていない。セリーナの沈黙を肯定と受け取ったのか、その隙にグレイフィールはさっさとテムトの長に向き直った。
「というわけで。彼女は僕の弟子のセリーナだ。よろしく頼む」
「ヨウコソ、弟子サマ。オ会イデキテ光栄デス」
目の前でやり取りを見ていただろうに、ルークは変わらずにこやかに答えた。
「魔法使イサマ、弟子サマ。テムトノ祭リヲ、オ助ケクダサイ」
ルークによると、テムトの村では近々大きなお祭りが開かれるそうだ。森の神様を称えるそのお祭りは、毎年同じ月の満月の夜に行われている。今年は10年に一度、月が特に澄んで大きく見える夜と重なる予定で、いつにもまして準備に熱が入っているようだ。
「祭の終盤、神への捧げものとして紙の花を空に浮かべるんだけど、今年は張り切りすぎて花を多く折りすぎたそうだ。それで、ヘルプの依頼が僕に入った」
説明しながら、グレイフィールはとある小屋へと入っていく。その後について小屋に入ったセリーナは、天井すれすれまで積みあがった紙の花にびっくりした。
「こんなに紙の花を……?」
「ざっと、いつもの2倍はあるな。かなり張り切っている」
そう言っている間にも、新たな紙の花をテムトが運んできて、こんもりと積まれた山へと追加していく。このままだと、小屋の中に立つ場所がなくなってしまいそうだ。
そのうちの一つを、グレイフィールが拾い上げる。白い指で花びらの一枚をつんとつつくと、指先を起点にして、絡み合う蔦のような複雑な模様が浮かび上がった。
「ごらん。これが浮遊術の陣」
セリーナに花を渡して、グレイフィールがそう言った。
「祈りの歌に反応して宙に浮かぶよう、魔術を組み上げた。テムトたちも、いつもなら祈りの歌だけで花を飛ばせるんだけど、今年はこれほどの量だから。花を飛ばしやすくするように、魔術の助けを得るようにアドバイスした」
「では、グレイフィール様がここにいらしたのは」
「そう。ここにある紙の花に魔術陣を描くため。君にもそれを、手伝って欲しい」
ぽかんと。貴族令嬢としてはあるまじく、呆気に取られてセリーナは紙の花の山を眺めた。目を回してしまいそうになりながらグレイフィールに視線を戻せば、彼は悪戯が成功した子供のように金色の目を細めた。
「色々と言いたそうな顔をしている。順番に話して構わないよ」
「……この小屋にあるもの全部。そう仰るのですか?」
「正確には違う。ここにあるものと、今テムトたちが外で折っているものの全て。精霊たちは魔法のプロだけど、魔術はからっきしだから。僕らの助けを必要としてる」
「からっきしという意味では、私もお力になれるかどうか」
一般に魔術とは、魔力適正の高い者が魔術師の下に弟子入りし、学ぶことで伝承される。セリーナの場合、魔力適正自体は低くないが、いずれ王太子妃として王宮に入ることが決まっていたことから魔術の訓練は受けてこなかった。
「大丈夫。陣さえ正しく描いてくれれば問題がない。あとで魔力を通せばきちんと浮く。それに、おそらくだけども君は、魔術陣を描くのが得意なはずだよ」
おそらく、などと控えめな表現を使っておきながら、グレイフィールは確信がある様子。当然セリーナとしてはこれっぽっちも自信はない。
それに、先程グレイフィールは、指先で触れただけで一瞬で魔術陣を描いていた。本当に彼は、セリーナの助けなど必要としているのだろうか。
疑わしげなセリーナの気配が伝わったのか、グレイフィールはくるりと手のうえで花をもてあそんだ。
「僕が師匠で、君が弟子だ。弟子は師匠の頼みを聞くものだよ」
それを言われてしまうと弱い。諦めて、セリーナは彼に頷いた。
「善処は致します。お力になれるか、わかりませんが」
「よろしい」
柔らかく微笑んで、グレイフィールが頷く。クールで無表情が基本の彼であるが、そうやって微笑むととても優しい印象を与える。
「君のペースで問題ない。わからないことがあったら、僕に聞くように」
彼に背中を押されるように、セリーナはさっそく紙の花を掌に載せたのだった。




