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5.婚約破棄の裏側と、優しい言葉


 君に手伝って欲しいことがある。


 グレイフィールに告げられた翌日、セリーナはハズレの森にいた。グレイフィールに連れ出されたのだ。


 森の中は適度に湿気に満ちている。そのためか草や土の匂いが強く鼻腔をくすぐる。それはちっとも嫌ではなく、むしろ森に抱かれているような不思議な安心感を与えてくれた。


「大丈夫?」


 前で手綱を引くグレイフィールが、ちらりと振り返って問いかける。馬の背に乗るセリーナが、揺れで疲れていないかと聞いているのだろう。――尚、正確には馬ではない。グリフといったか、鷲のような顔と翼に馬のような体と、不思議な生き物だ。


 確かに、見たこともない不思議な生物の背に乗るのは緊張するが、グレイフィールが上手に手綱を引いてくれているおかげで疲れはない。


 それより、自分の足で歩いているグレイフィールが疲れているのではないか。心配がにじみ出てしまったのか、セリーナの顔を見たグレイフィールは微かに笑みを漏らした。


「心配いらない。僕は慣れてる。この道は、よく通うから」


 言葉の通り、グレイフィールの足取りに迷いはない。風が吹くと襟足に伸びる細い黒髪が揺れて、綺麗だった。


 歩いての移動を勧めたのは、ネッドだった。


「朝の森の散歩、空気が澄んでてすっごく気持ちいから!」だ、そうだ。


 初めは反対していたリオも、グレイフィールがそばにいること、そしてグリフに乗っての移動だということで賛同した。そのため、セリーナがグリフに乗り、そのグリフをグレイフィールが連れるという今のスタイルに落ち着いたのだ。


(グレイフィール様だけなら、一息に森を抜けていけるでしょうに……)


 ちくりと胸が痛むが、美しい森の景色がそれすらも忘れさせてくれる。神秘的で穏やかな森の気配は、家のことやステファンのこと、そのほか様々な事を頭の中から追い払ってくれた。


 心地よい。風に揺れる髪を軽く押さえて吐息をつく。すると、再びこちらに視線をやったグレイフィールが、柔らかく目を細めた。


「よかった」


「え?」


「やっと、君の笑顔が見れた」


 言われて、セリーナは淡い紫の瞳を瞬かせた。今の自分は、笑えているのだろうか。言われてみれば心は軽く、頬の強張りも抜けている気がする。


 しかし、自然に笑えたことなどいつぶりのことだろう。それこそ、ステファンから婚約破棄を言い渡されてからは――。


 薄く唇を開け、きゅっと引き結ぶ。


 やはり、ここに長くいてはいけない。彼のくれる優しさが、当たり前になってしまう前に。


「……私を、スディール国ではない、どこか別の国へ送ってくださいませんか」


 からからと喉が渇き、声がかすれる。それでも、どうにか口にすると、ゆっくりとグレイフィールが振り返った。真意を探るようにセリーナを見つめてから、彼は「どうして?」と落ち着いた声音で返した。


「どうして? 僕の屋敷は、居心地が悪い?」


「とんでもありません」


 勢いよく首を振って、セリーナは否定した。


 むしろ逆だ。彼の屋敷で過ごす時間は、とても暖かく、優しい。


 そのぬくもりに慣れてしまうことが、たまらなく恐ろしい。


「……私は、これといって秀でたところもない、つまらない女です。グレイフィール様のお力になることも、女として悦ばせることも出来ないでしょう。ご迷惑をおかけしてしまう前に、私をよそにおやりください」


 いずれ無くしてしまう温もりであれば、初めから手に入れない方がいい。慣れ切ってしまった体はきっと、余計に凍えてしまうだろうから。


 グリフの背の上で、セリーナは頭を下げる。いつの間に、グレイフィールもグリフも歩みを止めていた。


 しばし沈黙が、あたりを満たした。


 ややあって、グレイフィールが溜息をこぼす気配があった。


「それから君は、どうするつもり?」


「え?」


 ほんの少しとげを含んだ声に、セリーナは顔を上げる。すると、わずかに非難の色をのせた眼差しでこちらを見つめるグレイフィールと目があった。


「仮にセリーナの言う通り、君が『秀でたところもない』、『つまらない女』だとして、そんな君が生きていく当てはあるの? どうやって生きていくつもり?」


「それ、は……」


 口ごもり、セリーナは紫色の目を逸らした。彼の言うことは、的を射ている。貴族令嬢として何不自由なく暮らしてきたセリーナに、ひとりで生き抜く術などない。その辺で野垂れ死ぬか、どこぞの変態に買われて慰み者にされるのが関の山だろう。


 セリーナの反応を見透かしていたのだろう。グレイフィールは厳しい目をしたまま、きっぱりと首を振った。


「当てがないなら、先ほどの要望は呑めない。……それと、君はもっと自分を誇り、大切にするべきだ。僕は君に、自分を粗末にしてほしくはない」


「ですが、私に誇るべきところなど」


「ないとでも?」


 試すようにグレイフィールがぴくりと眉を動かす。彼の金色の瞳に、情けなく途方にくれた顔の自分が映る。見ていられなくて、セリーナは顔を背けようとした。けれども、許さないとばかりに追い詰めて、グレイフィールは強くセリーナを見上げた。


「僕は知っている。君が第一王子と婚約をしたのは12歳のときだ。候補にあがったのは、さらにその6年前。幼い頃から英才教育を受けてきた君は、王太子妃候補として秀でていた。だから選ばれた」


「そ、それは、私の父に力があったからで」


「続けよう。王子と婚約をしてから、君はいくつかの公務をこなしてきた。時には外国の賓客をもてなすことも。君の応対は完璧で、王も王妃も満足していた。だから君は、王太子の婚約者であり続けた。――風向きが変わったのは、異世界の聖女が現れたからだ」


 異世界の聖女。彼の口からその単語が飛び出したことで、セリーナの胸はどきりと跳ねる。セリーナの表情が強張ったのを察したのだろう。グレイフィールが目を和らげた。


「マリナ・アカギリ。彼女の登場で、王子は変わった。予定されていた君との結婚は二年も延ばされ、王子は彼女につきっきりとなった」


 ――グレイフィールの言う通りだ。


 当初なら、ステファンが20、セリーナが18となった2年前、二人は結婚をする予定だった。けれども、結婚を二か月先に控えた日、マリナがこの世界に召喚された。


 この世界で聖女は、女神の神託を人々に伝える巫女とされている。異世界から選ばれてこの世界に飛ばされてくる彼女らは、女神から未来を教えられ、自分たちを導いてくれる存在であると。


 だが、マリナは一向に女神の声が降りてこなかった。彼女は人々の期待に応えようと昼夜問わず水晶塔で祈りを捧げた。けれども結果は伴わず、人々は次第にマリナを疑い、嘲るようになった。彼女の顔からは太陽のような笑みが消え、部屋に籠るようになった。


「そんな聖女を庇ったのが君だ。君が彼女に最初に手を差し伸べ、守った。結婚の延期を最初に切り出したのも君だった。マリナの傍にいてやるために」


 ああ、そうだ。生まれ育った世界から引き離され、異世界でひとり涙を流すマリナを、セリーナは見ていられなかったのだ。


「王子が聖女と親しくなったのは、君を通じてだ。だが、彼は聖女に惹かれた。君を伴っての三人での面会は、次第に二人だけのものとなり、すぐに密会へと変わった。君はその変化に気づいていた。気づいたが、止められなかったんだ」


 皆のために。


 静かに告げられたそのセリフに、セリーナは俯く。


 そうだ、止められなかった。騒ぎになれば、事は3人の問題にとどまらない。王族にユークレヒト家、さらには聖女マリナを召喚した水晶塔をも巻き込み、スディール国は混迷の渦に落とされていただろう。


 だからセリーナは隠れて愛を育む二人に見て見ぬふりをしたし、王子から婚約解消の申し出があったときも黙って受け入れた。父は激昂したが、父が城から報せを聞いたときには既に、王子とセリーナの間で円満な婚約解消が合意されていた。


 セリーナをじっと見上げて、グレイフィールは嘆息した。


「反省すべき点があったとすれば、君は優しすぎた。その優しさに付けこまれ、居場所を失ってしまった。……けれども、他人を思いやる強さを持った君を、おろかとは思わない。自分を『つまらない女』だなんて、二度と言うんじゃない」


 強い口調で言われ、しばしセリーナは言葉を失った。やがて彼女は、「どう、して?」となんとかかすれた声を絞り出した。


「どうしてグレイフィール様は、そんなに私のことを……?」


 途端に彼は、苦虫を嚙み潰したように顔をしかめた。しばし目線を外した彼は、ややあって仕方なさそうに告げた。


「――僕らは昔、会ったことがあるんだ。以来、君のことを気に掛けていたし、時々調べていた。婚約破棄を知ったのもそのためだ。それで、放っておけなくなった」


 返事に窮し、セリーナは眉根を寄せる。


 彼と過去に会った? それはいつのことだろう。仮にハズレの森の魔法使いだと気づかなくとも、彼の容姿はインパクトがある。美しい黒髪に金色の瞳。夜空に浮かぶ月のように清廉で神秘的な雰囲気を纏った彼を、一度見れば忘れるわけがないのに。


 セリーナが困っていると、グレイフィールは苦笑をした。


「君が僕を覚えていないのは当然だ。僕がそうなるよう望んだから」


 再び彼は、奇妙なことを言いだす。けれども、セリーナが何かを問いかけるより先に、グレイフィールはくるりと背を向ける。そして、グリフを引いて歩き始めてしまった。


 これ以上話すことはない。そうはっきり告げる背中に、セリーナはひとり考え込むしかなかった。


 グレイフィールはセリーナを知っている。そして、セリーナをハズレの森へ連れ出すためパーティに現れた。けれどもセリーナは彼を知らない。会ったことはないはずだ――。


(忘れていて当然。それって、一体どういう……?)


 答えのない問いに、セリーナが溺れそうになった時だった。


「着いたよ、セリーナ」


 呼びかけられて、セリーナは我に返った。


 いつの間にグリフの足も止まっている。顔を上げたセリーナは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。


「ようこそ。テムトの村へ」


 可愛らしい小さな家がぽつぽつと並ぶ集落を背に、グレイフィールは黒髪を風にたなびかせていた。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「ですが、私に誇るべきところなど」 考え方が、奴隷そのままですね。そのうちに、前向きになるのでしょうが、この辺りは飛ばし読みしたいですね。
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