2.独白(3、そしてすべて)
* * *
――もう二度と、君と会わないつもりだった。
* * *
「ネッド、よそ見をしてる場合!?」
「へへ、わっるい。リオならひとりでなんとかできると思ったからほっといたけど、ちょっと過信しちゃったみたいっ」
「はぁ〜〜っ!? あとで覚えておきなさい!?」
軽口を叩き余裕さえ見せながら、リオとネッドが着々と水晶塔の魔術師たちの意識を刈り取っていく。
その背後でグレイフィールは術式を展開し、瞼を閉じる。彼の足元から無数の影が伸びる。影たちは枝のように無数に分かれて地面を這い、水晶塔を浸食していく。
そうして彼女を探す。彼女、セリーナ・ユークレヒトの色を。
* * *
セリーナ・ユークレヒトとして生を受け、前世とはまったく異なる道を歩んでいる君。この世界のどこかで君が幸せに笑えていればそれでいいのだと、自分は静かに見守っていこうと考えていた。
* * *
「主!! そっち行ったよ!!」
ネッドの声に、そちらも向かずにグレイフィールは軽く手を払う。すると、魔道具を手に飛びかかってきた魔術師が、壁にぶつかったように弾んで吹き飛ばされていく。
それを見たネッドが、引き攣った笑いを浮かべた。
「……うっわー、マジだわ。いまの主が手加減出来ないって話、がちがちにマジだったわ……」
「一撃で滅しなかっただけ、よかったと考えるべきかも。穏当に済ませるためにも、我々で出来るだけ敵を惹きつけましょう!」
* * *
けれども君が苦しんでいると知った時、いても経ってもいられなかった。
また、君の中にシンシアを探してしまうかもしれない。そうすることで、君を傷つける日が訪れてしまうかもしれない。
自分を戒めてきたのに、君に手を伸ばしてしまった。
そうやって僕らは、再び出会ったんだ。
* * *
「主、水晶塔の様子が変だ!」
「魔術師たちが水晶に飲まれていく……、この術式は、聖女の力?」
「はい!? なんで聖女が、水晶塔の魔術師を攻撃してるの!? ていうか、その聖女サマはどこいるわけ!?」
「わからない。わかりませんが、グレイフィール!! 急いだ方がいい! セリーナ様の居場所はまだですか!?」
「――――見つけた」
ゆっくりと瞼を開き、グレイフィールは夜空に輝く月のような瞳を、まっすぐに水晶塔に向ける。リオの言う通り、水晶塔全体に聖女の放った魔術が巣喰い、人々を飲み込んでいる。その混乱の中心に、彼女がいる。
セリーナの、色がある。
「ごめん、リオ、ネッド。僕は先に行く」
「へ?」
「は?」
鎌を手に警戒していたネッドたちが、間抜けな声を上げる。そんな弟子二人に、グレイフィールは告げた。
「追いつけるならついてきて。歩きでも、跳んでも、どっちでもいいけど」
言い残すなり、グレイフィールの姿がかききえる。転移魔術で、水晶塔の深部に跳んだのだ。
最後にしゅるりと震えて消えた影の残滓に、ネッドは頭を抱えて叫んだ。
「だぁーかぁーらぁー! この中で転移魔術使えるの、あんただけだって言ってるじゃんーーーー!!!!」
*
*
*
跳躍の中、グレイフィールは想う。
初めてセリーナがハズレの森の地を踏んだ夜のこと。並んで一緒に見送った、輝く光の花たちのこと。魔術薬を調合する、緊張した表情。魔術書をめくる細い指。横顔。
自分を見上げる、彼女の笑顔。
――君は、信じてくれるだろうか。
初めは愛おしさだけだった。セリーナ・ユークレヒトとして再び僕の前に姿を現した君の、笑顔を守り抜く。君を傷つける者は許さない。大切に、大事にハズレの森に閉じ込めて、やがて終わるその日まで君を慈しみ支えていこう。
けれども傷ついた君が。その傷を乗り越え、勇気を出して僕に笑みを見せてくれた君が。僕の心を一瞬で塗り替えた。
ただ、枠の外から君を守るだけの傍観者としてではない。君の隣で、君と同じ景色を眺めたい。僕の胸を満たした、遠い昔に抱いた夢。
そうだ。僕は再び、君に恋をした。
目の前で影が割れ、グレイフィールは目当ての場所に降り立つ。四方が水晶に囲まれた、不思議な小部屋だ。
突然姿を現したグレイフィールに、先に小部屋にいた人物が慄いた。
「ハズレの森の……っ!? どうして!?」
叫びながら杖を構えたのは聖女マリナだったが、グレイフィールにはどうでもいいことだ。そもそも彼女が何者かすら確かめようともしなかった。軽く指で宙を払い、マリナを吹き飛ばす。
そうやって邪魔者を排除してから、グレイフィールは水晶台に――セリーナが閉じ込めまれたそれに、両手を突く。
ふわりと広がった灰色の髪に、閉ざされたままの瞳。水晶のなかで静かに眠る彼女は美しく、まるで夢物語に登場する眠り姫のようだ。
彼女に触れたくて、グレイフィールは身を屈める。届かないとわかっているのに、グレイフィールは冷たい水晶にそっと額をつけた。
ねえ、セリーナ。死ぬことだけが望みだった僕に、君が生きる意味を与えてくれた。君だけが僕の光。君がいないと、僕は息をするのさえ苦しい。
お願いだ。僕と一緒に笑って欲しい。君の時間を共に過ごさせて欲しい。
信じられるかな。僕は君と、生きていたいんだ。
「帰ろう、セリーナ」
祈るように、願うように。瞼を閉じて、グレイフィールは乞う。
「ハズレの森の、僕らの家に」
氷が割れるような音が響いて、水晶にヒビが入る。次の瞬間、セリーナを閉じ込めた水晶台が細かく砕けた。
細かい破片が、まるで夜空を染める星々のように輝く。その中で、ふわりと浮き上がったセリーナの体を、グレイフィールは慎重に抱きとめた。
髪と同じ、灰色がかったまつ毛に縁取られた瞼が、ぴくりと動く。程なくして、グレイフィールが心から望んだ、紫水晶のように澄んだ眼差しが彼に向けられた。
くしゃりと、グレイフィールは泣きそうに笑みを浮かべる。けれども涙が溢れる前に、セリーナの白い手が彼の頬に添えられた。
「夢の中で、もう一人のあなたに会いました」
「うん」
「いつか助けに行くので待っていて欲しいと、約束をしました」
「うん」
冷たい指が、そっとグレイフィールの目の縁をなぞる。彼女が涙を拭ってくれたのだと、グレイフィールにはわかった。
「グレイ様。あなたを救って、いいですか?」
真摯な瞳が、まっすぐに問う。それに頷いてから、グレイフィールはセリーナを抱きしめた。強くつよく、抱きしめた。
「僕には君が必要だ」
よかったじゃん、と。世界のどこかで彼女が歯を見せて笑う。
なぜだかグレイフィールは、そのように思えたのだった。




