表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/42

4.怯える心と、信じたい気持ち


「ひどいっすよ! 俺を置いてっちゃうなんて!」


 グレイフィールの屋敷の食堂。


 二人きりで座るにはいささか広すぎるそこに、色鮮やかな料理が並ぶ。


 セリーナの向かい、長いテーブルの奥に座るグレイフィールのグラスに水を注いでやりながら、もう一人の従者は不満そうに唇を尖らせた。


「おい、(あるじ)? ちゃんと反省してます?? 俺、いたいけな人形なんすよ? こわーい魔獣に出くわしちゃったりして、バラバラのぺちゃんこになっちゃったら可哀そうだって思わない!?」


 触れてしまいそうなほど近く詰め寄られているのに、グレイフィールは平然としている。それどころか、心なしか意外そうに瞬きをした。


「ネッド、歩いて帰ってきたの? 君も跳んでくればよかったのに」


 その場に満ちる、しばしの沈黙。ややあって、ネッドと呼ばれた従者は「……あー」と呻いた。


「そっすよね。森をひとりでトボトボ走るくらいなら、転移魔法でひとっとびした方が楽でいっすよねー……って出来ねえわ!!」


 頭を抱え、突如彼は叫ぶ。わしゃわしゃと髪を掻き乱しながら、ネッドはくねくねと体を揺らした。


「あーやだやだ! でましたよー、主の天然ボケ。ていうか転移魔法できたよね???って、嫌味通り越してギャグだわー。ナチュラルに高位魔術求めすぎだわー。あー天才すぎてわかんないっすよねー」


「ネッド、うるさい」


 セリーナのグラスに水を注ぎながら、リオがじろりと睨んだ。


 さて。ネッドとリオ。この二人が、ハズレの森で暮らすグレイフィールの従者らしい。


 彼は、グレイフィールに伴ってハズレの森に出ていたらしい。用事を終えたところでグレイフィールに置き去りにされてしまい、仕方なくひとりで帰ってきたという。


「と、いうわけで! はじめまして、セリーナちゃんっ。俺もリオと一緒でグレイ様の人形だから、ビシバシ使ってくれて構わないからね?」


 ひらりと手を振られ、セリーナは困惑する。人形。彼はいま、そう言っただろうか。なんと答えるべきかわからず視線を彷徨わせていると、ネッドがげっと顔を歪めた。


「うそ。リオってば、俺たちのことなんも説明してない感じ??」


「……あと少ししたら話そうって、そう思ってた」


「うーわー。出た出た、言い訳でたわー。どーせ、うまく切り出せなくて後回しにしちゃってるうちに、グレイ様が帰ってきちゃったくせに。ほんっと、リオは俺がいないとダメだわー」


「ネッドうるさい!」


 ぎゃんとリオが怒り、すぐ近くにいたセリーナはぴくんと肩を揺らした。すると、リオは一転してオロオロとセリーナを覗き込んだ。


「も、申し訳ありません、セリーナ様……。驚かせてしまって、その……」


「い、いえ。大丈夫ですから」


 それよりも『人形』について知りたい。助けを求めてグレイフィールを見れば、彼は目で頷いて口を開いた。


「ネッドが言うように、二人は人形――持ち主の魔力で動く、自動人形(オートマタ)だ。ふたりの体には複雑な魔術が何重にも掛けられていて、常に僕の魔力を受信している」


「そ。俺とリオは、作られた工房も時期も一緒。けれど見ての通り、外見も中身もぜんっぜん似てないんだ。造り物なのに面白いよね。ってわけで、改めてよろしく!」


 人懐こい笑みをともに、ネッドが腰に手を当てる。その仕草や表情からは、とても彼が造り物とは思えない。リオにしたってそうだ。こうして彼らの口から聞くまで、彼女が人間であるかどうか疑いもしなかった。


 驚いたセリーナが二人を見つめていると、グラスに手を伸ばしながらグレイフィールが微笑んだ。


「二人ともなんでもできるし、僕の魔力を借りてある程度の魔術も使える。何かあれば、遠慮なく彼らを頼ってほしい。今日から君も、ここに住むのだから」


 セリーナは小さく息を呑んだ。何かを言いかけて、言葉は喉で詰まった。


〝セリーナ・ユークレヒトは僕が貰う〟


 あの夜、皆の前でグレイフィールはそう言った。そして、その手を取ったのは自分。何もかもを捨て去る覚悟で、自分で選んでここにきた。


 けれども、今更のように疑問が頭の中を渦巻いてしまう。


 食事を始めるグレイフィールを、そろりとセリーナは盗み見る。


 ハズレの森の魔法使い。紅き渓谷の魔女。水晶塔の白き賢人。――三大魔法使いと呼ばれる三人の中で、グレイフィールが最も謎に包まれている。何せ、ほとんど人前に姿を見せず、現世とのかかわりを断ってきたのだ。


 そんな彼が、なぜ自分に手を差し伸べてくれたのか。


 グレイフィールとセリーナとは、あの夜が初対面だ。それまで面識もなければ、もちろん何の繋がりもない。個人的に彼に助け出してもらえるような理由が、セリーナにはさっぱり思い浮かばないのだ。


 では、スディール国への要求といった、何か別の目的のためにセリーナを連れ出したのか。その可能性も考えたが、あまりピンとこない。王子の婚約者であった時ならいざ知らず、いまのセリーナに政治的価値はない。カードとして手元に置いたところで、交渉材料になるとは思えなかった。


 ――常人には理解のできない、賢人の気まぐれ。そういうことなのだろうか。


(面白がって置いていただける間はいい。けど、それもいつまでもつかしら……)


 胃の腑が重くなるような心地がして、セリーナはせっかく手を伸ばしたスプーンを机に戻した。


 王子に従順なだけの、つまらない女。華やいだ社交界の裏で、女たちにそのように囁かれていたことをセリーナは知っている。


 王子の婚約者として完璧であるように――ほんの少しでも、綻びが生まれないように。怯えはセリーナから笑顔を奪い、加えて元来の気弱な性格も合わさった。


 男を喜ばせるだけの愛嬌もなければ、ほかの女を押しのけるほどのしたたかさもない。弱くて脆い、つまらない女。ほかならぬそれは、セリーナ自身が自分に対して思う評価だ。


 王子に捨てられ、親にも見放された。この上グレイフィールにも飽きられたら、今度こそセリーナの居場所はこの世のどこにも――。


「セリーナ」


 名を呼ばれて、セリーナは我に返った。瞬きをして前を見れば、グレイフィールと視線が交わる。金色の瞳をじっとこちらに向け、彼は手元を指し示した。


「言ったはずだよ。生きてくのにはエネルギーがいる」


 セリーナは自身の手元に視線を移した。……豆のスープ、だろうか。公爵家の食卓に上がったものの方が豪勢だったが、よく煮込んであって旨そうだ。


 何かを食べる気分ではないが、口をつけるまで彼は許してくれなさそうだ。スプーンを手に取り、口に運ぶ。柔らかな豆の食感と、素朴な旨味が舌に広がる。


 美味しい。そう思った途端、思い出したようにお腹が鳴った。


「っ! も、申し訳ありません……」


「どうして謝るの。体が求めている証拠だよ」


 赤面するセリーナに、グレイフィールは微かに笑みを返す。そのまま、何事もなかったように自身もスープを口に運んだ。


 静かで、柔らかな空気。何かを求めたり強要することもなく、ただありのままでそこにいてくれる。その心地よさに、セリーナは無性に泣きたくなった。


 気まぐれかどうかはさておき、彼はいい人なのだろう。リオとネッドも同じくだ。寄り添うようにさりげなくセリーナを気遣い、手を差し伸べてくれる。


 ――けれども、優しくされると勘違いしてしまいそうになる。このまま、ずっとここにいてもいいのだと。たった一つの役目すら果たせず、親からも見放された無価値で無能な自分を、この人たちなら受け入れてくれると。


 だが、そんなわけはない。セリーナの人生で、そんな都合の良いことがこれまで許されたためしがない。


〝この役立たずが……っ!〟


 吐き捨てられた父の言葉が、未だに耳にこびりつく。


 信じたくない。信じて、裏切られたくない。


 お願い。これ以上優しくしないで――。


「オイシクナイ?」


 ぴょこんと。机の下から飛び出した2本の耳に、セリーナは虚を衝かれた。一瞬遅れて、彼女は声にならない悲鳴とともにガタンと椅子を揺らした。


「!?」


「こら、レイク。そんなところから急に顔を出すから、セリーナ様を驚かせてしまったでしょう」


 動揺するセリーナをよそに、リオがふわふわとした何かを持ち上げる。ぬいぐるみのように掲げられたソレを見た時、セリーナは目を丸くした。


「うさぎ?」


「テムトっていって、森に住む妖精だよ」


 リオからひょいと受け取って、ネッドがセリーナに見せる。コック帽とエプロンをつけているが、どう見てもうさぎだ。ひくひくと動く小さな鼻も、つぶらでまん丸の目もどうしようもなく可愛らしい。


「こいつはレイク。調理長だよ。厨房や洗濯場、庭の手入れまで、色んなテムトが屋敷で働いてくれてるんだ」


「オイシクナイ? オキャクサン、ボクノリョウリ、スキジャナイ?」


「大丈夫だよ。彼女はちゃんと、君たちの料理を喜んでくれてる。一口食べた時、彼女の目が輝いたもの」


 不安そうに鼻をひくつかせるレイクを、グレイフィールが優しく宥める。先ほどセリーナがスープを飲んだ時に顔を綻ばせたのを、彼はきちんと見抜いていたようだ。するとレイクは、長い耳をぴょんと伸ばして喜んだ。


「ヨカッタ! オキャクサンウレシイト、ボクモウレシイ」


「! あ、ありがとうございます……」


 くりりとした目できらきらと見上げられ、直前まで塞いでいたセリーナも思わず胸がきゅんとしてしまう。そんな彼女に微笑んでから、グレイフィールはナプキンに手を伸ばす。軽く口元を拭って、彼は改めてセリーナに告げた。


「テムトといえば。ねえ、セリーナ。君に手伝って欲しいことがあるのだけど」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ