1.独白(1)
いつになったら死ねるのかと。そう願うだけの日々だった。
シンシアを弔い、送り出した後。大きな屋敷に、グレイフィールはひとり残された。薬の調合室や、薬草を育てる温室。談話室に、寝室。どこもかしこも空っぽで、常にひんやりとした空気が満ちている。そんな風に感じた。
今日こそ死んでしまおう。何度も、そう思った。
けれども、命を絶つことは出来なかった。恐かったからでも、思い残しがあったからでもない。本当に、『死ぬ』ことが不可能だったのだ。
何度も試した。毒を飲んでも、首を切り裂いても。崖から落ちても、水に沈んでも。その瞬間は意識を失うが、気が付けば体はもとの状態に癒えている。
文献を読み漁り、それがカノアの仕業と知った。カノアに魂の半分を奪われた者は、時間の概念を奪われる。老いることも朽ちることも許されず、当然死ぬことも許されない。
事実を知った時、グレイフィールは吐いた。最愛の人を失ったこの世界で、永遠に生きて行けというのか。そんなのは終わりのない牢獄に囚われるのと一緒だ。
あくる日もあくる日も、森を彷徨い歩いた。そうやって唯一の望みを、カノアを探した。
カノアを見つけ、魂の片割れを取り戻す。それが、シンシアの後を追うためのたった一つの方法。気が狂いそうな喪失感の中、グレイフィールはその考えに縋った。
これまで以上に足を延ばし、人の踏み入れたことのない聖域を暴いた。魔力はどんどん研ぎ澄まされ、自分が人間よりも精霊に近しい存在になっていくのを肌で感じた。いつしか彼は〝ハズレの森の魔法使い〟と、畏怖と尊敬を込めて呼ばれるようになった。
あっという間に50年が経ち、100年が経った。見かねたエルミナに、弟子にしろと言って2体人形を押し付けられた。
それでも諦められなかった。そもそも、諦められるわけがないのだ。時の流れを失った自分には、シンシアを喪った日が昨日のようにも今しがたのようにも感じられる。
毎日シンシアを想った。毎日毎日、シンシアの面影を探し、悔い、共に逝けないことを詫びた。
いつしか想いはヘドロのように胸の奥底に澱んで溜まり、もとはどんな形をしていたのか自分ですらわからなくなった。
この頃から、グレイフィールの世界に色が消えた。
それからさらに100年が経った。
グレイフィールの暮らしに、大きな変化はない。唯一あるとすれば、エルミナから渡された人形たちに人格が芽生え、ここ数十年の間ですっかり同居人としての風格が出た。彼らにはそれぞれ、リオ、ネッドと名付けた。
それでもグレイフィールのやることは変わらない。森に出て、カノアを探す。リオたちが魔術薬の調合に手を出すようになったので、時たま薬草探しに付き合うこともあったが、基本的なスタンスは変えるつもりがなかった。
そんな冬の始まりの、とある空気の澄んだ朝。
いつもの通りグレイフィールは森に出た。ツンと、鼻先が冷える朝だった。吐息を漏らすと、白い息が煙のように空に消える。ぼんやりとそれを眺め、ゆっくりと瞬きをした。
今日はリオもネッドも傍におらず、ひとりで森に来ていた。ふたりのどちらかをカノアが気に入るかもしれない。そんな思惑もあって森に伴わせることも多かったが、この日はひとり何も気にせずふらりと歩き回りたい気分だったのだ。
しゃくりと、足の下で霜柱が折れる。その音を聞きながら、いつまでこんなことを続ければいいのだろうと、グレイフィールは自問した。
カノアは永遠に見つからないかもしれない。エルミナも、リオとネッドもそのうちいなくなって、今度こそ独りぼっちになってしまうかもしれない。自分の魔力はどんどん膨らんで、いつか人の姿をとれなくなるのかもしれない。
別に構わないか、と。一際大きな音を足下に聞きながら、グレイフィールは内心で答えた。
あてもなく彷徨うのは苦しい。いっそのこと、正気を喪えるなら本望だ。それが、この身体に許される唯一の死だとしたら、甘んじて受け入れよう。
どのみち自分には、この世界に未練など欠片も存在しないのだから。
そのときだった。灰色がかったモノクロのグレイフィールの世界に、一本の細い光の糸が現れた。煙のように触れれば掻き消えてしまいそうなそれは、ふわりと風に揺られ、グレイフィールのもとに流されてくる。
なんとなしに指先でそれに触れ――グレイフィールは、目を瞠った。
気づいたら、グレイフィールは街に跳んでいた。後に、そこは森に接する王国、スディール国の都ガッスールだと知ったが、この時の彼はそんなことに気を掛ける余裕はなかった。
とりあえず身に着けていたローブのフードを被って顔を隠し、足早に光の痕跡を追う。ちょうど朝市の時間帯らしく、往来の出は多い。その中を全身ローブで隠した背高の男が行くのはひどく目立ったろうが、幸いにして正体がバレることはなかった。
そうやって歩いていくと、水晶塔に着いた。光の痕跡は、どうやら併設の聖堂に続いている。
水晶塔は三大魔法使いのひとり、カルヴァスの牙城だ。ここで正体を見破られると、後々が面倒くさくなる。とっさにグレイフィールは黒猫に変身した。高等魔術で気配も消し、完璧に猫になり切る。そうやって、窓から聖堂内に侵入した。
中には水晶塔の魔術師たちが数名と、20名ほどの子供たちがいた。よく見ると、その親とみられるものたちも奥の暗がりに控えている。
子供たちは順番にひとりずつ、魔術師のもとに歩み寄る。そして、言われるままに水晶に手を翳していた。その頭上に、魔術師が何かを囁く。そうすると水晶内に術式が浮かんで、何かしらの答えを映し出している。
過去にエルミナに聞いたことがあった。魔術が信仰の一部になっているスディール国では、子供たちが決まった年齢になると水晶塔で魔力適性の判定を行うのだと。
そのうち、ひとりの女の子が前に進み出た。上質な服を身にまとっていから、良い家の娘と見える。灰色の髪にアメジスト色の瞳が印象的な、控えめだが美しい少女だ。
わずかに緊張を見せつつ、令嬢らしくしずしずと水晶の前に出てきた女の子は、ゆっくりと水晶に手を翳す。これまでと同じように魔術師が呪文を唱えて水晶が光った途端、グレイフィールは感じた。
まっすぐで明るい、優しいライトグリーンの光。少女に宿るのは、シンシアとまったく同じ色の魔力。
――彼女は、シンシアの生まれ変わりだ。心臓が、早鐘のように胸を打った。




