∞ー4
ハズレの森での生活は、順調だった。
グレイフィールとシンシア、ふたりの魔術で屋敷の中を整え、魔術薬の調合に必要な環境を作る。材料は主に森の中から採取したが、慣れてきたころから敷地の一角に温室を備えた薬草農園も整備した。
そうやって魔術薬を作り出しては、近くの町で売る。得た金で食料や生活に必要なものを仕入れ、再び森に帰る。人里に降りない日はふたりで森に出て、新たな薬草探しやテムトのような妖精たちとの交流。そんな生活のリズムが、自然と出来上がった。
「見て見て! リオロープの実がこんなに! 持って帰って植えてみましょ!」
「うわ、リコルスの花だ……。生き物の精気を吸って咲く花だから怖いんだけど、回復薬には効くんだよね……。せっかくだし、ちょっと摘んでいこっか」
「すっごい、ダルタスの群生地! これで、美容薬がたくさん作れるわ! エルミナが聞いたら喜ぶわね!」
森に来てからというもの、シンシアはいきいきしていた。水を得た魚のように、森で材料を見つけては新たな魔術薬を調合する。もちろん森には危険もあるが、グレイフィールが一緒にいれば問題ない。そもそも彼ほどの魔術師相手だと、悪戯好きの妖精たちも悪さをしてこないのだ。
そしてグレイフィールも……シンシアの隣で、穏やかな時間を過ごしていた。恋人と呼ぶべきか、夫婦と呼ぶべきか。境界は非常にあいまいだったが、そんなものは些末な問題だ。時に腕のいい魔術師として、時にパートナーとして、試行錯誤を重ねるシンシアを助け、支える。グレイフィールの長い生涯において、もっとも満ち足りた時間だったかもしれない。
そうそう。月に一度ほどのペースで、エルミナもハズレの森に遊びに来ていた。二人が森に住むようになったことで、ハズレの森でしか取れない魔術鉱石などを採りに来やすくなったらしい。
ようは使い勝手のいい宿替わりだが、相手がエルミナだと悪い気はしない。それにシンシアが作った魔術薬を、エルミナは自身の工房でも売ってくれる。紅の渓谷の看板を背負っているだけあって売上も相当よく、月に一度の宿代分は十分に支払ってもらっていた。
そうやって、あっという間に一年が過ぎ、二年が過ぎた。
3年目になった、ある夏の暮れ。普段より北北東に足を延ばした二人は、不思議な場所にたどり着いた。
季節はまだ夏の終わりだというのに、一面が金色のすすきで覆われた原っぱ。――そもそも、すすきの原はどこまで続いているのだろうか。木々を抜けた先に突然現れるくせに、終わりは一向に見えてこない。
「なんだろう、ここ」
まるで、魔術結界の中みたいだ。見たことのない魔力が、あたりに満ちている。そのように不安になるグレイフィールに反して、シンシアの反応はあっけらかんとしたものだった。
「よくわかんないけど、行ってみましょうよ! 新しい薬草が見つかるかもだし」
「ちょっと! ひとりで勝手にいかないでよ、危ないよ」
「平気、平気っ。なんだかここ、悪い気配とかしないし!」
「またそうやって気分で……まったく」
軽やかな足取りですすき野を抜けていくシンシアを、グレイフィールは追いかける。事実、彼女の言う通り、ここには悪い気配はひとつもない。感じたことのない魔力が満ちているのはわかるが、ただそこにあるだけ、といった様子なのだ。
ふいに、シンシアが足を止めた。感嘆の声を上げる彼女に、グレイフィールも慌てて彼女の後ろから顔を覗かせる。すると、波一つ立たない、鏡のような湖が目に入る。
湖の上には、一匹の牡鹿がいた。
牡鹿のような、といった方が正しいかもしれない。体は白く、よく見ると足には鳥のような鉤爪がある。二人を見つめる瞳は思慮深く、彼の立つ湖の湖面に似ている。
グレイフィールと目が合うと、牡鹿はゆっくりと目を細める。そして、ふいに天を見上げた。
次の瞬間、辺り一面のすすき野も、湖も、牡鹿も、すべてが幻のように掻き消える。グレイフィールとシンシアは、見慣れた森の木々の中にいた。
「たぶん、それはカノアねぇ。カノアの住む、時の泉に迷い込んだんだわ」
数日経って、エルミナがいつものようにハズレの森に泊まりに来た。さっそく先日見つけた不思議な光景の話をすると、エルミナはすぐに答えて身を乗り出した。
「ていうか、時の泉に行ったの!? す~ごいじゃない二人とも!! 大快挙よ!」
「カノアって、何?」
「時の泉ってのも、知らないんだけど」
「ウソでしょ〜? って、私が教えなかったら知らないわよね~」
きょとんと瞬きする二人に、エルミナはもどかしそうに頭を抱える。けれどもすぐに、気を取り直したように教えてくれた。
「時の泉ってのはねぇ、その名の通り時間を統べる場所よ。過去も、現在も、未来も、あらゆる時間は時の泉から生まれて、時の泉に帰る。だから泉を手にしたものは、過去も未来も支配出来ると言われているわ。その意味、二人にはわかる?」
「……つまり、未来も過去も自分の都合よく変えられるってこと?」
「え!? 何それ、すごくない?」
「でしょ~? だ、け、ど、過去や未来を好き勝手にいじることが出来る泉なんて、逆に言えば危険じゃない? だから、泉を守る守護者としてカノアがいるのっ。カノアが結界を張っている限り、人間だろうと妖精だろうと泉に触れることはおろか、近寄ることは出来ないわ~」
「え、でも」
シンシアは不思議そうにグレイフィールを見た。グレイフィールも頷いて、首を傾げる。
「近寄れたね、泉」
「そうそう。泉、すっごく綺麗だったわよ?」
「だ~か~ら~! すごいって言ってるの!」
ばんと机に手をついて身を乗り出し、エルミナは興奮して目を輝かせた。
「カノアはね、泉に害を与えないと判断したもの、かつ自分が気に入ったものを結界内に招き入れることがあると言われているわ~。きっと、ふたりのどちらかがカノアに気に入られたんだわっ。はぁ~、うらやましい!」
そういうものだろうか。顔を見合わせる二人に、エルミナは嬉しそうに手を合わせた。
「ね、お願いっ。カノアは絶対に、また二人を時の泉に招いてくれるわっ。その時は私も一緒に、時の泉に行かせてちょ~だい!」




