∞ー1
グレイフィールは、山奥の小さな村で生まれた。
村というよりは集落といった方がいい規模で、父は木こり、母は染め物をして生計を立てていた。
そんな中、魔力適性の高いグレイフィールは異質な存在だった。
当時はいまよりも魔術が希少で、魔術師たちはそれぞれのコミュニティに篭り、弟子を取ったりして細々と技を伝承していた。
グレイフィールが生まれた小さな村には魔術師などいなかった。しかも当時の彼にとっては不幸なことに、グレイフィールは小さな体にありあまる魔力を宿していた。
グレイフィールはしばし、魔力を制御しきれず不可解な現象を引き起こした。幸い怪我人が出るような事態には至らなかったが、たびたび騒ぎを起こしてしまう彼を、村人たち、親兄弟ですら持て余した。
小さな村で、彼はいつも一人だった。
そんな状況が変わったのは、彼が7歳になった年の夏だった。ひとりの高名な魔術師が、彼の村に立ち寄ったのだった。
炎のような髪色をしたそのひとは、エルミナといった。
「おーやおや。まさかこんな小さな村に、君みたいな逸材がいるなんてねぇ」
紅い瞳を細め、彼女は歌うように笑う。独特なひとだなと、幼心にそんな印象を抱いたのを覚えている。
エルミナは周遊がてら、魔力適性の高い子供を集めて回っていた。のちに知ったことだが彼女は魔術オタクとして有名であり、弟子をたくさん取って育てることで、魔術工房を築くという野望を抱いていた。
エルミナはすぐにグレイフィールを引き取りたいと両親に話し、両親も二つ返事で了承した。厄介払いができてホッとしたはずだ。そればかりか、子供を取り上げることに気を遣ったエルミナが金を弾んだものだから大喜びだった。そういう親だったし、グレイフィール自身彼らに何の思い入れもない。
エルミナはもう一人女の子を連れていた。年はグレイフィールの二つ上。同じ旅で、グレイフィールを引き取るより3つ前の村に立ち寄った時、目を付けた女の子だという。
正式にエルミナに引き取られ、移動用の幌馬車に乗り込んだ時、先に乗っていた女の子はグレイフィールを一瞥してふんと鼻を鳴らした。銀の髪を揺らし、ツンとそっぽを向いた女の子はこう言った。
「いーい? わたしのほうが先。わたしが姉弟子だからね!」
開口一番、そのようにのたまった女の子が、シンシアだ。
シンシアは向上心に満ち、また誰よりも負けん気の強い女の子だった。生まれ持っての気質が、もしくは鉱山の大家族の生まれという経歴のせいか。エメラルドグリーンの大きな瞳はいつも爛々と輝き、ほかの子供たちを従え歩く姿はさながらガキ大将だった。
可愛いのにな、と。何度となくグレイフィールは思った。生まれ故郷でいつも一人だったグレイフィールにとって、ボス猿よろしく子供たちの中心にいるシンシアは正直苦手だった。
だが、シンシアはグレイフィールを放っておいてくれなかった。むしろ同じタイミングでエルミナに弟子入りしたグレイフィールを、ことさらにライバル視した。
人形魔術に錬金術、魔術薬や魔道具の生成。そして、純粋な術式の展開。紅の谷にできたエルミナの魔術工房では様々な魔術を習った。もとの性格が災いして緻密な作業は好きになれなかったが、魔術自体は楽しかった。
加えて彼の魔術の才能は、ほかの子供たちと比べて抜きんでて秀でていた。
「すごーい!!」
弟妹弟子たちはもちろん、兄姉弟子まで。子供たちは、しょっちゅうグレイフィールの魔術を見て感嘆の声を上げた。グレイフィールには不思議だった。なぜなら、彼には術式を組み立てることが息をするように自然に出来たのだ。
魔力の流れ――色、とでも言えばいいだろうか。グレイフィールにはそれが見えた。組み立てた術式に合う術は緑、合わない術は赤。それだけじゃない。自分の魔力はもちろん、ほかの子供たちやエルミナ、自然界の様々なものまで、宿した魔力の色を感じることができる。
だから、そのときその場所で使うべき最善の術式が、自ずと頭に浮かんでくる。魔術の覚えがなかったときでさえ、作り出した魔力が身体から漏れ出してしまっていたのだ。一度扱い方を理解すれば、グレイフィールは無敵だった。
皆はすごいと騒ぐが、グレイフィールはどうしてほかの子供たちには同じことができないのかがわからない。そういう態度も、シンシアにはカチンときたようだ。
「わ、わたしのほうが、先輩なんだから! 絶対に負けないんだから!」
シンシアはしょっちゅう、グレイフィールを捕まえてそう宣言した。言葉だけではなく、彼女は何かとつけてグレイフィールと競いたがったが、結果は毎回グレイフィールの勝ち。いや、魔術の訓練に勝ちも負けもないのだが、シンシア本人は『負けた』と思ったらしい。毎度ご丁寧に悔しがっては、半泣きになって走り去っていく。
そんなに悔しいなら、いちいち絡まなければいいのに。紅の渓谷にくるまで独りぼっちだったグレイフィールにとって、シンシアの行動は理解し難く、同時に面倒だった。
そんなある日、シンシアが魔術決闘を申し込んできた。
「森の使い人!」
決闘と言っても、戦わせるのはそれぞれの使い人形だ。シンシアは自分と同じぐらいの背丈の若木に魔術をかけて、ヒト型の人形を作った。人形魔術の中でも一番簡単な魔術だが、狙い通り若木が動き出したとき、シンシアはぱあぁと顔を輝かせた。
「さあ、決闘よ! 今日こそ、私のほうが先輩だって認めさせてやるんだから!」
意気揚々と指を差してくるシンシアと取り巻きたちに、グレイフィールはため息が漏れる。――ここで完膚なきまで打ちのめせば、彼女は自分を放っておいてくれるようになるだろうか。そんな考えが、頭の片隅をよぎってしまった。
「……影の使い人」
ぽつりと呟いた途端、地面から影が膨れ上がる。呆気にとられたように子供たちが見ている間にも、影はみるみるうちに大きくなってシンシアの人形を追い越し、大木ほどの大きさにまで育ってしまう。
グレイフィールが我に返るのと、影の人形が大きく手を振りかぶるのとが一緒だった。
「やめて!!」
目を丸くしてぽかんと影の人形を見上げるシンシアに、グレイフィールは悲鳴を上げて手を伸ばした。けれども影の人形は、グレイフィールの言うことを聞いてはくれない。ぐわりと風が吹き、大きな影が子供たちに襲い掛かる。
永遠のような一瞬の中、グレイフィールは必死に地面を蹴った。
「いやだ、やめるんだ――――!」




