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【電子書籍化:WEB版】ハズレの森の魔法使い。〜婚約破棄された令嬢が、最愛の人と再び出会うまで〜  作者: 枢 呂紅
3.水晶塔の聖女

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5.王子の野望と、折れない心(1)


"行かないで。置いていかないで、………"


これは夢だと、セリーナは思った。


風に靡く黒い髪。涙の伝う白い肌に、すっと通った鼻筋。濡れたまつげに縁取られた切長の目と、琥珀色の瞳。


グレイフィールが、目の前で泣いている。


"嫌だ。…………。ダメだ、どうして!"


グレイフィールだと認識したからだろうか。これまでより彼の姿がはっきり見えるし、声もよく聞こえる。


これまでは気づかなかったが、彼は腕に女性を抱いているようだ。その誰かに向かって、必死に呼びかけているらしい。しかしながら女性の顔はボヤけて見えず、名前と思われる部分にもひどいノイズがかかる。


――場面が変わった。


グレイフィールがいるのは同じ。だが、場所が先程とは違う。見覚えのある光景に、セリーナは驚いた。


それは、王都に住んでいた頃のセリーナの寝室だった。


"もう嫌だ。耐えられない"


美しい魔法使いは、両手で顔を覆ってうめく。表情は見えなかったが、絞り出すように震える声が、彼の苦痛を物語っていた。


セリーナは必死に手を伸ばそうとした。彼に苦しんで欲しくない。辛い思いをして欲しくない。寄り添ってやりたい。慰めてやりたい。


けれども、そんなセリーナの想いも虚しく、グレイフィールは吐き出すように呟いた。


"生きていたくない"


……この場面は知っている。


なぜかセリーナは、そう実感を覚えた。





ふるりと睫毛を震わせ、ゆっくりと瞼を開く。


アメジスト色の瞳に天井を映したまま、セリーナはしばし呆然と身を横たえていた。


不思議な部屋だ。天井も、壁も、おそらく背中に当たる硬く冷たい感触も、すべてが水晶で出来ている。室内にはセリーナ以外に誰もおらず、何も置いていない。


まるで、水晶そのものの中にいるみたいだ。そんな印象を抱いて、ハッとした。前にマリナに聞いたことがある。王都ガッスールのはずれに位置する水晶塔。その内部は、何もかもが水晶で出来ていてとても綺麗なのだと。


(……ここは、水晶塔の中?)


だとしたら、ステファンはどこにいったのだろう。マリナは。修道服の魔術師たちは。


ネッドは。


そこまで考えたところで、意識を奪われる直前の、悪夢のような光景が脳裏に蘇った。水晶にあちこちを貫かれ、ぼろぼろになった体。血のように溢れる影。短い悲鳴。だらりと力の抜けた指。


手で口を覆って、セリーナはなんとか悲鳴を堪えた。それでも、溢れ出す感情を堰き止めることはできない。嘘だ。信じられない。ネッドが壊された――殺されて、しまったなんて。


震えながら、セリーナは必死に考える。突然の襲撃に、拘束。女神の神託のためとはいえ、どう考えてもまともな状況ではない。


……グレイフィールとリオは、どうしているだろうか。ネッドの最期を見た後だと、どうしても嫌な想像が頭を巡ってしまう。


けれども、グレイフィールは不死身だ。それに三大魔法使いのひとりである。屋敷の結界を破られた時は動揺してしまったが、彼がそう易々と何者かにやられるとは思えない。


(グレイ様……リオさん……。どうかご無事で……!)


せめてもの慰みに、セリーナは胸の中で強く願う。


そのとき、音もなく壁の一部が割れ、ひと一人が通れるほどの穴が空いた。


カツンと高い音を響かせ、その人物は悠然と室内に入ってくる。顔を上げたセリーナは、すぐさま表情を強張らせた。


「ステファン様……」


「やあ、セリーナ。目が覚めたようでよかった」


穏やかに微笑み、ステファンが朗らかに言う。だが、セリーナが明らかに警戒の色を見せると、彼は立ち止まって眉尻を下げた。


「ひどいじゃないか、そんな目で私を見るなんて。以前の君なら、絶対に考えられなかったよ」


「……お変わりになったのは、殿下の方です」


声も硬く、セリーナは王子を見上げる。


長らく婚約者として側で見てきたからわかる。以前の彼なら、何の温情もなくネッドに刃物を突き立てたりしなかった。


けれどもステファンは、軽く肩を竦めただけだった。


「あの人形は私を攻撃しようとした。しかもハズレの森の魔法使いの手の者だ。壊されて当然だろう?」


「ですから、女神の神託は何かの間違いです……! 私もグレイフィール様も、もちろんネッドさんも、スディール国を滅ぼそうなどと企んでおりませんでした……!」


「間違い? 君もこの国の歴史を学んだだろう? 女神は決して間違えない。間違いがあるとすれば、神託を受けた我々人間にだ」


ずいと身を乗り出し、ステファンの顔が触れてしまいそうなほど近く。柔らかな笑みに反して冷淡な眼差しでセリーナを射抜き、彼は首を傾げた。


「君は、私やマリナが間違っていると言うつもりかな?」


「っ!」


唇を噛み、セリーナは目を泳がせた。


確かにそうだ。女神の神託は本物だ。女神の神託により、スディール国は時に天災を乗り切り、時に戦乱を生き延びた歴史を持つ。その恩恵は、疑うべくもない。


だとすれば、疑うはただ一つの可能性。すなわち、何者かが女神の神託を歪めて伝えた可能性だ。


それが出来るのは聖女マリナだ。しかし、彼女がそんなことをする意味がわからない。マリナがグレイフィールを敵視したり、セリーナを憎んだりする理由がないのだ。


――だが、疑惑を裏付けるように、ステファンが笑い始めた。


初めはくつくつと堪えるように肩を揺らしていた彼だったが、次第に我慢するのをやめ、最後は声を上げて笑った。


ひとしきり笑った後、彼は見たこともない表情でセリーナを見た。


「っ、はーっ。そうだよ。君は、君たちは嵌められたんだ。君と魔法使いのせいで絶望の底に突き落とされた、私とマリナにね!」



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