4.聖女の襲来と、因縁の再会
「セリーナ・ユークレヒト様! 女神の神託により、あなたの身柄を水晶塔でお預かりします。大人しく、私たちに従ってください!」
屋敷の庭に響いた、聖女の高らかな宣言。
それに対し、ハズレの森の魔法使いの従者は鼻で笑った。
「女神さまがセリーナちゃんを名指し? ひとりの女の子についてああだこうだいうだなんて、今どきの女神さまは随分とちまい神託を垂れ流すんだね」
「セリーナ様。あなたにはスディール王国への謀反の嫌疑がかかっているんです。抵抗すれば、状況が悪くなりますよ!」
ネッドには見向きもせず、マリナはセリーナだけを見つめる。小さな手は、相変わらず聖女の杖を握りしめたままだ。明確な敵意に、セリーナは戸惑った。
「謀反だなんて……。マリナ様、一体何を」
「詳しくは私から話そう」
マリナの背後に控える修道服姿たちが割れ、その後ろから新たな人物が現れる。柔らかそうな金髪、人好きのする柔和な顔、ぴんも伸びた背筋。懐かしいその顔に、セリーナは目を瞠った。
「ステファン様……?」
「……こっちもセリーナちゃんの知り合い?」
セリーナを下ろして自分後ろに庇いながら、ネッドが囁く。驚きつつ、セリーナもこくりと頷く。知り合いどころか元婚約者だ。マリナも含めて、セリーナにとって因縁のありすぎる二人である。
そんな中、ステファンは両手を背中で組んで穏やかに切り出した。
「10日ほど前、ついにマリナに女神が囁いたんだ。内容は、ハズレの森の魔法使いがセリーナ・ユークレヒトと手を組み、スディール国を滅ぼそうとしているというものだった。女神の神託を重く受け止めた我々は、君たちの身を拘束しにきたわけだよ」
「は!? 何すかソレ」
にじりと右足を後ろに引き、ネッドは顔を顰めた。
「主がスディール国を滅ぼす?? 一体何のために?? 言っときますけど、あの人、マジで人の世に興味ないっすよ。あの引きこもりに、そんなモチベーションあるわけないって」
「……マリナ。あいつを黙らせてくれ」
「はい!!」
マリナの目が光り、水晶玉が強く輝く。次の瞬間、飛び道具のように小さく尖った水晶が飛び出し、ネッドに襲いかかった。
ネッドはそれを、虫を払うように軽々と手で払った。けれども、マリナが魔術を使えたことには少なからず驚いたらしい。それは、セリーナも同じであった。
(マリナ様が魔術を……。ということは、マリナ様が女神の神託を受けたというのは本当なの?)
聖女は、女神の祝福によりいくつかの魔術を使うことが出来る。しかし、それは女神の神託を受けたあとだ。セリーナがスディール国にいたとき、まだ彼女は魔術を使えなかった。
だが、グレイフィールとセリーナがスディール国を滅ぼそうとしているなんて、当然ながらこれっぽっちも身に覚えがない。仮にマリナが女神の神託を受けたのが本当として、その内容が間違っているなどということがあるのだろうか。
とはいえ、スディール国において女神の神託は絶対だ。このままでは、本当にセリーナは謀反の疑いで囚われてしまう。グレイフィールもだ。
にじり寄ってくる彼らに、セリーナは必死に首を振った。
「待ってください! これは何かの間違いです……、グレイ様も私も、スディール国を滅ぼそうとなど企んでおりません!」
「白白しい。なら君は、女神の神託はどう説明するつもりだ!」
びしりと指を突きつけ、ステファンは厳しく糾弾する。しかし、ないものをどうやって証明しろというのか。困り果てるセリーナに代わり、ネッドが低い声で唸った。
「……あのさ。さすがの俺も、マジに腹が立ってきたんだけど。神託だかなんだか知んないけど、違うって言ってんじゃん。それにさ、誰に喧嘩売ってるかわかってんの? うちの主、ゆるふわ天然なとこあるけど、ここまで言われて黙ってるほど温厚じゃないよ」
はっきりと苛立ちを見せるネッドに、ステファンは余裕の態度を崩さない。それどころか、理解の悪さを憐れむように眉尻を下げた。
「君もわからない人だな。女神の神託は絶対なんだ。そこに、間違いなんて起こるわけがない。……それに」
そこで彼は、見たことがないような薄い笑みを浮かべた。
「仮に温厚でないとしても、私が彼を恐れる必要はない。なぜなら彼は、もう怒りも笑えもしない姿になってるだろうから」
「っ!」
ステファンの言葉に、セリーナは息を呑んだ。
――思えば、初めから奇妙だったのだ。グレイフィールの結界は強固だ。水晶塔の魔術師が何人集まろうと簡単に破れるものではない。仮に破れたとしても、異変を察した彼がすぐに森から跳んで戻ってくるはずだ。
「てっめえ……」
ネッドが纏う空気が、ゆらりと揺らめく。セリーナを下がらせつつ、彼はぎらりと目が輝かせてステファンたちを睨んだ。
「てめえら、主に何をしたーーーー!?」
叫びながらネッドが地面を蹴る。魔術を発動させたのか、その手に光が集まる。けれども振りかぶった彼が王子に飛び掛かった時、ステファンが叫んだ。
「マリナ、やるんだ!!」
「――――女神の守護!」
マリナ、そして水晶塔の魔術師たちが一斉に唱え、白い魔術陣が地面に浮かぶ。ネッドが目を見開くのと、魔術陣から飛び出した水晶がネッドに襲い掛かるのとが同時だった。
ばきりと木が砕けるような嫌な音が響き、水晶が深々とネッドの身体を貫く。腹や腕、足といったあちこちを水晶に突き刺され、ネッドの身体は痛々しく宙に浮いていた。
「ネッドさん!!!!」
セリーナは悲鳴を上げて、ネッドに駆け寄ろうとした。けれども後ろから腕を掴まれ、そのまま押し付けられるように地面に拘束されてしまう。なんとか振り返ると、いつの間にか背後に回っていた修道服の一人に捕まってしまった。
「離して……! ネッドさん、ネッドさん!!」
「……っ、かはっ」
もがくセリーナの声が届いたのか、ネッドが苦しげに咳き込む。だが、そんな彼に、ステファンはゆっくりと近づいていく。その途中、マリナから差し出された豪奢な鞘付きの短剣を受け取り、ステファンは悠然とネッドを見上げて微笑んだ。
透明な水晶を伝って、血の代わりに黒い影が伝って零れる。その麓にまでマリナが到達したとき、ネッドは苦しげに、それでいて不敵な笑みを浮かべた。
「……わかって、ないな。セリーナちゃん、に、手を、出すな。あと、で、こうかい、するぜ……?」
「聞こえなかったな。ハズレの森の魔法使いは、もうこの世にいない。私に死人を恐れろというつもりかな」
冷たくネッドに言い放ち、マリナが短剣を鞘から引き抜く。鞘を地に放ってから、王子は慎重に刃を指先で撫でた。
「……昔、聞いたことがある。ハズレの森の魔法使いには、仕える人形が二体いると。丈夫で、強く、魔術も使える。簡単に壊すのは難しいと」
王子の背後で、マリナの瞳が輝く。途端、ネッドの身体に魔術陣が浮かび上がる。リオの検査のときと同じ、紅き渓谷の工房で刻まれた魔術陣だ。
水晶に身体を貫かれ、ネッドは身じろぎすらできない。そんな彼を見分するように注意深く眺めて、ステファンはほくそ笑んだ。
「人形を動かしているのは魔術。強固に編まれた術式でも、壊してしまえば意味がない。聖女の祝福を与えられた剣なら、それが出来る。……お前の主は死んだ。そのことは、理解できたな?」
ステファンの瞳に残忍な色が宿り、短剣を振りかざす。恐ろしい一瞬の後、彼は剣を振り下ろし、術式が特に濃く浮かび上がっていたネッドの額に勢いよく突き立てた。
「……人形も死ねるかどうか、試してみようか?」
ネッドの口から、短い悲鳴が漏れる。一瞬硬直した彼の指は、だらりと力が抜けた。
魔術師に拘束されたまま、セリーナは目を見開いた。嘘だ。信じられない。嘘であって欲しい。急速に血の気が引いていく中、セリーナは半狂乱になってその名を呼んだ。
「ネッドさん!? いや!! ネッドさん……!!」
「落ち着いて、セリーナ。人形が壊れたくらいで大袈裟だよ」
短剣を引き抜きながら、ステファンが顔をしかめる。穏やかな顔は、セリーナの記憶の中にある姿と同じ。けれども、セリーナが知る彼は、こんな残虐なことをする男性ではなかった。
セリーナは信じられないものを見つめるように、呆然とステファンを見上げた。
「ステファン様……どうして……」
「簡単だよ」
ステファンがしゃがみこむ。涙に濡れたセリーナの頬を拭い、彼はこともなげに微笑んだ。
「私も馬鹿にされれば怒るんだ」
目を瞠るセリーナにもう一度微笑んでから、王子は立ち上がる。変わってしゃがみこんだマリナが、セリーナの額に触れた。
次の瞬間、セリーナの意識は深くふかく沈んでいったのだった。




