3.自分の心と向き合いました。(2)
「グレイ様が私を好きということは、ないと思います」
「どうしてそう思うの?」
「グレイ様が、私に隠し事をなさるからです」
先程までと異なる様子に、ネッドもおやと首を傾げる。若干の苦笑を滲ませ、ネッドは軽く肩を竦めた。
「主にだって、隠し事のひとつやふたつくらい……」
「私に関わりのある話でもですか!?」
ネッドが目を丸くする。後悔しつつ、一度吹き出してしまった思いは止められない。ぽつぽつと、セリーナは吐き出すように続けた。
「はじめて魔力を使ったあの日、見えた景色があるんです」
覚えのない、それでいて夢の中では何度となく繰り返した光景。記憶にはないのに、なぜか懐かしさを覚える景色。そして、以前に僕と君は出会っているという、グレイフィールの言葉。
「私の中に、私の知らない私がいるんじゃないか。そう、最近思うんです」
自分でもおかしな話だと思う。けれども一度浮かんだ疑念は、簡単には晴れてくれない。――全てを知っているであろうグレイフィールも、何も教えてはくれない。
「私が誰で、何者なのか。エルミナ様がそれを突き詰めようとしたとき、グレイ様は話を誤魔化しました。……私を好いてくださるなら、隠すものでしょうか。そんな大切なこと、ひた隠しにして知らせないものでしょうか?」
窓からの風が、セリーナの灰色の髪を揺らす。しばしの沈黙の後、ネッドが天井を仰いだ。
「ん、あー。俺さ、人間じゃないし、人間の知り合いも少ないしでよくわかんないけどさっ」
よっと声をあげて、ネッドがこちらに顔を戻す。その表情は、セリーナの憂いを吹き飛ばすほどあっけらかんとしていた。
「大事だから言えないこと。そういうことも、あるんじゃない?」
「大事だからこそ……?」
「そ! ていうかさ、そもそも、セリーナちゃんが何者かって話。俺はそんなに大事に思えないんだけど」
とっさに言葉をなくすセリーナに、「いや、意地悪な意味じゃなくてさ!」とネッドは付け足す。両手を頭の後ろにまわして寛ぎ、彼は組んだ足をゆらゆら揺らしながら続けた。
「結局、自分は自分でしかなくない? 俺もさ、昔よく悩んだんだ。俺は造り物で、人形で。だったら、笑ったり悩んだりしてる『俺』はなんなんだろうって。だっておかしくない? 魂って、生き物に宿るモノでしょ? 人形の中身なんて、そんなの紛いモノ以外の何物でもないじゃん」
けど、ある日バカらしくなっちゃったんだ、と。ネッドは肩を竦めてみせた。
「紛いモノだろうがなんだろうが、俺は俺だもん。好きに考えるし、やりたいように生きてる。それでいいじゃんって。……セリーナちゃんも、それは同じじゃない?」
にっと笑って、歯を見せる。その笑顔は、どこまでも清々しい。
「君の中に誰がいようが、セリーナちゃんはセリーナちゃんだ。主もそう思ってるから、あえて君に何も言わないんじゃないかな」
「ネッドさん……」
ぽかんと、セリーナはネッドを見つめた。ほんの少しだけ、心の荷が降りた気がする。だからセリーナは、感謝を込めて微笑んだ。
「ネッドさん、お強いんですね」
「そりゃあね。なんせ、紅き渓谷の魔女特製で、ハズレの森の魔法使いの魔力で動く、特注人形なもんでっ」
クスクスと、セリーナは笑う。合わせて、ネッドももう一度にやりと笑みを浮かべた。
その時だった。
「…………主?」
ネッドがふいに動きを止めて、耳を澄ませるように目を泳がす。突然の変化に、セリーナは戸惑った。
「どうかしたんですか?」
「いや……。いま、主の方で何か」
言いかけた途中で、ネッドが顔色を変えた。
彼は椅子を蹴って立ち上がると、むんずとセリーナの手を掴んであっという間に肩に担いだ。
「きゃっ!?」
「頭隠して!」
たん、とネッドが床を蹴る。そのまま彼は、開いている窓からひらりと外に身を躍らせた。
直後、二人がいた談話室が勢いよく吹き飛んだ。
「っ!?」
「……ひっでー。あの部屋、けっこー気に入ってたのに」
セリーナを抱えて着地してすぐに、ネッドが周囲に警戒の目を向ける。口振りは軽かったが、彼らしくもなくぴんと張り詰めた様子が事態の深刻さを物語っていた。
「ネッドさん、今のは……!?」
「しゅーげき。ちょーっと、びっくりしたよね。ごめん、ごめん。おっかしいな。この家、主ががちがちに結界張ってて、よくない連中は入れないようにしてんだけど」
「結界ってこれのことですか?」
第三者の声に、ネッドが振り向きざまに飛び退く。ほぼ同時に、二人が元いた場所に、魔術陣の彫られた岩を砕いたと見られる石の欠片が撃ち込まれた。
地面に深々と突き刺さる破片に、セリーナは息を呑んだ。声の主が、こちらを傷つけるつもりでそれを放ったのは明らかだ。
一体誰がこんなことを。ネッドに担がれたまま、セリーナはなんとかそちらに顔を向ける。そこにいた意外な人物に目を瞠った。
「……マリナ、様?」
小柄な体に、肩の上ぐらいで切り揃えられた黒髪。水晶塔の修道服を身に纏っているが、間違いない。異世界ニホンから召喚された聖女、マリナ・アカギリだ。
マリナの手には、聖女の証しである水晶玉が嵌められた杖が握られている。その後ろには、護衛だろうか。彼顔を隠した修道服姿の人間が6人控えていた。
セリーナと目が合うと、マリナは両手で杖を握りしめる。記憶にある太陽のような笑みは、いまの彼女にはない。茶色い瞳できっと睨みつけ、マリナは口を開いた。
「こんにちは、セリーナさん。元気そうですね」
「どうして、ここにマリナ様が……?」
「聖女の役目を果たしに来ました」
聖女の役割? 戸惑うセリーナを、ネッドが庇うように身をねじる。二人に杖を突き付け、マリナはぴんと張りつめた声で叫んだ。
「セリーナ・ユークレヒト様! 女神の神託により、あなたの身柄を水晶塔でお預かりします。大人しく、私たちに従ってください!」




