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8.魔法使いの影と、痛む気持ち


「ここにいらしたのですか」


 夕刻、セリーナがひとり窓辺に座って森を眺めていると、リオが部屋に入ってきた。先ほどリオはエルミナに体を見せるために簡易な麻のワンピースに着替えていたが、今は普段の濃紺のワンピースに戻っている。


 彼女の姿を見た途端、セリーナはぱっと立ち上がった。


「リオさん! 目が覚めたのですか?」


「はい、おかげさまで。ご心配をおかけしました」


 安心させるように頷きながら、リオは涼しい顔で微笑む。


 あの後、結局ココアを飲み終わってもリオは目を覚まさなかった。エルミナによると、色々といじくった魔術陣が馴染むのに少し時間がかかったらしい。それで、エルミナの勧めでセリーナだけ先に自室に戻らせてもらったのだ。


 目の前にいるリオはいつも通りに見える。それでもセリーナは、眉尻を下げて伺うようにリオを見上げた。


「起きていて大丈夫なんですか?」


「ええ。エルミナのおかげで、むしろ調子がいいくらいです」


笑って、リオは腕を回してみせる。その表情も声も、すっかり元気そうだ。


 ほっとセリーナが息を吐くと、リオも微笑みを返してくれる。けれども次の瞬間、なぜか彼女は気まずそうに目を逸らした。


「あの……、驚かせてしまいましたよね? 調整中の姿など、突然見せてしまって」


「え?」


「いいんです! 気にしないでください。私自身、ネッドが調整を受けているのを見たあとは、妙な気分になりますから」


 目を瞬かせるセリーナに、リオが勢いよく首を振る。いまいち要領を得ずセリーナが首を傾げていると、ややあってリオはすまなそうに肩を落とした。


「……その。気持ち悪くはなかったですか? 魔力供給を切っている間、私たちはまさに木偶人形です。人間でも生き物でもないあの奇妙な姿は、正直、あまりお見せしたくなかったのですが……」


「気持ち……? そんなことありません!」


 後悔するように顔をそむけるリオに、思わずセリーナは叫んだ。


「確かに驚きはしました。ですが、リオさんは私にとって大切な人です。右も左もわからない私を支えてくれて、魔術のことも色々と教えてくれて……。そんな方を、気持ち悪いだなんて思うはずがありません!」


「セリーナ様」


 驚いたようにリオが息を呑む。しばらくセリーナを見つめていた彼女だったが、ややあってふっと表情を緩めた。


「ありがとうございます。……そんな風に、私を思ってくださっていたんですね」


「あ、あの、リオさん……?」


「嬉しいです」


 言いながら、リオはセリーナの手を取る。そして、空色の瞳でまっすぐにセリーナを映し、彼女は普段通り凛とした美しい笑みをみせた。


「あなたは変わりましたね。屋敷にいらしてすぐの頃とは別人のようです」


「そう、でしょうか。私はまだ、自分に自信を持てませんが……」


「変わりましたとも。今しがた私にかけてくださった言葉が、何よりもの証拠です」


 自信たっぷりに頷き、リオが断言する。セリーナとしてはまだ胸を張って同意することは出来ない。けれども、一番近くで見ていてくれただろう彼女にそう太鼓判を押してもらえるのは純粋に嬉しい。――とても、勇気づけられる気がした。


 だからだろうか。すっと息を吸って、吐いて。


 セリーナはアメジスト色の瞳をリオに向け、恐れずに問いかけることが出来た。


「リオさん、教えていただきたいことがあるのです。――グレイ様の、お身体のことです」






 思えば、リオとこういう風に向かい合って話すのは初めてだ。


 魔法薬の調合で向かい合って作業をすることはあったが、そういう時は基本、手順についてしか話さない。それ以外の時、彼女は世話役としてそばにいてくれたが、どこか一歩引いてこちらを眺めている節があった。


 向かいに座るリオは、スカートの上に置いた手を行儀良く重ね合わせている。彼女らしいとしか言いようのない姿勢のまま、リオは静かに切り出した。


「詳しい経緯は私も存じません。私が生まれた……つまり、この屋敷にきたのは、グレイフィールが不老になった後です。――ですが、これだけは断言できます。グレイフィールは自分を不老不死にした精霊、カノアを探しています。数百年の間ずっと諦めずに」


「数百年。……そんなに」


 セリーナは絶句する。けれどもリオは静かに首を振った。


「カノアはグレイフィールの魂の半分を奪い、彼から時間の概念を取り上げました。数百年も一瞬も彼には同じなのです。だから彼は何度絶望しても諦めることが出来ない。カノアを見つけ元の体に戻るというたった一つの望みが、過去になり得ないから」


 今度こそセリーナは、発するべき言葉を無くしてしまった。


 昨日は過去にならないし、明日は未来を照らさない。テムトの祭りの夜、そう言って寂しそうに笑った彼は、どんな思いでこれまで生きてきたのだろう。


 前進することも後退することも許されないまま、『今』に縛りつけられ、生きることを余儀なくされた彼は――。


「グレイフィールはなんらかの禁忌を犯したようです。だからカノアは魂の半分を奪い、永遠という牢獄に閉じ込めた。伝承によれば、カノアは奪った魂をコレクションのように時の泉に置いておくそうです。だからグレイフィールは、この森のどこかにある時の泉に辿り着ければ、魂を取り戻せると考えている」


 禁忌とは何か。彼はなぜ、そのようなリスクを犯してまで禁忌に触れたのか。答えのない問いが、ぐるぐると頭を駆け巡る。


 しばらくして、ようやくセリーナはひとつだけ尋ねた。


「元の体に戻ったとき、グレイ様はどうなるのでしょうか」


「わかりません。なにせ前例がありませんから」


 淡々と首を振り、リオは瞼を伏せる。


「止まっていた時計が動き出し、普通の人間のように余生を生きるかもしれません。あるいは数百年分、急速に時計の針を進め、彼という人間が消滅するのかもしれません」


「だったら……」


「グレイフィールが望むのは、おそらく後者です」


 ぴしゃりと答えて、リオは窓の外に目を向ける。まるで木々の向こう、そのまた奥の森のどこかで泉を探す主の姿を、その瞳に映そうとするように。


「もう生きていたくはないのだろうなと。彼と話していると、ときどきそう感じます」


 ぎゅっと胸が掴まれたように痛む。


 何かを言おうとして、セリーナは失敗した。嫌だ。その想いだけが、強く胸の内を満たしている。彼を失いたくない。少なくとも彼の望みは――静かに消滅することがたったひとつの望みだなんて、そんなの悲しすぎる。


 けれどもセリーナに何が言えるだろう。セリーナが彼を知ったのはつい最近だ。彼らが重ねてきた永遠のような一瞬のなかで、瞬きにも満たない時間しか共にいない。


 グレイフィールの孤独。寂寥。呪縛。その何一つとして理解し得ない自分が、「生きてほしい」だなんて。そんな無責任な台詞、どうして伝えられるのだろう。


 行き場を無くした想いを抱いて、セリーナは静かに紫水晶の瞳を伏せる。灰色の髪が肩から零れ落ちた。


 けれどもそんなセリーナに反して、向かいに座るリオが、微かに肩の力を抜いた気がした。


「……というのが、かつての見立てです」


「え?」


「今はその限りではない。カノアを見つけるのは、もう少し先でも構わない、と。ここ数年、グレイフィールはそのように変わってきています」


 なぜ、彼は。引き寄せられるように顔を上げたセリーナは、こちらを見つめて微笑むリオと目があった。


「あなたが関係していると、私は踏んでいます」


「私が……?」


「はい。グレイフィールがあなたを連れて帰ってきた夜、そう確信しました」


 澄んだ空色の瞳の中に、戸惑いに身じろぎする自分が映る。当然だろう。あの夜セリーナはグレイフィールと初めて出会い、救ってもらったのだ。それからも助けてもらったのは自分ばかりで、彼のためになれたことなど一度もない。


 僕らは過去に一度出会った。もう何度ともなく繰り返したその言葉が、再び耳に蘇る。


 やはり、全てはそこに繋がってくるのだろうか。彼が出会ったといい、セリーナが記憶から失ってしまったその過去が、すべてを紐解く鍵となるのだろうか。


「突然このようなことを頼んで、あなたを戸惑わせるでしょう。ですが、私とネッドが数百年動かせなかった彼の心を、変える力があなたにはある。あなただけが頼りなんです」


 まっすぐで、偽りのない眼差し。凛とした信念を覗かせて、彼女は美しく頭を下げる。


「お願いです、セリーナ様。グレイフィールを、……私たちの主を、助けてください」



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